出羽三山地域の安産への祈り【羽黒山小話】
いつの世も出産は命がけです。そのため、無事の出産を祈願し、数々の安産への祈りの痕跡である「安産守り」の言い伝えが残されています。今回はその中から『羽黒山二百話』で取り上げられているいくつかのお話をまとめてみました。
※この記事には疑似科学拡散の意図はございません。あくまで言い伝えです。
荒沢地蔵尊の安産守り
出羽三山では昔、女性の参詣など一部「女人禁制」がありました(明治10年に解禁)。荒澤寺については明治維新後に仏像の移動があってから女性の参詣が可能になりましたが「荒沢の地蔵尊が女性の参詣を嫌う」などといわれていました。(注1)
このように女性の参詣を嫌う地蔵尊がいるにも関わらず、お堂でともされたろうそくのともしかけは安産のお守りになると信じられていたそうです。
常火堂の安産守り
常火堂(現在の常火堂は1980年5月に再建)は不滅の浄火を灯していました。かつて峰入りの火もここから持っていきました。この火は行人や松聖だけが使うのではなく、一般家庭でも誰かの逝去やお産で火が穢れたり、火種を絶やしてしまったりなどしたら新しい清らかな火種として常火堂から受け取ります。荒澤寺が女人禁制だった理由の一つに、こうした火の浄性を守るためだったということもあるようです。
そのような常火堂ですが、以前安産のお守りや護符も複数出していたようです。常火堂は先述の理由で、行人や松聖以外の一般庶民も訪れる機会が少なくなかったためでしょうか。
お守りは「剣守り」「力綱」「さかさ児よけの守り」「肥立ちの守り」で、護符は別名で「にぎり符」と呼ばれるものです。お守りは主に身に着けるものとして紹介されていますが、「にぎり符」については出産に臨むとき、二包みの護符を合わせて一気に飲み込むと安産になるという言い伝えです。
庄内札所三十三霊場巡礼の納札が安産守り
荒澤寺もその一つと数えられる庄内札所三十三霊場(庄内三十三観音霊場)。この巡礼の際の納札*¹を安産祈願として用いられていたという言い伝えがあります。
納札は巡礼の願いを記したものですから、安産を祈願されることもあったのだと想像に難くありません。しかし、昔の巡礼は徒歩で何日も要したことを考えると回数を重ねて巡礼することは体力的にも経済的にも容易ではないでしょう。
常火堂の護符もそうですが、納札を妊婦が飲み込もうとする言い伝えには、出産への命の覚悟が見えてきますね。現代はかなり医療が発達していますが、出産やその後の肥立ちで命を落とす人がまだまだ多かった時代、安産というものは身近な奇跡だったのでしょう。
三鈷沢の植物の煎じた汁が安産守り
羽黒派修験道では出羽三山の植物は「山の恵み」。出羽三山の秘所の一つである三鈷沢(さんこざわ)に生えている植物にも、その神聖性を見出していたのでしょうか。
三鈷沢での安産守りはカリヤスという草を煎じた汁を飲むという言い伝えのようです。戸川安章氏はこの植物については「三鈷沢に生えている」とだけ記載していますが、名前や生息地などから、おそらくイネ科の草で、染料や薬用に使われる植物のカリヤス(刈安)であると考えられます*²。
番外:三鈷沢の五葉松
三鈷沢(三股沢)にあるという五葉松は煎じた汁を飲むと子宝に恵まれるという言い伝えがあるのだとか。
三鈷沢はよみがえりのときを待つ精霊が鎮まる場所とされ、羽黒山伏の秋の峰における最大難所です。そのような神秘性が三鈷沢の様々ないわれにも影響しているのでしょう。
まとめ
命を産み出すことは命がけであることは特に出羽三山の山伏はよく知っていることだと思います。それ故に安産祈願を行う上で伝えられたその方法の豊富さから、様々な生々しい覚悟を感じませんか?「母子ともに健康であれ」という願うことは今も昔も変わらないのですね。
脚注・参考
(注1) 女人禁制について
さまざまな研究者が語るには、女人禁制は男尊女卑思考での差別であると考えるのは基本的な考え方にはなる。慶応義塾大学名誉教授で文化人類学者の鈴木正崇氏によれば、山岳信仰における女人禁制は仏教の影響を強く受けているという。 *³ *⁴
出羽三山における女人禁制についてはまだ詳しい実態は明確にはなっておらず、山形大学名誉教授であり出羽三山の民俗学研究者である岩鼻通明氏は「近世の女人禁制の実態を史料から解明していくこと」が出羽三山における女人禁制の実態の研究前提だと主張している。*⁵
*¹ 庄内札所三十三霊場 やまがたへの旅「やまがた出羽百観音」
*² カリヤス - 植物図鑑 - エバーグリーン
*³ 「女人禁制」そもそもどうして生まれた?宗教的に考えた(朝日新聞)
*⁴ 『女人禁制』,鈴木正崇著,2002
*⁵ 『出羽三山の文化と民俗』,岩鼻通明著,1996