【花街跡】深川の辰巳芸者
炎天下の門前仲町をぶらっと歩いてきたので、少しだけ花街跡について書きます。遺構がそんなに無いので、ミニメモ程度に・・・。
「おとこぎらい」の辰巳芸者
深川の花街が栄えていたのはなんと江戸時代で、それまで一番だった吉原を抜いたのが、年号:文化の頃らしい。当時吉原は芸者は芸者、女郎は女郎とはっきりと分かれていたのですが、深川では芸者が女郎も兼ねていたそうです(女郎芸者)。
そして女郎といえばやはり吉原の大店にいる花魁のような、べっ甲のかんざしを幾つも差して、帯を前に結んだ妖艶な姿を想像しますが、ここ深川の女郎芸者の姿というのはそのような「女郎像」とは一線を画す、かなり斬新なファッションだったようです。男物の羽織を肩に羽織って、足袋すら履かない素足に下駄というかなり硬派な姿だったようです。しかも芸名も◯◯吉などといった男名前を名乗り、吉原の女郎が男衆に媚を売るのに対して、深川(辰巳)芸者は「いったんは男を拒む」という手法で喜ばせていたというからなんとも面白い話です。マニッシュな芸者さんというのがいたのか・・とこの事実を知った時はけっこう度肝を抜かれたと同時に、今では一番好きな芸者さんです。なお、深川が江戸の東南(辰巳)にあったため、辰巳芸者と呼ぶとのこと。
ちなみにこの花街は、天保の改革で岡場所(非公認の遊郭)の大規模な取締を行った為に衰退。しかしながら現在も色気のある料亭が、(さすがに戦後の建物ではあると思いますが)、数軒のみ残っています。
※ちなみにwikipediaの辰巳芸者の項目に「芸は売っても色は売らない」と書いてありますが、岩下尚史の「芸者論」には辰巳芸者は二枚証文を交わしていたと書いてあるので、どちらが正しいのでしょうか。
-おわり-