写真と人柄
写真というのは人柄がよく現れていると思う。ファッションスナップひとつ取ってみても、ヴァネッサ・ジャックマンは光のよく差し込んだ温かみのあるスナップだったり、The Sartorialistのスコット・シューマンは、ヴァネッサ・ジャックマンに比べてコントラストがハッキリしたスタイリッシュな写真を撮るなあと思う。あと、ファッションスナップといえばこの人は外せないというビル・カニンガム(映画にもなりましたね。面白かったな。)は、街頭で「この人はいい!」と思ったら有名人だろうが素人だろうが許可などお構いなしに撮るので、臨場感のある楽しい写真が魅力的だと思う。
私が写真に興味を持ち始めたのはスマートフォンを持ち始めてからなのでだいぶ遅いと思う。それまでは場面の記録が残せればいいという程度の興味だったのだけど、instagramでフィルターを知ると同時に、「この場面はあの映画のように撮りたいな」などと自分の好きな場面に寄せたいなど、こうしたい、ああしたいという欲が出てきた。特にアジアっぽい雑踏はウォン・カーアイの映画みたいに、ブルーのフィルムをかけたいなというのはいつも思っているのだけど、今まで納得の行く出来に仕上がったことがない。いつかかっこいい雑踏が撮りたい。
上に挙げたファッションスナップの大御所たちもそうだけど、やはり被写体に対して愛情のある写真というのは見ていて楽しいし、何度も見たくなる。逆に自我ばかりが映り込んでいるような写真というのはあんまり愉快でない。私も撮ってきた写真を見返して「これは完全に自分のエゴだな」と思うものは消してしまう。いかにエゴを消して、被写体の最大の良さを引き出すか、というのは永遠のテーマだと思うのだけど、なかなかそう納得の行く写真というのは撮れないものだなと、日々悩みどころです。