体育会系と文化系
小さい時から、別段足が速くなかったので、小学校のリレーチームに選抜されることもなく、運動会を見に行ってもちっとも楽しくないと母はよく嘆いていた(タイトル写真はそんな母を喜ばせようと、運動会で応援団に立候補して選ばれた時の運動会風景だが、まったく褒めてもらえなかった。立っている3人の一番手前が私)。毎学期サッカー大会があるほど、蹴球に熱心な学校だったが、当然そこで活躍することもなく(苦笑)。ただ、巨人ファンの父がナイター中継を見るのを幼い頃から見ていたので、野球好きになり、休み時間は校庭で野球をし、林間学校では広々としたグラウンドでバットで軟式野球を楽しんだ。
リレーやサッカーの選抜チームにも選ばれなかった私だが、小学校2年生の時に聖歌隊というコーラス隊には選ばれた。もしかすると、スポーツより音楽の方が傍目には向いていたのかもしれない。ここで、ハモる、ということを本格的に教わった。5年生の時に科研クラブという理数系工作サークルに入り、テスターやセンサーを作ったりするようになる。半田付けもこの時に習得した。6年生の時にさらに野球部にも入りたくなったが、これ以上の兼部は無理となり聖歌隊を脱退。思えば、やめずにコーラスを続けていたら、もう少し歌がうまくなれたかもしれ……ない?なんてことはないか(笑)。
中学時代はテニス部やら新聞部やら、体育会系と文化系をふらふらとしたが、高校時代は野球部に入り没頭する。自分が人生で一番走ったのはこの時ではないだろうか。だが「弦楽生活始まる~(後編)」で書いた通り、大学4年間はバンド一筋で、頼まれて草ソフトボールのヘルプをしたぐらい。この時、プレイを見た人に見込まれてチームに誘われたがお断りした。社会人になって最初の3年間は会社の草野球チームでプレイさせてもらったが、編集部異動後は土日も休めなくなり、40代になるまで野球をすることはなかった。その後、仕事の転機と共に草野球チームでプレイすることになるのだが、その話はまた別の機会に。