音楽を通して生きる歓びを表現し、わかちあう世の中をつくる
【百万人の夢宣言 お母さんが夢を語るルーム47】
東京在住の笑満ちるさん。満ちるさんの夢は、「音楽を通して生きる喜びを表現し、分かち合う世の中をつくること」。彼女の仕事についても話を聞きながら、なぜこの夢を叶えたいのか、思いを聞きました。
笑満ちるという名前
これまで、苗字が変わる人生を送ってきました。母親が未婚で私を出産し、私が18歳の頃に入籍。私自身は21歳で結婚、その後離婚。20代の後半に再婚したので、私には旧姓がたくさんあるのです。
ある市民団体で事務局長をしていた頃、江見明夫さんという方を知りました。「笑いがニッポンを救う」という笑いの効能を教えるセミナーを主催しました。
その方のペンネームが「笑一生(えみいっせい)」。とても素敵なペンネームに感銘を受け、私はすぐさま先生にお電話をしました。「笑」と名乗らせてほしいとお願いし、快諾していただきました。
自分で自分の名前を見つけた気がしました。
そして、「満ちる(みちる)」という名前は、ジャズシンガーMonday満ちるさんから。実はお会いしたこともあり、その時に、使わせていただいていますと、きちんとお伝えしました。
子どもの頃から笑顔を褒められることが多かったですし、母からも、機嫌がいいのが一番いいよ、と言われて育ちました。
「笑」は、私そのものです。
私の音楽人生と、挫折
これまで、たくさんの音楽家、プロミュージシャン、シンガーなどと接してきました。自分自身もミュージシャンとして活動し、さまざまな思いを感じてきました。
言えることは、みんな、かなりの情熱と努力で生きているということ。でも、限界を感じやめていく人も非常に多い世界です。
バンドブームが到来して、不良への憧れから、中学2年生の時にエレキギターを始めました。「習うなら一流の人に習いなさい」という母だったので、すぐにプロのギタリストに習い、専門学校に行き、ハリウッドの有名な音楽学校へ。
順風満帆な音楽人生の始まりのような気がしていましたが、うまくならないなと、自信がなく劣等感を持っていたのも事実です。20歳の頃からギターを教える仕事もしました。
帰国して、メジャーデビューを目指していたグループに入っていましたが、人間関係がうまくいきませんでした。
一つのユニットはマネージャーがついていて、喧嘩ばかり。当時、食べていくために会社員をしていたことを辞めろと言われたのです。
それなりに仕事も頑張っていたのでぶつかりました。
夜中に帰ってきて、曲書いて詞を書いて、必死でした。オリコンナンバーワンの作曲家と組んでいたのに気がつけば、総スカンをくらいました。
ボーカリストをやっていたのですが、「君も若くない」と言われたことも。25歳の頃でした。
何でそんなこと言われなければならないんだ、と辛く、眠れない日が2週間、3週間…そのうち、楽器に全く触ることができなくなってしまいました。私の音楽にかけた青春時代が終わりました。
結婚、出産、やっぱり音楽が好き
その後、夫に出会いました。
33歳で長女を授かるまでは、まるで音楽への未練をかき消すように働き詰めの生活をしていました。
ある時、お坊さんとの出会いがあり、全てを見透かされたかのように
「君は今は幸せかい?」と聞かれ、私は思わず号泣してしまいました。
やっぱり音楽がやりたい、やっぱりギターを弾きたい、そんな思いがあふれてきました。
演奏するのとはちょっと違う視点、ジャーナリスト的な感じで音楽やギターを発信したいと思ったのもその頃です。知り合いを取材したりブログを書いたりしました。
母親業と音楽活動
初めての出産は逆子で帝王切開でした。
妊婦最後の日、「明日生まれてくるのだな」とベッドの上にいた時に頭の中に思い浮かんだのが「ギター・インスピレーション・ジャーナル」という言葉。これをメルマガの名前にしようと思いました。
子どもが生まれると、授乳もあるし、眠れないし。
そんな中ママになってから再開した音楽活動。
音楽家の活動はたいてい夜です。
乳飲み子を抱えてライブに行くのは勇気がいります。でも主人が仕事で忙しくワンオペ状態。やりたいことをするには、子どもと一緒にいくしかなかった。諦める選択肢はなかった。
レッスンを再開、音楽活動を再開。
そうして心の中に生まれてきたのは、自分と同じように音楽に挫折した人を救いたい、力になりたいということ。
それから、悩む人たちに向けたプログラムをつくりました。
そんな私の姿を見て、まだ1歳半くらいだった長女に向かって夫が「ママはね、音楽家になりたいんだって。応援してあげようね!」と言ってくれました。
子育てがつながるきっかけであること
主人も私も子どもの運動会に行けなかったことがありました。
Facebookで応援団を募集したところ、何人か手を挙げてくれたのです。
しかも、お弁当持ちで来てくれたのです。
できない時にどうするかのTIPsがたくさんあります。ワンオペだったからこそ、誰かの力を借りていくことができた。
例えばですが、引越しをしたらチャンスだと思っています。1軒1軒、回って
自己紹介をする。中にはけげんそうな顔をする方もいるけれど、大抵の方は話ができることを喜んでくれます。隣のマンションの老夫婦は、よくしてくれて、なにかあったらお邪魔していました。
近所に住むおじいさんやおばあさんたちが、雨が降ったからわが家の洗濯物を取り込んでくれていて、私が帰宅するとドアに「洗濯物は預かった」と張り紙がされていたことも(笑)
孤育てしているママたちは、誰にも助けてもらえないと思っているけど、助けたいと思っている人はたくさんいます。人に迷惑かけるんじゃないかと考えるのではなく。迷惑かけるのが当たり前、子どもが泣いても、お互いに助け合おうよと言いたいです。
3人の子どもたちが、1歳、2歳、6歳のとき、夜出かけて帰りに全員寝たことがありました。おんぶひも、だっこひも、ベビーカーでなんとか帰ってきたら。家の前で全員一斉に起きたのです。あまりにもおかしくて、思わず写真を撮ったこともあります。
ママだから○○できない、時間がないから、お金がないから、というのは実は幻想で、工夫次第でいくらでもやりたいことを叶えていけるよ、ということを伝えたいです。
子どもたちは「あなたたちがいるからママはやりたいことができない」なんて言われたくないのではないかなと思います。子どもたちには母親の気持ちを感じ取る能力があるように思えてなりません。
子どもがいる今だからこそできることがあると思います。
子守唄から音楽がはじまり、子どもがいるからこその音楽があります。今の自分だからこそのライフスタイルを楽しむことが大事です。工夫はもちろん、すごく必要ですが。
音楽を通して生きる喜びを表現し、分かち合う世の中をつくること
幼い頃から猛烈な情熱と努力で生きている音楽家が、人生の節目節目で燃え尽きて音楽を辞めていく現状に終止符を打ちたいです。音楽家の人生をより幸せなものにしていきたいです。
パパやママが元気で好きなことをやっていて楽しんでいる姿を子どもに見せていけば、、年を重ねることが幸せであり、希望になると伝わります。
私は、株式会社InStyle 代表取締役であり、一般社団法人ミュージックライフ・スタイリング協会の代表理事もしています。
実はこの協会理念が「音楽を通して生きる歓びを表現し、わかちあうこと」なのです。
ミュージックライフ・スタイリングというのは、音楽家の生き方をライフスタイルから捉える新しい概念です。
一人ひとりが自分らしさ(=スタイル)を再発見し、圧倒的充実感のある音楽人生を創造していきます。
ミュージックライフ・スタイリングが全国規模、さらに国際的なスタンダードになっていくように行政なども巻き込んだ大きなうねりにしていきたいです。
(湯番 植地宏美)
笑満ちるさんのプロフィール
法人設立のご挨拶
プレスリリース
圧倒的充実感のある音楽人生を創出する「株式会社InStyle」設立
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