100日後に死んだワニについて私の感想。
私があのマンガと出会ったのは、開始されてから3日後ぐらいだったかな。
特に印象的だったのは雲布団の話。手に入ることのない物を予約する。そして楽しみに待つ。滑稽すぎて笑えた。「使えないじゃん。自分が死ぬこと知らないのウケる笑」って独り言を言ってた。この時の記憶は鮮明すぎて、いまでもはっきり覚えてる。
この時はまだ、ワニの話は私の中で日常生活を楽しませる一つのコンテンツだった。4コマで読みやすい。深く考える必要もないし、寿命を知らないワニに起こるイベント、感情の起伏の変化を「何が起きても無駄になるしな」という目線で見ていた。リプライでも私と同じような感想を抱いてる人がいたが、今思えば勝手に神のような立ち位置でワニのことを見ていたのだと思う。
ワニの物語が開始されてから1週間立ったぐらいかな。私は他人のリプライを見てハッとした。
「ワニは私たちと何も変わらない。笑っている場合じゃない。」
会社から帰宅途中だった私は、冷や汗なのかわからない変な汗に体を包まれた。
そして同時に今までのワニに対する良い感情(優しさというか見守るようなあたたかい気持ち)が急に冷めた。
いつ死ぬかわからないし、そもそも日常的に「会社辞めたい。生きてる意味がない」とかほざいてる自分が無意識のうちにワニより長生きするのを確定してた。ここでさらに冷めた。
それからは更新されても私にとっては「ただのワニの日常」。会社の帰りに見ることが多かったから「あんたの人生進んでんね。それに比べて私は。。」としか思わなくなった。この頃から「いいね」もつけなくなった。
100日経過した今思うのは「あの話は1日ずつリアルタイムで追うことに意味があった」ということ。
というか私にとっては意味があった。
「ワニ死なないで」という世論が定着し始めてから読んだ人は、雲布団の話も「かわいそう泣」って思いながら読めるし、初めから悲観的な感想を持つ。いや、「持てる」と言ったほうが正しいかもしれない。
だが逆を言えば「悲観的な感想しか抱けない」ということ。
私は違った。「バカにしていたワニと自分は同じ」であることに途中で気づいてしまったから。その時の絶望というか感情の高低差は本当にきつかった。
だから「最近知って一気に読みました!ワニ死なないで泣」と言ってる人を結構見かけるが、本当にもったいない。それはただ「ワニが死ぬ悲しいマンガ」でしかないから。
死が迫るにつれてメディアで取り上げられることも増え、「いいね」の数もバカみたいに増えていたのは正直、気持ち悪かった。まあそういう方々は人生超勝ち組で余裕のある人か何も考えていない空っぽなんだろう。ワニの話で人生・将来への焦り度が増した私にとっては見るだけでいい。笑うこともなかった。
今読み返してもストーリーは、どこにでもある日常マンガ?ギャグマンガ?というくくりで収まるものだと感じる。まあ100日目が終わった段階でこういう風な感想しか抱かないということは、物語の内容がどうこうよりも「時を同じく過ごし、自分と比較し続ける対象があったこの100日間の葛藤」がこのワニから得た私の財産なのだろう。
※決して古参アピールではないし、なんなら私だって1、2日目の時は存在すら知らなかったのだから私だってミーハーの部類であることを最後に述べるので批判しないでね。