幸せ者
幸せ者
7年程過ぎ、 インド系アメリカ人経営の小さな施設に住んでいた、夫の病状が進み、ホスピス看護に変わった。 と言っても、同じ施設内で、ホスピス看護が行われた。
医師がその病人が、6か月以内に死亡する可能性大であると診断すると、ホスピス医療に変わる。
基本的に、キリスト教国であるアメリカでは、 死ぬ前に、懺悔の機会が何度か与えられる。
夫の場合は、もう話もできない状態だったので、懺悔をきいてくださる牧師さんが、毎週夫のベッドの側で、静かに賛美歌を何曲か歌い、祈ってくださった。
このサービスは、連邦政府の高齢者医療保険であるメディケアが支払う。
また、専門のマッサージ師が、毎週約1時間半ほどのマッサージをしてくださった。これも メディケア側の出費。 人生最後は、ちょっとサービスが良くなるのだ。
人の命は必ずしも、予定通りにはいかない。 一年経っても、病状は変わらなかった。 ホスピスを外されると思ったが、 最後だけは大目に見るのか、結果的に、一年半ほどホスピスの世話になった。
認知症病人の場合は、少しづつ、本人の心が消えてゆくので、はっきりとお別れをする機会がない。
夫と私は初婚同士、46年以上、山あり谷ありの人生ではあったが、最後まで夫婦であった。
4年間連続して行なっていた、冬季ホノルル実地調査は、5年目は夫のホスピスへの移行で、中止になり、夫の住む施設に通い続けた。
夫の死後しばらくは、自宅を処分、遠方への引越し、新生活に溶け込む努力に、全身全霊を注ぎ込んだ。
COVID-19 で、2020年と、2021年の数ヶ月は、基本的に全国民が、孤独な生活を余儀なくされたが、ある意味で、過去をゆっくり振り返る時間ができた。
そうです。 夫は長年、アメリカ生活で、私の盾になってくれていたのです。 背の高い大学卒の白人が夫であるので、社会のアジア人に対する大小の差別も、あまり心を苦しめないですんだのです。
米国で、仕事をするよう勧めてくれた夫殿。大学2年分の授業料も(1970年代、当時は、安かったとは言え)、気安く出してくれた。
生物学で、つまづきそうになった私の、家庭教師に率先してなり、 優しく教えてくれたお陰で、 まあまあの成績が取れた。
日本で結婚後、 妊娠して5か月目、急に庭付き住宅を欲しがる私の希望実現のため、我々一家はカリフォルニアに引越した。
子供の日本語並びに、日本文化習得のために、6年間住んだカリフォルニア州を離れ、日本行きを希望すると、あっさり賛成してくれた夫殿。
とても、協力的な夫に恵まれたことは、本当に幸運だった。 彼の後押しで、通訳者にもなれ、収入を得ることができた。
毎日、無料で、ネイティブ スピーカーと英会話練習をしていたのだ。 安上がり! 私も専門職を持った事が、後ほど、我が家の危機を救ったのだ。
太平洋をほとんど毎日見ながら、 我が人生を振り返り、 幸せな人生であったと言える私は幸せ者だ。