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涙の数だけ強くなれるのか?(その1)

あなたは何度悲しいこと、悔しいこと、辛いことに遭遇し、どのように強くなれましたが?

私は52年生きてきましたが、子供の頃から涙を流しながら生きてきました。

私は涙の数だけ強くなれたのか?これまでの人生を振り返って考えてみました。

私は京都で育ち、4歳の時、父親がギャンブルで借金して母親が家を出ていきました。このことを親戚の大阪の叔母さんの家で知らされ大泣きしました。私は小さいころからよく泣く子供であったし、この時、初めて悲しくて大泣きしたことを覚えています。
幼心に「お父さんが悪いんだから仕方がない。」と言い聞かせて、しばらくは大阪のおばさんの家の近くに父親と兄の3人で暮らしてなんとか元気に育っていきました。

6歳の時に新しい優しいお母さんができ、京都に戻って楽しく過ごしましたが、父親がまた借金をして小学3年生の時に新しいお母さんも家を出ました。このときはさすがに涙も出ず、「お父さんは躁うつ病と叔母さんから聞いてたし仕方がない。。お父さんが悪いのではなく、病気が悪いんだ。」と思い、兄と3人で京都で暮らしました。

このころから体を鍛えて強くなってやろうと体を鍛えだしました。

しかし、中学2年生の冬に父親がまたギャンブルで借金をして、夜逃げすることになりました。

1週間東京で過ごした後、高知県にいた父親の兄である叔父さんが東京まで迎えに来てくれて、とうとう大好きな父親と別れることになり、涙を流して東京駅で別れました。
ギャンブルばかりして借金して親戚からお金を返済してもらうダメな父親でしたが、私はそんな父やが大好きでした。

そして父親の実家である高知県に引っ越して、小学校の先生をしていた叔父さんのつてで生活保護を受けて、国立高知工業高等専門学校に入学し、兄と2人で入り20歳まで高知で過ごしました。


高知高専時代に5年間空手部に所属し空手二段で卒業し、会社に入ってから空手三段に認定されました。

社会人1年目には実践空手の芦原会館に入会し、半年で3級に昇級しましたが仕事が忙しくなり1年で退部しました。

社会人になってからは子供のころに泣いた以上の辛い出来事に遭遇し、何度も挫折しかけました。

この後は次回記載します。

以上


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