異性とのコミュニケーション
小さい頃、人と話すのが苦手で、おもちゃも使わず、両手を電車にみたてて、壁に向かって何時間もひとり遊びをしていた私のことを、母はコミュニケーション能力に障害があるのではないかと心配していた。その光景を見た知り合いに「手がかからなくていいですね」と言われた時は、まんざらでもなかったようだが、無口でコミュニケーションが苦手なのに加え、私が「か」や「こ」が上手に発音できなかったこともコミュニケーション能力の問題が関係しているのではと思っていたそうだ。小学校2年で転校した時の面談では、担任の先生に発音について発達に障害があるのではないかと心配し相談したと聞かされた。先生には「大丈夫ですよ」と言われたそうだが、それでも心配だったんだろう。母はことあるごとにひとりでお使いに行きなさいとか、飲食店で自分のぶんは自分で注文しなさいとか言うのが、ちょっと鬱陶しかった。だが、転校をきっかけに、他人とコミュニケーションできないとまずいと考えるようになる。母に言われてやらされたことより、環境が少しずつ意識を変えた。
そんな私は小学校2年生から高校卒業まで男子校で過ごした。同級生とのコミュニケーションは徐々にできるようになったが、異性と接する機会といえば、音楽の先生と医務室のおばさん、あとは家族くらい。高校に進学すると、色気付いた友人たちが、周辺の女子高に通うガールフレンドなんぞを作り、お前も来いよと学園祭に連れて行ってもらったこともあったが、ただぐるりと構内を見て、先にひとりで家に帰った。
大学に入り、同年代の女性と話す機会も増えたが、異性とのコミュニケーションが不慣れなのがバレるのがいやで、分別のある大人っぽい言動や振舞を心がけた。そのせいでかは不明だが「じじい」というあだ名がついた。個人的な話を深くしてみたいと思った女性がいなかったわけではないが、異性と一対一で深くお話することは、結局ないに等しかった。
ある時、ひょんなことで、年下の彼氏とバンドをやっていた同い年の女性から、ふいに恋愛と結婚は別という夢のない割り切った話を聞いたことがある。一対一では話したわけではなく、大勢の会合でたまたま隣にいたのだが、楽しく彼氏と大学生活を謳歌している人から、まさかこんな話を聞かされるとは思いもよらなかった。
話の具体的な内容はここでは控えるが、以来、女性というものは、現実的で、自分本位なのだと思うようになった。後になって考えれば、1,000人の女性をリサーチして統計をとったわけでもないのにと思うけれど。大学生になって、ようやく同世代の女性ともコミュニケーションできる当たり前な世界に入れたのに、異性に対する感覚が歪んでしまった気がする。以来、女性と話しても、本当は違うことが考えているんじゃないかと疑い、傷つくのが怖くて、すぐなにもかも信じられなくなった。子供の頃、手を電車にみたてたみたいに、悲観的なドラマを自分の中で造っては自己防衛のためのバリアを張った。
そんなわけで、バンド活動デビューでぼっち・ざ・ろっく!は卒業したが、こころを開いて話せる人は異性も同姓もいない4年間のぼっち状態が続き、大学最後の一年は大好きな音楽活動の場からも遠ざからなければならなくなった。ちなみにぼっちが嫌なわけではない。
もしあの時の自分に会いにいけたら、なにか声をかけるべきだろうか? 考えてみたけれど答えはいまだに出てこない。同性・異性かかわらずだが、人と人がわかりあうことは本当に難しい。今になって、なおさらそう思う。