見出し画像

あなたの感情と私の感情

よくあるシーン
「赤ちゃんが泣いていて可哀想でしょ」と、
周りの大人がいうシーン

いつも思う違和感。
可哀想と感じているのは
会話している人の主観。
ご本人の赤ちゃんは「可哀想」なのか?

可哀想って思っているのは、その状態を見て「可哀想」というフィルターで見てる。
赤ちゃんは何かあって泣いている。という事実だけがある。また言葉が話せないからコミュニケーションしている。その表現が泣く。になっている。
可哀想かどうか?は表現してもしなくても事実は変わらない。

赤ちゃんのことは大切に思っている気持ちも可哀想という気持ちはあってもなくても変わらない気がします。泣いて教えてくれてありがとうってお世話をすればいいだけで。


どこか感情の境界線が曖昧になることがある。また感情の言葉を使って巧みにコントロールされていることにも気づかずにいる時もある。

例えばね、Iメッセージ。


私は〇〇してくれると嬉しい。
は、どうか?ということだ。

いや、めちゃ使ってたw

でもね、〇〇してくれると助かる。とか、次の作業ができる。とかそう言うお願いでも良いよね。
事実ベースか感情ベースか?


感情の会話ももちろん大切ですが、必要以上に他者の感情を揺さぶったり、行動を遠回しに脅してたり、ってこと。無意識にやってるかもと自覚的になることが大切。


〇〇さんに怒られたくない
先生に怒られたくないから勉強するって
相手の感情をコンロトールできる前提になってる時点で境界線が曖昧ですが、そう言うことが多すぎる。


性教育を学ぶと境界線がはっきりしてきて、誰の感情かも少しずつ輪郭ができてくる。


もしも、この記事で
「あ!」となったら、今日から一緒に感情の境界線も意識していきましょう。


もちろん辛い時に一緒に話を聞く「共感」は大切です。が、共感はあくまで共感。
相手の感情を全て引き受けなくていいんです。


境界線を持ち
事実を事実と見つめていきましょう。


少し生きやすくなるかもしれません。


今日もお読みいただきありがとうございます😊

やまがたてるえ

いいなと思ったら応援しよう!

やまがた てるえ/助産師×Well being 心のケアと性教育
これからの学びに活かしていきます!ありがとうございます。