階層構造はなぜ生まれるか
階層構造はなぜ生まれるのか。
その起点は、人の「勝ちたい」と「守りたい」という欲求から始まる。
「他者に勝ちたい」あるいは「誰かを、何かを守りたい」という欲求が、小さな勝負を生み、それはやがて大きな闘争となる。
「闘争」が勝者と敗者を生み、
その繰り返しが「階層構造」を生む。
階層の上位者は、上下関係の保持のために
下位者を「管理」しようとする。
「管理」は「枠」に入れられることで成される。
階層構造を作り上げるまでには、激しい闘争が行われることがわかる。
しかし激しい闘争に疲れ、平和を望む力が働くと、
その「闘争」を「競争」にするために、
一定の集団をひとくくりにする「枠」と、
その中で公平に勝負を行うための「軸」が設定される。
階層の上位が下位の枠の中で、
ある軸に沿って行われる競争が、「評価」になる。
上から下への「評価」を行うことで、階層構造が保持される。
階層構造の中で富が分配される時、上位から順に分配が起こった結果、上位と下位で差が生まれ、「搾取構造」が成立する。
こうして今の社会は、闘争の繰り返しと平和の希求の結果、階層と搾取の構造を生んだ。階層構造の中での絶え間ない競争と、階層の結果必然的に生じる搾取は、その構造上避けることや壊すことが難しい。
階層構造を構成する「枠」とは集団であり、人間がこの世界に生きていくために必ず生じる。
人は一人で糧を得ることは難しいから、集団という枠を作る。「枠」の成立は、闘争の過程によるものとは限らず、互助のためにも自然と造られる。
枠全体で富を得られれば、そこに多い少ないの差はあれど、「分配」それ自体は保証される。
「枠」は、枠の外の世界に対する「塀」を作っている。
それは危険な外の世界から身を守る安全基地になりえる。
塀の外が見えないものにとっては、塀の外の世界は未知の領域で、そこには野生の世界の危険があるかもしれないと想像する。野生の感覚を持つ者は、塀の中に閉じ込められることを好まず、そこから離脱したりもするが、そうでない者は枠という見えない塀の外に出ることに恐れを感じる。
「枠」を望むのは、人の平和と安定への欲求にほかならない。
しかし一方で、互助から生まれた枠が、大きくなっていくことでその中の秩序を保つために「管理」を必要とし、結果として階層構造になっていく場合もある。
「闘争」も「平和」も、どちらも人間という種の持つ本能的な欲求だから、階層構造は様々な歴史を超えて何度も繰り返し作られ壊されを続けてきた。
完全にこの構造がなくなることは、きっとない。
階層構造が、闘争を競争にし、秩序をもたらし、世界の安定と平和に寄与してきたことはまぎれもない事実だ。
しかし、世界に秩序と平和をもたらすのは、果たして階層構造だけだろうか?
近年、テクノロジーの進化の恩恵もあり、現在の階層構造に亀裂が入り、新たな分散型構造の可能性の萌芽も見て取れる。
これからの世界に、今までとは異なる形で平和をもたらすシステムについては、またいずれ考えがまとまったら。
今日はここまで。