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【日本史】路上で客を引く「夜鷹(よたか)」という私娼について

本日は吉原遊女ではなく、
私娼・夜鷹(よたか)について紹介します。

夜鷹ってなんなのよ~!って感じですが、
簡単に書きましたので、読んでくれたら嬉しいです!

よかったら吉原遊女関連の他の記事もご覧ください。
吉原遊廓とは?
吉原遊女の心中①
吉原遊女の心中事件簿
吉原遊女の最期①
吉原遊女の一日


夜鷹(よたか)とは

夜鷹とは物陰で地面にゴザを敷いて、
春をひさぐ私娼のことで、
最下級の街娼とも言われる。

(吉原遊女は政府公認の遊廓で働いていた女郎なので公娼といいますが、
それ以外の非公認の娼婦を私娼といいます)

名前の由来は
「夜間にうろつくこと」
「夜鷹という鳥がいたから」
とも言われ、諸説ある。

左ページの女性が夜鷹。
頭巾をかぶっているのが特徴。

尚古堂主人『江戸の花 : 温故知新』(博文舘、1890年)国立国会図書館デジタルコレクション


どのようにサービスした?

ゴザを一枚抱えて、
日が落ちる暮れ六ツ(午後6時頃)から
吉田町から江戸市中に向かい、
暗がりから男性に声をかけた。

客との交渉が成立すれば
屋外の土手や河原など人気のない場所で
ゴザをを引き、その上で行為に及んだ。


料金は?

夜鷹の相場は16文~24文。
(文とか言われてもわからんって感じですけど笑)

吉原のいい感じのお店の遊女は、
夜鷹の300倍以上の値段。

蕎麦一杯の値段とも言われ、
夜鷹は破格であった。

そのため、客層も武家の召使いや商家の下級奉公人、日雇い労働者など、
吉原などでは遊べない人たちとされる。


どのような女性が夜鷹になったのか??

どのような女性が夜鷹として働いたのか。

岡場所(非公認の遊廓)や宿場の旅籠などで
通用しなくなり、
食べていくためにやむなく路上に立つようになった女性が多かった。
(また、梅毒罹患者も多かったと言われます)

夜鷹は吉原の遊女とは異なり、
吉原のルールに縛られない個人営業であったので、好きな時に始まり、好きな時に終えられる。

この手っ取り早さから、
昼は普通の仕事しながら、
夜は夜鷹として働く女性や
早く稼ぎたい元遊女などであった。

そのため、年齢層も幅広く人妻も多かったとされる。
(老女の夜鷹も結構居たとか…)


夜鷹の用心棒である「牛」

夜鷹は手っ取り早く、誰でも始められたり、
自由度が高かったりとメリットもあるが、
その反面デメリットも多かった。

行為の後にお金を払わず逃げる客や
危険な行為を強要されたり、
個人営業がゆえ、このような客とも遭遇する可能性が少なくない。

そのため、「牛(ぎゅう)」と呼ばれる用心棒を見張りにつけていた。
牛をつとめたのは、夜鷹のヒモや恋人、夫
(恋人?夫?えーーー!って感じですよね。)

夫が妻に売春をさせ、それを見守っていたのである。

私の個人的感想

夜鷹とかいう私娼がいたなんて…
すごい世界ですよね。

これって江戸時代の話ですけど、
令和の今も、変わってないなって思うんです。

大久保公園の周りの「立ちんぼ」とかまさに。
比較的若い子たちが「立ちんぼ」しててね~。

こういう稼ぎ方をすることに対しては、
別によくって。人には人の事情がありますからね。

「江戸時代(歴史)のことを考える・調べる」って
過去でしかないって思われるかもですけど、
そんなことないと思うんです。

現代と変わらないことが起きてたり、
現代となんら変わらなかったり、
もはや今の方が最悪だったり。
「歴史は繰り返す」っていうやつですね。

歴史を調べるって「今」を考えるきっかけになったりして、案外おもしろいです。




吉原の遊女ばかり紹介していたので、
今回は吉原の以外の遊女について
紹介してみました!ではでは~~。

以上。






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