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出産レポート、あえてパパ側が書いてみた。

ご無沙汰しております。
HAYATOです。

この度、Xでは幾度となく報告させていただきましたが、第一子が誕生しました。

可愛くて仕方ありません。
これからたくさん愛でていこうと思います。

さて、 「ママもすなる出産レポートといふものをパパもしてみむとてするなり。」

おそらく多くの男性(パパ予備軍/現在パパ/かつてパパだった方々)には全く参考にならないと思いますが時間潰しに。

多くのママさんはパパさん側の視点を軽い感じで見てもらえたら嬉しいです。
※ちなみに妻はこの創作を喜んでくれました。笑

長文ですが、よろしくどうぞ。

9月21日10:06記録開始。
10月3日 0:02記録終了。

<主な登場人物>
HAYATO・・・僕
妻ちゃん
ジャスティン・・・生まれてくる子の胎児名(出産予定日は10月1日)
母/父・・・僕の母/父
義母さん/義父さん・・・僕の義母/義父
翔平・・・ドジャース所属の野球選手



9月19日(木) 2:00ごろ、妻ちゃんから破水したと言われた。

前日夜に同業他社の社員と情報交換飲み会をしていたため、ややアルコールが残っている中でも体にスイッチが入った。

一方、妻ちゃんとは、遅くまでお酒を飲んでいたことでピリつき、険悪ムードのまま就寝していたが、破水を受け、一気に雰囲気が変わった。

でも、そのときは本当にごめんなさい。

予定日が10月1日だったから、まさかこんなにすぐ来るとは想像していなかった。


妻ちゃんは産婦人科の緊急呼び出し番号に連絡し、指示を仰ぐ。


その結果、病院へ赴くことになった。


妻ちゃんが義母さんを呼び、20分しないうちにマンションに到着。

僕は重い入院バックを持ち、義母さんの車に担ぎ込んだ。


病院までの道は夜の時間帯ということもあり、車の陰は一つもなかった。

妻ちゃんは意外と冷静で、「満月だったもんね」と話していた。


海外志向が強い義母さんはひたすら「セイフティドライブで」と繰り返していたことだけ覚えている。


病院に到着すると、目前のビジネスホテルと産婦人科の間の道に車を停めた。


妻ちゃんと僕がまずは2人で院内に入ると、看護師さんに出迎えられ、すぐさま診察室に入った。


僕は控え室に促され、ぼーっとしていた。
やがて義母さんが駐車を終えて、控え室に入ってきた。


少し経つと70歳手前くらいの先生がやってきて、このまま入院になるとのこと。


僕と義母さんは深々とお辞儀をし、「お世話になります」と伝えて病院を去った。


帰り道、義母とのドライブは緊張感からの解放からか何も覚えていなかった。


ただ、寝不足とアルコールの残りと車酔いが相まって、車の中で吐き戻さないかだけが不安だった。(義母さん、運転してくれたのにこんなこと思っててごめんなさい)



数時間、睡眠を経て起床。
木曜日が在宅ワークでよかった。
早急に上司にチャットし、状況を報告。
みな、快く翌日金曜日の休暇取得を許可してくれた。


9月19日が会社の創業の日だったので、もし19日に生まれたら愛社精神が強いね、と冗談を言われながら、本当に9月19日に生まれたら定年まで勤めなくてはいけないなと思った。


日中の仕事は覚えていない。
ただ、やはりプロフェッショナルとして一流の仕事をしていたのではないか、と想像は容易である。

仕事はそこまで遅くならず、20時くらいには上がれた。

夕食は、余っていた中華麺(生麺)を茹で、無印良品のスープカレーの中に突っ込んだ。

即席の発明にしては美味しい。

寝不足と仕事への疲労感にスパイスが気持ちよく刺さった。


とはいえ、今晩中に何か起こるかもしれない、といった焦燥感もあり、自分の心拍が上昇していた気もする。


その頃、妻ちゃんから僕ら夫婦+義父母のLINEグループに連絡があった。

内診の結果、出産は明日の午後になるだろうと。

少し安心した。

アドレナリンが出まくり、少し冷静じゃなかったので、一度休んで万全の状況で妻ちゃんと我が子に会えると思った。


とはいえ、いつどうなるか分からない。

もし夜中に病院からの電話に出られず、出産の機会に立ち会えなかったら、一生恨まれるし、僕自身も悔やまれる。


僕は悩んだ挙句、自分の携帯アラームの設定を2時間ごとに設定した。

その度にラインを開き、内容を確認することにした。


AM0:00 問題なし。
AM2:00 問題なし。
AM4:00 問題なし。
AM6:00 問題なし。
AM7:00 起床。

目覚めて最初に目に入った情報は、「ドジャースの大谷翔平が50-50を達成した」と義両親からのLINEだった。


心の友人である翔平が出産の号砲を放ってくれたのだと感じた。


妻ちゃんからいくつかアイテムを病院に持参するように依頼をもらった。


その中には僕の妹が旅行で買ってきてくれた安産御守りもあった。妹、グッジョブ。


妻ちゃんからは午後病院に呼ばれるだろうと言われていたが、気持ちはそれどころではない。


朝イチで仕事のメールをほぼほぼ返信し、クレームが生じない状況が作れた。


あとは行くだけ!!


そんなそわそわの気持ちを誰かに伝えたくて、水戸ホーリーホックサポーターの友人グループにラインを投下した。


参加しているのは僕を含めて3人。

僕以外は全員パパである。

パパたちは、ゴルフボールを持っていけ、歯磨きしていけ、など僕に丁寧にアドバイスをくれた。


「生まれる時、面白いこと言って、笑わせて場を和ませようとしないでね」


『分かりました。きっと何かやらかしたんですね?』


「ええ、生まれる前は冗談という言葉がこの世から消えるようです」

先人の教えを胸に刻むHAYATO




9月20日(金)9:36
見知らぬ番号から連絡があった。
ただ、想像はつく。
病院からだった。

看護師さんのご配慮で、もし来れるならお産はまだ先だけど来ていいよとのこと。

※産院の多くは、まだまだコロナ対策で面会時間を限定している。うちの産院はパートナーだけ面会できて、それ以外は面会不可だった。

よっしゃ、と意気込み僕は隣駅の近くにある産院へ向かった。


駅まで向かう道は、9月にも関わらず異常な日射だった。


子供連れとすれ違うことが多く、自分も数年後にはこうなるのか〜と安易な想像をした。


最寄駅に着き、電車を待つ。
タイミングが悪く駅で10分ほど待つことになった。


いつもより長く感じた。
日立にいるときは30分くらい電車待っても何ともなかったのに。

産科最寄駅に着くと、長丁場になることを考え、吉野家で昼食をとった。


汗をかいたせいか、濃い味のものを食べたくなり、ネギ玉牛丼を頼んだ。


いつもは卵の白身まで食べるのだが、景気付けに今日は黄身だけ牛丼に載せた。
特に意味はない。


普段はあまり利用しないが、Vポイントが20pt付与ということもあり、会計でVポイントを提示した。

今思うと、なかなか冷静である。

吉野家を出て、昨日車で産院に来た時の道を頭に浮かべながら歩く。

なかなか着かない。

おかしいと思い、地図を見ると一本道を間違えた。なかなかのポンコツっぷりである。

軌道修正出来るのが自分の強み、と思い、来た道を戻る。

産院が見えてきた。
持参したマスクをつけ、病院に入った。

看護師さんに促され、「休息室」と書かれた部屋に入った。

そうすると、妻ちゃんが無数の管に繋がれていた。

もし出産じゃないシチュエーションだったら僕は泣いてしまうと思った。

胎児の拍動と、妊婦の陣痛の強さを示すメーターが出る機械があり、それを見ながら妻ちゃんの様子を観察する。


陣痛の強さを表す数字が50を超えてくると辛そうだった。

ただ、それ以上に胎児の拍動の数字も100を下ると胎児が苦しそうと、妻ちゃんは悲しい思いをしていた。


15分おき位に助産師さんがやってきては、妻ちゃんの状況を見て診察をしてくれた。


助産師さんはふくよかで強そうだった。


本人にそう伝えると失礼なので心で思っていたが、これまでたくさんの妊婦を見てきた歴戦の戦士に見えた。

頼もしい。


お産は順調に進みそうだと思っていた。
子宮口も広がってきているし、胎児も下がってきている。


このまま進むと思っていたら、何回目かの診察の時、事態は変化してしまったようだ。


助産師さんたちが少し慌ただしくなった。


僕は診察中は部屋に居られないので目前のソファで待機していた。


助産師さんたちの数がひとり、またひとりと増えていった。


少し経つと、ただならぬオーラを持った助産師さんがやってきた。


マスクをしているが、マスク越しに伝わる安定感。

阿佐ヶ谷姉妹の母といってもおかしくない風貌。

肩に斜め掛けしているルイヴィトンのポーチ。

そして、漂うボス感。

後で知ることになるのだが、彼女は医院長先生の奥様であり、トップ助産師だったようだ。


彼女が病室に入り、ささっと妻ちゃんを診る。
どのような話があったのかは遠くて分からなかった。


少しすると他の助産師さんが僕のところに来た。
どうやら帝王切開の可能性も出てきたらしい。
まじか、と思った。


妻ちゃん、痛みに耐えられないだろうに。
出来ればこのまま分娩が進んでほしいと思った。


待合室で今後を憂慮していると、昨晩に会った医院長先生がバインダーをもって僕の横にちょこんと座った。


結構、距離が近いなと思った。
お互いの膝がくっつきそうだった。


医院長先生からは、母子ともに健康だがこのまま通常分娩を進めると赤ちゃんに負担がかかりすぎてしまうため、帝王切開をしたい、といった話だった。


帝王切開。別名カイザー。
あのユリウスカエサルが帝王切開で生まれたからカイザーだとか。。。


おお、ついにきたか。


正直、僕に選択肢はなかった。


専門家相手に「通常分娩で!」と要望する強さはなかった。
(もともと妻ちゃんは痛みに弱いことが分かっていたので和痛分娩にしていたのに・・・)


手術の同意書の家族署名欄に自分の名前を記し、親指に朱印をつけて、ぐりぐりと書面に押し付けた。


医院長先生は心なしか、安心した雰囲気でバインダーを回収し、同じく妻ちゃんに同意を貰うために休息室へ入っていった。


きっとここで取り乱すパパもいるのかなと邪推した。


とりあえず、冷静になろうと努めた。

妻ちゃんの状況を外部に伝えられる人は自分しかおらず、ひとまず両家族に伝えようと思った。

両家族のリアクションは家庭の特色がよく出ていた。

<義父母家の場合>

僕「子宮口7センチまできていますが、帝王切開の可能性も出てきました」

義父「付き添いよろしくお願いいたします🫡」

僕「帝王切開になるみたいです!」

義父「応援よろしくお願いします!」

僕「13:30に手術開始みたいです」

義父「承知しました、吉報を待っていますので付き添いよろしくお願いします🫡」

ひたすら義父に励まされる緊迫の1時間半。
(そういえば海外志向が強い義母さんはお友達とランチだったな)


<実家の場合>

僕「カイザーの可能性が出てきました!」

母「えー😱中々陣痛来ないのか❓」

僕「陣痛は来ているんだけど、ジャスティンの頭にタンコブがあるみたいで、それが産道に引っかかる可能性があるらしい。まだ、自然に降りてくる可能性もあるから大丈夫。」
「タンコブは骨盤に頭ぶつけたらしい笑」

母「ジャスティン元気ありあまっているのかな❓」

僕「かもなー!」

母「体操のオリンピック日本代表になるかも」

父「それな。」
 「こういう使い方で、良いのだろうか?」


このタイミングでボケをかます母と、人生初の「それな」を試す我が父はやはり只者ではない。


13時ごろ、引き続き、待合室で戦況を見守っていると妻ちゃんが車椅子に乗り、手術室へと運び込まれた。


よく出産時に男性は無力だと感じると言うが、本当その通りだった。


手術室に入ってからは、説明もなく、何の音もなく、状況が一切掴めなかった。


出入りしている助産師さんを捕まえ、詳細を確認すると13時30分に手術が始まるらしい。


割とすぐだな。


きっと帝王切開に怯えているだろうな、妻ちゃん。

頑張ってくれ。

耐えてくれ。


13時30分を迎えた。
ただ、引き続き、何の音も聞こえず、中の状況が全く分からなかった。


実家、義実家の双方に実況ラインを送ることしかできなかった。


少しすると助産師さんがやってきて、控え室から小さな窓がある部屋の前に移動するように促された。


また、水色の割烹着みたいなものを着るように指示を受けた。


どうやら、赤ちゃんが生まれたらその沐浴を見ることが出来るらしい。



早くジャスティンに会いたいな、と思った。

その待つ時間は十数分だったのだろうけど、終わりがいつ来るのか分からなかったので体感する時間はすごく長く感じた。


「おぎゃあおぎゃあ」

本当に赤子は「おぎゃあおぎゃあ」と泣くらしい。

手術室からおそらく自分の子供の声が聞こえた。

感極まるには自分の子だという証拠がない。
涙を流すには十分な自信がない。

数分経つと、前述したふくよかな助産師さんが今産まれたとは思えない綺麗な「物体」を連れてやってきた。


助産師さんが僕に向ける笑顔から察するに、きっと僕の子供なんだろうと自覚した。


かわいいなあ。

率直にそう思った。

自然と涙が流れ出る、とかじゃなかった。

早くその赤子と話したいと思った。
意思疎通をしたいという感情だった。


助産師さんは僕を沐浴室に促し、部屋に入ると早速赤子をジャブジャブと水の中に入れて洗い出した。

その光景を見ていたが、どこまで近づいて良いのか距離感が掴めず、首を伸ばして見ていた。


沐浴が終わると、助産師さんが赤子の身体測定をはじめた。手指・足指の本数、肛門の有無を確認した。


どのような子が産まれても可愛がろう、愛そうと産前は思っていたが、実際に元気な姿を見てホッとしている自分がいた。


沐浴が終わると、部屋から退出し、窓越しに保育器に入る我が子を見た。


かわいい、すぎる。


他人の子どももかわいいなと思っていたが、自分の子供はその比ではない。


僕はかねてから自己愛が強いタイプだったので、その自分の分身が生まれてきたと思ったら、自分に向けられた愛が全て我が子に向かうことを感じた。


自己愛よ、31年間、僕を守ってくれて、ありがとう。


これからは我が子を守っておくれ。


我が子との初対面を満喫しながらも、一方で妻ちゃんは大丈夫なのだろうか、と考えていた。

手術室の内部は知る由もない。

その不安を助産師さんに伝えると、「大丈夫ですよ。今、お腹を閉じているので少ししたら手術室から出てきます」とのことだった。

よかった、と思った。

昔、サラリーマン金太郎というドラマがあった。幼いながらも第一話を見ており、出産と同時に奥さんが死んでしまうといった内容だったはずだ。

何かの本かYouTubeで今の日本でお産で亡くなることはないと言われていたが、少しだけ不安だった。


我が子との対面から30分くらい経過しただろうか。

妻ちゃんが帰ってきた。

見た目は寝起きといった感じで帝王切開のダメージを感じられなかった。

僕は、お疲れ様。赤ちゃんめちゃくちゃ可愛いよ。ありがとう。と伝えた。

(のちに本人には麻酔の影響で意識が朦朧としており伝わってなかったことが発覚)

少し経つと赤子がやってきた。

君の少し前までの名前はジャスティン。

残念ながら今は君を呼称する名はなくて、これから決まるよ。

暫定的に赤ちゃんと呼ばせてくれ。

赤ちゃんは妻ちゃんの右肩あたりに置かれて、手足をばたばたとした。

妻ちゃんは、かわいいねえ、と声を振り絞った。

「どうですか?外の世界は」
妻ちゃんが問いかける。

「9月なのに割と暑い」
と赤子は思ったのではないかと想像する。

これから3人の生活が始まるんだな、と思った。
早く明日が来て、赤ちゃんにまた会いたいと思った。まだ、病室から退室していないのに。


たくさん写真を撮って、共有して、
4人のじいじ、ばあばに生きる希望とお金を使う楽しさを教えてあげなきゃね!


あと名前決めなきゃね!


やりたいことがたくさん出てきた。


そして、たくさん可愛いがってあげよう。

決意とも取れぬ、ただの願望ではあるが大きなエネルギーになりそうだ。


赤ちゃん、これからよろしく頼むね!
そして妻ちゃん、よく頑張りました。ありがとう。

そう思ってこれからの生活に期待と不安を感じるのであった。


  終
制作・著作
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