妖怪を退治した?名刀薄緑について
こんにちは。はっさんこと波波迦です。
今YouTubeで音楽聴いてたら、途中で広告入ってきてイラっとしました。
ちなみに聴いてたのは、「自殺」というロックバンドの曲です。名前が怖いし、マイナーですが、ちゃんとしたかっこいいバンドです。おすすめです。
ところで本題。本日は逸話多き名刀、薄緑について話します。
切れ味抜群!膝丸!
薄緑は、元は膝丸(ひざまる)という名前の刀でした。(数回名前が変わってます)なぜ膝丸というのでしょう?
それは、昔のこと。切れ味を試すべく罪人を斬ったところ、なかなか斬れないはずの膝まで斬れたことから、源満仲が「膝丸」と名付けた。
という逸話が残っています。
ここで、なんで膝?と思うかもしれません。私も思います。ですが、つっこんだら負けです。
源頼光の手に渡り…蜘蛛切!
膝丸の後は、蜘蛛切(くもきり)と名前を変えます。
源頼光は最強の鬼ともいわれる酒吞童子を倒したことで知られる武士です。
なぜ膝丸は蜘蛛切となったのでしょう?その逸話がこちら。
ある時頼光が病気で寝ていると、大男の僧侶が現れ、縄で縛ろうとした。怒った頼光が刀で反撃すると、そこにいたのは僧侶ではなく土蜘蛛という妖怪だった*
頼光は土蜘蛛を退治することはできませんでしたが、ここから蜘蛛切と言われるようになったそうです。この逸話とは別に、土蜘蛛のアジトを見つけ、退治したという話もあります。
(*土蜘蛛は古来から上古では、天皇に恭順しなかった土豪のことを指していました)
この話は、「土蜘蛛」という能で人気の演目の一つとなっています。
その後、義経の手に渡り…
蜘蛛切は源氏に受け継がれ、源為義が所有していた時には、夜な夜な鳴き声を発することから「吼丸(ほえまる)」と名付けられました。この逸話から吼丸は妖刀とされることもあります。
そして、娘婿である熊野別当、行範へと受け継がれるのですが、彼は「然るべき人がこの刀を使わねば」と熊野権現に奉納しました。それが、源平合戦の折に源義経に献上されたのです。
義経は、「緑深い熊野の山から出て来た一振り」としてこの刀を薄緑(うすみどり)と名付けました。緑深いのになんで薄緑なんだ…と思ったら負けです。でも、深緑のほうがかっこよくない?とか思ったらだめですよ。
とにかく!義経が戦に挑んで勝利をおさめたときに使ってた刀が、この薄緑なんです。現在の大河ドラマを見ている方は、そういうことを思いながら見るのも楽しいかもしれませんね。
その後の薄緑の行方はわかりません。ですが現在、大覚寺所蔵の薄緑(重要文化財)、箱根神社所蔵の薄緑丸、および個人所蔵の銘長円の薄緑の三つの薄緑が存在しています。
ここで、今回の記事は終わりにします。現在、六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで開催されている「THE HEROES」では、実際に薄緑が観られるみたいです!!!興味ある方はぜひ行ってみては?
ではまた。