”特別な支援が必要な子”のお母さんになれてよかったと思ったこと。
先週の日曜日に長男が11歳の誕生日を迎えました。私が”お母さん”になったのはあの日からだったんだよなぁ〜。ちょっと振り返りつつ、ぼんやり今の気持ちを記録しておこうとおもいます。
ナメまくっていた出産と産後と子育て
詳しくは過去のブログに書いているのでよかったらそちらを読んでください。とにかく私は授かり婚ということもあり、母親になるぞー!という覚悟とか何にもしていなくてとにかく「まぁどうにかなるっしょ」という考えで生きてこれてしまったので、長男の出産も”産んだら重いお腹から解放されて楽になる〜♪”くらいのものと捉えていました。(お腹が大きくならない&独身時代と変わらない生活をしているように見えた夫に対してめっちゃイライラしていた記憶もあり)
初めての出産と産後。それはもう壮絶で思い出すのがしんどいのですが。
でも、その忘れられない体験が(一番辛いのはそれらをネガティブな体験だと受け止めていた時期でした)私の生き方を変えてくれ、今の私になる転機になった。これは間違いなくて、本当に有難い体験だったと今は思えるようになりました。
この子、フツウじゃないの…?
長男はとにかくよく泣く子で(まぁどこの1人目はそんな感じよねぇと今となっては思えるのですが)人が大勢いる場所に行くと、パニックになって私の脚にしがみ付いて泣いたり、発語も少し遅かったため”特別な支援が必要な子”と言われるようになりました。出来ることはなるべくしたし、通った方がいいと言われたところにはほぼ連れて行ったと思っています。それでも幼稚園には慣れることができず、常に大人がそばにいないと居られない子だったので、少人数で自分も勤めていた人数の少ない保育園に転園しました。
どうして私の子がそうなんだろう。何がいけなかったんだろう。ちゃんと産んであげられなかった自分を情けなく、時には長男に申し訳なさを感じることもありました。
物理的ではなく、本質的に私が母親になったことの一歩目はここだった気がします。自分を責めるのではなく、誰かを恨むでもなく、社会ではフツウではない、と言われる我が子そのままを受け入れる。それが私にとって”母親になる”ことのへの最初の試練だったのかもしれません。
我が子が社会に出ていく過程で湧いてきた疑問。”フツウ”ってなに?
理解ある保育園のおかげで長男は”ありのまま”成長していきました。他の子とは違かったかもしれないし、すごく手のかかる子だっと思いますが、そのおかげで彼は何かに怯え続けることもなく、伸び伸びと成長していきました。
長男の成長に合わせて広がっていく社会のステージ。次の壁は小学校でした。就学前から知能を測るテストを何度かやったり、総合病院へ行って診察をしたり。我が子はフツウではない、を受け入れた次にやってきたのは”フツウではない”ことを社会的に証明できるものを申請することでした。それがないとこれから先、特別な支援を受けられないと言われたので、必死で検査予約をし、病院に何回も行きました。
今だから言語化できるけど、やっと気持ちの上では受け入れられた事実を、病院などで診断名として耳にするのはなんとも苦しかったです。予想通り、長男は3学期まで毎日一緒に教室まで登校しないと学校に行けませんでしたが、3学期からは登校班で行けるようになりました。
秋なると毎年憂鬱になった理由
自分の力で通学できるようになった長男でしたが、毎年秋頃になると翌年の進路相談として学校から呼び出しがありました。そこで言われるのは「息子さんは特別な支援を受けられる学校に行った方がよい」ということでした。先生方は普段の長男の様子を見て、相談をし、考えて保護者に相談しているのだとおもいます。でもその連絡が来るたびに私は気分が落ち込みました。なぜなら何度も長男が受けられる特別な支援を見学に行き、説明会に参加しても全く長男が楽しそうに過ごす姿をイメージ出来なかったからです。一番がっかりだったのは地域の小学校から転校してそこへ通うか、高学年に向けて難しくなる勉強内容に追いていけるかわからないけれど、今まで通り地域の小学校に通うの二択しか選択肢がなかったこと。
他の選択肢(例えば塾のような者に通う、通級の支援に通う)はないのか?と先生に聞いても「息子さんが行けるのはどちらかです」と言われてしまう。(これに関しては全て学校や先生が悪いのではなく、歪んだ学校教育制度のしわ寄せ的なものを個人的には感じました)
でも私も夫もフツウの子たちの中でいろいろ体験すること、それが例えネガティブな体験だっとしてもそれを経験することが息子にとっては大事なのではないか?という考えだったので、毎年担任の先生たちには今までいたクラス(通常級)で進学する、と決めて学校にその決意を伝え続けてきました。
”個性的な子”は親の逃げ思考なのか?
そんな我が子と一緒に生活しているので、自然と”フツウってなんなのか?”というテーマに関心を持つようになりました。そして周りを見ると、意外と同じようなおもいをしている親が多い、ということに気がつきます。
確かにみんなこだわりが強いように見えたり、動きが読めなかったりする部分もありますが、それって…??フツウではないのか?と思ってしまう。でもそれってやっぱり親だからそう思ってしまうのかな。甘いのかな、逃げなのかな…そんなふうにモヤモヤと考えてしまうようになりました。
うちの長男は周りから”面白い子だと言われます。いや、本当にユーモアセンスが爆発的で(笑)よく家族を笑わせてくれます。手先もめちゃくちゃ器用で大人の折り紙本をかたっぱしから綺麗に完成させていくし、編み物も得意。(ちなみ私は編み物ができません。笑)でも人と一緒にいるときに言ってはいけないことを平気で言ってしまったり、空気を読めずにずっと話し続けてしまったり、ちょっとうまくいかないことがあると癇癪を起こして大泣きします。
でも、私たちにとってはそれが長男であり、フツウなんです。今年で5年生になるまでそんな長男を見てきて、誰かと比べて個性的であるとか、社会的に見たらこういう人だよとかはあんまり気にしなくていいのかな、と。フツウかフツウじゃないかの判断って周りが必要だから(必要な指導や専門的なアドバイスをするために)決めたいことであって、親はそれをあまり重く受け止めなくてもいいかもなって最近は思うようになりました。
”じゃない側”になれたから持てた関心と視点
頭のどこかで”みんなと同じにできないことは劣っている”という価値観が私の中にはあります。母として、個人事業主として、人として。でも長男のことから”フツウ”について、答えのない疑問を持てたことで、フツウかどうかそれはただの一つの価値観でしかなくて、周りと同じようにできている時もあればそうできない時もある。同じようにできることもあれば、できないこともある。それってみんな同じなのかのしれない、と私は思うようになりました。視野がグッと広がった気がします。
きっと長男がなんの引っ掛かりもない子だったら、こんなに”フツウであること”について考えなかったとおもう。自分を情けなく思ったことも、相手に言われたことで傷ついた言葉たちも、今の自分になるためには必要なプロセスだったのかもしれません。そう思うと、より長男が私の元に生まれてきてくれたことへの有り難さを感じます。
長男よ、ありがとう。そして11歳の誕生日おめでとう!
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▽この記事を書いた人
松浦ゆうこ
東京生まれの下町っ子。現役パート保育士。自身の「嘘でしょ...😭」な産後体験から産後ケアの必要性を感じ、インストラクターに。現在は助産院や個人サロンでバランスボールエクササイズの指導、島田市で子育て支援サークルの代表を務める。ダンスと読書とBTSが大好きな10歳、9歳、3歳児の母。
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