メメントモリ
私の部屋って超面白いんだよ、一見こちゃこちゃしてて物が多いのにガラスも水周りも角っこも、ちゃんと丁寧に掃除が行き届いてるの。
毎日毎日こまめに詰んだ作業が実を結んでるのかな。
来てくれた人みんな、なんか落ち着くって天井見ながら言ってくれる。
天井は青空、壁は全部ピンク色のサイケデリックや部屋なのに何故か落ち着くの、面白い。
なんでこの部屋、こんなに落ち着くんだろうね。
今日姉が来た。左手の薬指には初めて見た指輪が光っていた。
「お姉ちゃん、おめでとう」
作りたての唐揚げ、サラダのしなる音。
二人でケーキを譲り合っていた。
私、お姉ちゃんのことが大好き。
お姉ちゃんは私と真反対で、心地の善い淡白さでサラサラしている。
この世に、こんなにも執着がない人を見た事が、中学の時の大切な友達とうちのお姉ちゃんだけだ。
爽やかで、本当に本当に美人な自慢のお姉ちゃん。
「兄弟って近いのに案外知らないことだらけだよね」
お姉ちゃんが言っていた。
私達には兄がいて、弟がいる。4人もいるのに全員全然違う方向で強い。
大人になると解像度が高くなって言って素敵を見つけるセンサーが豊かになっていくことが嬉しい。
弟も姉も兄も、それぞれ違った光を持っていて好きだ。
最近よく思うことがある。
私は我儘で、こだわりが強くて深く関わると私のことを好きな人と嫌いな人が本当に二極化する。
この世にこんなにもたくさんの人が存在するのにもう連絡が取れないあの人達とそのまんまそっくり同じな事が二度とめぐりあえないことがビックリする。当たり前のことだけれども
江戸時代まで遡っても、同じ人格に出会えることは二度となく、巡り巡って今日まで人は生まれては朽ちていくのだと。
「死ぬまでもう会えない人って当たり前にいるよね」
一昨日の深夜、高校時代の友達と真っ暗なベッドの上話したことを思い出す。
小学校の頃話したお友達、先生、地元の友達。
いくらでも見つけ出すことは出来る、電子上で。それでも絶対的に繋ぎ止めない事が在る。
現代社会がどんなに発達しても、時々機会や化学の力が蜃気楼のように思える時がある。
私たちが日々、何気なく消費していく中で笑っていても泣いていても確実に時間は流れて言って、日々が1番若々しく過ぎ去ってゆく。
お姉ちゃんや家族や、大好きな人達と笑ってる時がいちばん悲しい。明るい時は、それと同じくらいの仄かな暗さが同時に存在する。
生きてることはすごく嬉しくて、切ない。
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