世界の、日本のお母さんの話を聞くこと
【百万人の夢宣言 お母さんが夢を語るルーム39】
山﨑恵さんの夢は「世界の、日本のお母さんの話を聞くこと」。
兄のこと、両親のこと
埼玉県在住、2児の母の山﨑恵さん、子どもの頃やこれまでの経験から、自分らしく生きることがどれだけ大切なのか、だからこそ世界中のお母さんが今どんなことを感じているのか聞きたいと次のように話をしてくれました。
私には、知的障がいを伴う自閉症がある6歳上の次兄がいます。
両親は、「障がいがあってもなくても、地域で共に豊かに」と40年前から活動しており、私も自然と小さい頃からその輪の中で、いろんな人とふれあいながら多様性を自然と感じ育ちました。また、中学校のALTの先生がとてもユニークな方で海外に興味を覚え、アメリカにある高校を希望。両親には、最初は経済的に厳しいと反対されましたが「私は私でいたい。広い空の下でいろんな経験をしたい」とわがままを通し、両親の理解もあって、テネシー明治学院高等部に入学。多感な時期にアメリカ文化にも触れながら、多種多様な出会いと経験に恵まれました。高校卒業後、大学は日本の国際学部に。「長期休みは海外へ出て、いろんな価値観に触れなさい」と言う先生の教えもあり、学部生の多くは夏休みになると海外へ。休みが終わって学校に行くと、民族衣装を着て通学した人もいて、その様子でこの人はアフリカに行ってきたとわかり、とても面白かったです。
新聞記者から日本語教師へ
大学を卒業後、約2年間は奄美大島で新聞記者の仕事をしました。その後大学の終わりに出会った夫と結婚。夫の仕事の都合で今度はアブダビへ行くことに。アブダビのイメージはドバイのセレブしかなかった私。夫は、家を空けることが多い仕事のため、私一人ポツンと家にいるのは想像できないと、花嫁修業のつもりで日本語教師の資格を取得してからアブダビへ行きました。日本文化に興味や親しみを持ってくれる人が多かったので、地元女子大の課外クラスで日本語教室を担当したり、大使館でボランティアをしたりと、日本人として日本を伝える機会にたくさん恵まれました。UAEは8割が外国人の国。中には初めて聞く国の名前もあり、毎日が「小世界」のような暮らしでした。イスラム教徒の方が多かったのですが、イスラム教は特に女性には制限がありました。なかでも、独身の女子だけで海外旅行に行くのは難しく、私が引率するならとOKという許可が出たので、3人を引率して日本に旅行に来ることができ、京都、奈良、東京、箱根と周りました。ですが、その最中で妊娠していることがわかり、物理的にアブダビに戻れなくなってしまいました。安定期に入り1か月間だけアブダビには戻りましたが、夫がアメリカに異動になったため、「インシャアッラー(神の思し召しのままに)また会おうね」とお別れをしてきました。
出産、渡米、そして産後うつ
日本に戻り出産。生後6か月の息子をおんぶしてアメリカへわたりました。今度はアメリカでの子育てを楽しもうと地元の図書館に行き、ブラジルやベトナムの親子と仲良しになりました。子育て一つとっても文化が違います。私が「夜、添い乳でおっぱいをあげて寝不足」と漏らすと、「そんなの変よ!もっと自分を大切にしないと。夜は早く寝かせてメイドさんに来てもらって夫婦でデートしなきゃ」というアドバイスもあり、その違いが面白かったです。その後、2人目を妊娠、産後うつにもなりキャパオーバーに。日本に帰ることになりました。体調がよくなってからアメリカに戻りたかったのですが、夫が仕事で家を空けることも多かったため、アメリカに戻るのは今じゃないと日本で家を構えることを決断しました。
日本での子育てで感じたこと
日本での子育てがスタート。地元の友だちに「アメリカでは誰でも気軽にリフレッシュのために一時保育を利用できたよ」と話すと、「ここは日本だからさ、みんな辛いのは一緒。歯をくいしばってみんな子育てしているよ」と言われ、感覚の違いを感じました。その後、地域の読み聞かせ会に参加したり、わが家でアクセサリーづくりの会を開いたりと、私なりに楽しみ始めました。
2年前、単身赴任だった夫が休暇帰国した際、たまたまコロナ禍となり、久しぶりに長期間家族みんなが一緒にいる幸せを実感。夫がスコットランドに転勤する話もあったのですが、子どもたちのことを考えると今は難しいと断念。私は行きたい気持ちが強かったので、心が宙ぶらりんな状態に。コーチングを受け、「私はここで何ができる?したい?」と足元の幸せに向き合った末、自分でも驚いたことに「書きたい」という気持ちが自然と湧いてきて、以前、横須賀のカフェでもらった「お母さん業界新聞」を思い出し、導かれるようにサイトを開いていました。そこに「MJプロ養成講座」の案内があり、5秒後に申し込みました。
これからの私
今は、海外に行くことは容易ではありませんが、オンラインの時代なので、MJプロとして、ここにいながら世界の、日本のお母さんの話を聞きたいと思っています。きっと遠く離れていてもお母さんという共通点が距離を近くしてくれるのではと思っているところです。
ルーマニア・北部のクルージュで、ウクライナから避難してきた親子を支援する活動を2月24日から続けているパトリチア・クドウさんのインタビュー記事
●軽やかに確実に〜支援を始めた隣国のお母さん〜
https://www.okaasan.net/hahagokoro/82531/
●エヴァちゃんが笑顔になってきたよ!
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文 湯番 池田彩
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