通い介護が始まり-ケアラーの負担を考える|家族の健康と調和
2023年7月23日
母の生活を守る私の不調和
現在母は入院中。
せっかくですからこのまとまったお休みの間に、母が40日間に及ぶ入院を終えてから先日再び化学療法(抗がん剤治療)のために入院するまでの2週間余りの期間のことを、じっくり振り返ってみたいと思います。
(母のがん宣告から手術後までのことはこちらに綴っています。よかったら読んでみてくださいね。)
というのも、こんな風に落ち着いてブログを綴る時間など、この度の母との密着ライフの中では、1秒たりとも作ることができませんでした。
母の家に泊まり込み、母の生活のリズムに合わせての料理、洗濯、掃除といった家事を行い、その合間に介護関係の様々な契約書類にサインをしたり、母の痛む腰をさすり、などしていると、私の24時間はほとんど全て、母のためだけに捧げられる時間となります。
自分の時間なんて、起きがけの瞑想タイムと数分間の太陽礼拝(ヨガ)、夕食時には少量ですがお酒を飲みプチ晩酌タイムをとり、それから寝る前には夫と長電話をして……くらいなものです。
それだけあれば十分あるともいえるのかな……しっかりお酒まで嗜んで……。
これまでは自分の時間が十二分にある生活を送ってきたので、そのギャップが大きすぎるのかもしれませんね。
ですから、実際にやってみるまでは、こういう生活は私には性に合わないだろう……そう思っていたんです。
だけど、意外にも……楽しい。
こんなに人のために動いているのは、人生で初めての経験で(育児経験なし)、新鮮です。
そう、母の介護を思いがけずエンジョイしています―――と言えるくらいですから、全体的には上手くいっているのですが、やっぱりもうちょっと自分時間を確保できるようにしたいという気持ちもあって……。
ちょっと寝不足になってしまうのも、どうにかしないとと思ってます。「このくらい何てことない!」なんて根性論で突っ走るのは、長期戦では足をすくわれる結果になりそうです。
自分が健康でなければ、母の介護もできません。
私が健康でなければ、共倒れになってしまい兼ねないです。
私の代わりはいないのですから。
介護する家族の健康を守る
本当に私の代わりはいないのでしょうか?
68歳の母には1つ上の、元気で面倒見がよく、母の暮らしをこれまでも支えてくれていた(母は元々体が不自由なため、人の支え無しに一人暮らしはできないのです)頼もしい姉がいます。
ですが、やはり叔母ももう若くはないのです。
今回の母の在宅期間17日間の間に、叔母には2度、2泊と3泊とで来てもらいました。
お陰で私は、自宅に帰り、中一日と中二日の休息タイムを作ることができました。
家に帰って夫に甘え、母から預かっているねこに癒されと、リフレッシュできたからこそ、母との密着ライフを楽しむこともできたのだと思います。
叔母の協力なしに、この通い介護は成り立ちません。
ですが、叔母を見ていると、疲れてるんじゃないかなと心配なことがちらほらあって……当然、見て見ぬふりをすることなどできません。
叔母が母の家に泊まり込み、家事一切を担って負担にならない限度、その期間は2泊まで、そう私の目には映りました。
母の見解もだいたい同様です。
叔母は笑顔で「大丈夫!」といいますが、面倒見が良く、責任感が強く、ワーカーホリックな叔母の性格を知っている以上、叔母の「大丈夫!」に甘えることはできません。
私のスケジューリング次第で、叔母が母の家に来る来ないが決まるのだから、私は叔母を頼りにするのはここまでときちんと線引きしておかなくてはならない、そう今回肝に銘じました。
それでも、少なくとも月に3回は叔母に交代してもらうことになるでしょうし、私の都合によってはその回数が4回5回と増えるときもあるでしょうから、叔母を労わることも常に頭にしっかりと置いておかなければなりません。
ということで、叔母が来ることの多い曜日に、週1でホームヘルパーさんをお願いしようと、母と決めました。
これは、我ながらいい案だと思います。叔母の負担も減るし、母の快適な生活もより保たれます。
家族の調和を守り守られる
母の気持ちと体のことが最優先ですので、気づくと母以外のことが見えなくなって、母の満足や快適さばかりを追求してしまいがちですが、叔母の疲れも、そして私のちょっとした不満やちょっとした睡眠不足も、無視してはいけないと思います。(言うほど大したことはないのですが……私も病院通いの身で、ちょっとのことが体に堪えます。)
それと、私と母を陰ながら支えてくれている夫のことも、大事にしないと罰が当たりますね。
私が家にいないことで夫の負担は倍増しているはずですが、それでも嫌な顔一つせず、私が帰れば食事の支度をしてくれたり、マッサージしてくれたりと労わってくれる優しい夫がいるから、私は頑張れます。
それから、ねこ。
母から預かっている猫のねこも、実は病み上がり。ですから、注視していなくてはならない存在ですし、老猫なため下の粗相もあり、目が離せません。
私がいない間のねこの世話は全て夫がしてくれているわけですから、やっぱり夫にはだいぶ負担をかけてしまっています。
それから、もう一人の母、義母のことも、もちろん引き続き大事にします。
頻繁に顔を出すことはできなくなりましたが、今後も時々時間を作っては家族サービスすることをここに誓います。
だって、家族には調和が欠かせない。
家族全体が調和的であることでそれぞれの良好な関係も保て、良好な関係であってこそお互いにとって良好な存在でいることができるのだと私は考えます。
それに、誰一人犠牲になっていい人なんていないはずです。
「私のことはいいから」という言葉に甘えすぎてはいけないと思います。母のその言葉には今まで散々甘えてきたのですが……。
とにかく、私は私たち家族の健康と笑顔を守ります。
もちろん、自分自身の健康や笑顔すら守り通せない……そんなときもあるかもしれませんが、それでも私は一人じゃないし、その時はきっと家族の誰かや家族じゃない誰かも助けてくれるはずだから、安心して頑張ろうと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
まだまだ振り返り綴りたいことは山ほどありますが、今日はここまで。
今日は夫とビールを飲みながらタコスを食べる予定です。暑さはバッチリ。やっぱりビールとタコスは暑くないと!
あさっての母の退院まであともうちょっと、夫婦で夏を満喫します。
では、また。
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