インパール作戦と信念
今日は終戦記念日ですね。実際に戦争を体験した方が年々少なくなる中、戦争の悲惨さをどのように語り継ぐかが大切だなあと思います。
今年はコロナの影響もあって、今の政府の施策や国民の同調圧力を戦前の日本に戻ったようだと危機感を持つ方も多かったように思います。その中でも東京オリンピックの実施を太平洋戦争で最も無謀と言われたインパール作戦の強行に準えていた方がいて、なるほどそういう考え方もあるんだ、と感心しました。
インパール作戦は、NHKスペシャルや名著「失敗の本質」等をはじめとして多くの媒体や書籍等で取り上げられていますが、戦死者もさることながら、多くの将兵が無謀な作戦により戦病死したにも関わらず、最後は責任なき戦場と化したとあります。その詳細は前述の媒体等の情報をご覧頂ければと思いますが、インパール作戦は司令官の面子から始まり、最高意思決定機関たる大本営が冷静な分析でなく人情論に押しきられる形で作戦を裁可し、異を唱えた人々や懐疑的な人々は大和魂がない等として批判あるいは左遷され、悪化する戦況の中、実行部隊の責任者たる師団長が独断で撤退したことへの責任を咎められて更迭される等、とにかく異常な状況だったようです。そんな作戦ですから、当然成功するはずもなく、作戦を指揮した司令官自身も最初は非常に強気の姿勢だったようですが、悪化する状況の中さすがに厳しい、作戦を中止すべきと考えていたようで、本来は自ら上司にそれを申し出るべきだったのですが、面子からなのか自分からそれを言い出せず、また上司の方も部下が作戦中止を申し出ない以上、こちらからも言い出せず、その結果徒に作戦中止の判断が遅れ被害が拡大したと言われています。それが事実ならば酷く無責任な話であり、無意味に死ななければならなかった前線の将兵はどんな気持ちだったのかと考えてしまいます。
日本人は特に同調圧力に弱いとか、空気を察する国民性だという意見がありますが、こんな悲惨な事例をあげずとも、例えば会社組織等の意思決定等が同調圧力の強い状況下で行われた場合、内部の人間がそれに異論を唱えることはすごく難しいことだと思います。あるいは大方の体勢も決まっている中で個人として異論を唱えることは非常に勇気がいる行為であり、ともすると今後の人間関係や自らの組織内の立場を危うくするのでは等と考え、躊躇してしまうことも少なからずあるかと思います。自分は自分、他人は他人と割り切れれば良いのでしょうが、なかなかそう簡単にはいかないと思っています。
そういうときに
外野の立場たる中小企業診断士に存在意義があるのではと考えます。外野とは言え、ステークホルダーの1人でもある以上、一度は意見をする機会はあるはずだと思います。ただ、発言次第では顧問先との関係が悪くなったり、もしかすると契約を切られるかも知れないけど、インパール作戦で戦場の露と消えた方々の無念に比べれば、いや比べるのもおこがましい極めて些細なことでありますが、ここが正念場と(感じる)いう時には、その場の空気に迎合せず自分が正しいと思うことを客観的合理性と信念をもとに発信し、最終的に翻意してもらえるまで粘り強く説得ができればと思っています。診断士の知識やナレッジだけがプロの資質でないと思っていて、ん基本的には「社長は正しい」というスタンスですが、正念場とも言うべき大事な機会においては、誰が正しいかよりも何が正しいかが大切だと思っています。