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産前産後うつになっても安心できる社会を実現する

【百万人の夢宣言 お母さんが夢を語るルーム41】

大坪香織さんの夢は「妊娠、出産に関わる全ての方に、産前産後うつの経験を伝え、産前産後うつになっても安心できる社会を実現する」こと。

私自身が経験した産前産後うつ

はじめての出産で産後うつを、二人目で産前産後うつを経験した大坪香織さん。ご自身の経験を通して産前産後うつで今悩んでいるお母さんたちに「大丈夫、そこにいるだけでお母さん」を伝えたい。また産前産後うつのことをより 多くの方に知ってもらいたいと次のように話してくれました。

初めての出産で産後うつに

長女の出産時は予定日より9日遅れでした。出血が1.4ℓあり、輸血寸前でした。身体が回復しないまま退院となり、 実家に滞在することになりましたが、幾つかの事情が重なり、眠れない日々が続くようになっていきました。そのうち 食事も砂を噛んでいるような感じになり、やがて夫にあずけたはずの赤ちゃんの泣き声が耳元で聞こえるなど、幻聴が聞こえるようになってきました。その様子を見かねた夫が、「かおりさん、病院にいこう」と言ってくれ、ようやく出産した病院の心療内科へ行くことができました。大きな病院でしたが、産科と心療内科が連携をされてはおらず、 心療内科の先生には、「なんでもっと早く来なかったのか」と言われ「あなたの今の状態は、昔で言う赤ちゃんを抱えて肥溜めに身を投げるような状態だ」と言われ、入院することになりました。医師には、「薬を飲んでとにかく眠ることが大事。今、入院すれば、お正月は家族で過ごせるよ」と言われました。

2人目を出産では、産前産後うつに

次に2人目の妊娠では、前回の産後うつも回復し、望んだ妊娠だったにも関わらず、産前からうつになりました。ですが、今回は通院していた地域の心療内科の先生と産婦人科の先生と1人目の時に母乳外来でお世話になった助産師の先生が連携して私をサポートしてくれました。心療内科の先生からはとにかく暇にしないことが大事、仕事を辞めないこと、毎日1万歩歩くことを言われました。元旦以外は歩きました。それでも、思考が休まることはない。身一つで死んでもいいと思いながら、でもお腹に赤ちゃんがいるのを感じて死ぬこともできず、陣痛がいよいよ来るまで歩いていました。産後もうつは続いたのですが、妊娠中から産後まで友人や職場の同僚が変わらず接してくれたり、料理の差し入れをしてくれたりして入院せずに回復していきました。友人たちに「わたし、大丈夫かな?」と聞くと「大丈夫よ」 といつもプラスの言葉をかけてくれました。うつ当事者の方に声をかけてもなかなか芳しい返事はかえってこないと思いますが、心の奥底では本当に感謝をしています。

ペンを持つことで変わった

また、友人が書いていた「お母さん業界新聞わたし版」 に自分の経験を書く機会をもらったこともとても大きかったです。毎月1回、自分のことを振り返る時間、ペンを持つことは、自分自身を取り戻す確かなものになっていきました。最初はペンネームで書いていたのですが、1年後には本名で発信をすることができるように。その変化を新聞を書いていた友人が一番喜んでくれました。

そこにいるだけで、お母さん

今だからこそ、あの時の自分に大丈夫よって伝えてあげたい。また、うつの時はちゃんとお母さん業をできてない自分を責めてばかりいましたが、そんな時に入院先の先生から「大丈夫、そこにいるだけでお母さんなんだから」と言われたことがとても救いになりました。

今、渦中にいるお母さんたちも同じ思いだと思いますので、「大丈夫、そこにいるだけでお母さんなんだよ」と伝えたいですし、お母さんたちをサポートしている周りの方たちに私の経験を知っていただくことで、産前産後うつの理解を深めたいと思っています。

湯番 池田彩

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