お母さんには怖いんだね
ずいぶんほったらかしにしてしまった。
あれから店をたたみ、いろいろと整理をしてやっと落ち着いた。
あの頃は疲弊して、擦り切れていた事が落ち着いた今ならよくわかる。
母の事も含めて、店が思い描いていたのとは違うものになりつつあった事が疲弊した原因だと思う。やめる決断をする事ができて本当によかった。
実親と同居している方のブログをいくつか見つけて、時々拝読している。
私だけじゃないんだ…という思いが、救いになる。
母は、ベースが暗い。とにかく不機嫌そうである。これは昔からそうだ。
何年も前のある時、ちょうど私が帰宅したのと鉢合わせに母が出てきて、その表情から何かあったのかと「どうしたのっ⁈」と思わず叫んだら母の方が驚いて「何もないけど」と言った。
その時、この表情がこの人のデフォルトなんだという事に私はやっと気づいた。なんとも言えない気持ちになった。
長年の不機嫌が板についたのだろう、母はいつもムスッとした顔をしている。受け答えもいつも不機嫌そうだ。そして本人はそのせいで相手がどんな気持ちになるかが、何度言い合いになっても全くわからないようだ。
普通に聞いただけなのに、不機嫌そうな顔で不機嫌そうに返されるものだからこちらも不愉快になり険悪な雰囲気になるのだが、母は自分が原因で私が怒っている事がわからない。現にその後は普通に話しかけてくる。その態度の差に全くついていけない。
数えられないほどそんな事を繰り返して、やっと気づいた。どうして私が怒っていても態度を改めないのか。それはそういう人だからだ。
物事をいつも否定的にとらえ、ひねくれた考え方をし、不機嫌そうな表情で不機嫌そうに受け答えをする。それがこの人の普通なのだ。
機嫌がいい時はニコニコする。それがこの人の普通。
感情は自分でコントロールせず、相手が子どもだろうが動物だろうがぶつける。ただし、家の外では別。それがこの人の普通。
ある方のブログで、その方のお父様が亡くなられる前「お母さんと暮らすのは誰も無理だから、お前も早く家を出なさい」とおっしゃったと書かれているのを見た。
私は、身近にそんな事を言ってくれる人がいるなんていいなぁと思った。わかってくれる人がいていいなぁと心底思った。このお父様は「大人」だ。うちには「大人」は誰もいなかった。その事に私は子どもの頃、気づいた。
このnoteのテーマは母が発達障害ではないかという事だ。自営を始めた事がきっかけで、そう考えるようになった。そして、もし母が発達障害であるならば、その事は私の長年の苦しみを少し軽くしてくれる。理解不能な言動の理由がわかるからだ。
ただ、だ。
ただ、それにも増して、脳の機能的な問題以前に、その人の性質のようなものは意識すれば変えられるのではないかという思いが私を苦しめる。それができないのが脳の機能障害なのかもしれないが。
「可愛げ」は大切だと思う。母には「可愛げ」が無い。悩まされた思いが先に来て、何かしてもらったという思いが薄い。
父にも散々困らされたが、父は可愛げがあったので最終的に仕方ないなという気持ちになれた。母にはどうしてもそういう気持ちになれない。そして外面がいいせいで「シロクロさん、お母さんには怖いんだね」と言われてしまう事が本当につらい。
本当につらいのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?