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ラナイ島の歴史

ラナイ島の歴史

ラナイ島の1番高い山は1,000メートルほどで、なだらかな丘が、人間の歴史を静かに見続けている。

1911年から1930年まで、牧場の母家に住み(現在のフオーシーズンホテル)、牧場経営の責任者であったのは、ジョージ ムンロ (George Munro)氏だった。 その方の著作に目を通している。

ハワイ諸島の中でもラナイ島が、一番最初に砂糖キビ工場が作られたと言う。  サトウキビが沢山植えられていたのだ。 長い間、砂糖はラナイ島の主な収入源であった。

「ただ、ラナイ島は土壌の侵食が激しく、 農業に必要な表土が、大雨等の自然の威力や人間の愚かな表土管理等で、海にどんどん流れてしまった。」

野生の羊や山羊がもともと多く、野生の木や植物を食べ、ゴム製造に必要なゴムの木も食べ尽くしたようだ。

今でも、 散歩中、野生の七面鳥を良くみかける。  5、6羽が集団で行動していて、 私の足音が聞こえると、野草の影に散らばって隠れてしまう。

牧場の囲いの中ではあるが、 多種類の毛色の山羊が私に近づいてきた。 柵の側に立つと、山羊達も立ち止まり、私を見た。餌係りと勘違いしたのかもしれない。

「ラナイ島は地下水が十分ない上、小川もあまりない上、 年間雨量も限られている。 しかも、ラナイ島の歴史は、旱魃に何度も長い間苦しんだ。」

「ラナイ島の牧場は何度も所有主が変わったが、
ボールドウイン (Baldwin) 兄弟が経営するようになり、牧畜業に収益をもたらし始めた。」

「ドール パイナップル会社が全島を買いしめた後の1950代頃まで、牧場も継続的に維持されていたが、耕作可能な農地を全て、パイナップルを植える事に方針が変更され、牧畜業は消滅した。」

 「今では、ホテル客の娯楽のため、乗馬の機会を提供している程度だ。」

「経済効率的には、 パイナップルの栽培がより収益率が高かったからだ。」

ラナイ島を空から見ると、洋梨のような形をしている。 飛行機が着陸態勢に入った時、窓の外を見ると、岩の多い断崖絶壁に、白波が押し寄せていた。

参考文献 ジョージ ムンロ氏(George Munro) の回顧録


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