鯖がぐうと鳴いた 長編ver あとがき
あとがき
この「鯖がぐうと鳴いた」は、2014年12月25日から、2015年9月9日まで、水道橋博士のメルマ旬報で連載をさせていただいたていた。このあとがきは、連載終了後に書いたものの一部改定版である。
この文章は、あとがき的な何かである。
「いったい何のあとがき?」と思う方がいたとしたらどうしよう。戸惑う。これこれこういう小説を私は書いてきて、その連載が終ったので云々……と、私は説明するべきなのだろうか?
これから書く文章において、「小説をお読み頂いている」という前提が崩れたなら、もはやこれは解説にも言い訳にもならない。
文学的一人相撲。
先日B&Bのイベントに伺ったとき、水道橋博士にお会いした。
「なんでも好きなものを書いてくれればいいから」と言っていただいた。だから小説を読んでいなかったメルマガ読者にも、あとがき的な何かとして読んでもらえれば嬉しい。
昨年末から水道橋博士のメルマ旬報で『鯖がぐうと鳴いた』という長編小説を連載をさせていただいた。小説の舞台となった年代は、おおよそ浅草キッドがデビューした頃から現代という設定だ。だからといって、未読の読者諸氏は早合点してはいけない。浅草キッドが具体的に登場するわけではない。ただ、この小説の一章に登場するお笑いライブは、若き日の浅草キッドや爆笑問題が出演していたラ・ママ新人コント大会がモデルだし、登場人物の数々は、実際のお笑い芸人を彷彿とさせる。
小説の時代設定がそうなったのは、博士におもねったわけではない。これがそのまま私が過ごした青春時代の舞台であり時間なのだ。
浅草キッドも爆笑問題も、彼らと出会ったのはラ・ママのネタ見せである。私自身もキリングセンスというお笑いコンビだった。つまり自分の青春を描いた芸人小説なわけだ……。又吉先生には先を越されたが、これも立派な芸人小説なんです!
ちなみにこの小説の序章部分については、ほぼ私小説といっていい。まず最初に完成したのがこの部分だけなのだ。あまりにも印象的な出来事があり、それを小説にしてみた。長編バージョンについては、過去に有料マガジンのメルマ旬報で読者に読んでいたいただいた経緯があるため、ここでも有料とさせていただいた。
ただ、序章部分のみ短編版として無料で公開しているので、ご興味があれば読んで欲しい。
ここに登場する一人称の私とは、つまり私と解釈してもらって構わない。主人公は透析患者で血の鎖でベッドに縛りつけられもがいている。
序章に限ってどんな物語かといえば、芸人時代の後輩である、フォークダンスDE成子坂の桶田敬太郎くんと海へ鯖釣りへ行ったという話し。
これは小説でも軸になっている設定だが、芸人時代には一言も口を聞いたことがなかった。世代が違ったし、私が若手芸人だった頃の楽屋は、お世辞にも和気あいあいという雰囲気ではなかった。なんとなく派閥ができあがっていて、それぞれが「あいつらつまらねー」と牽制しあっていたのだ。
敬太郎くんとはFacebookで再会した。彼は元ホリプロ所属の芸人で、私の同期(元テンションの芋洗坂係長、元シューティングのかわのをとやさん)の芸人たちと釣りに行っている写真がアップされていた。みんな楽しそうに日に焼けていた。それで、「懐かしい面々がいるね!」と声をかけた。
そこから少しの交流があって、私も釣りに誘われ、本当だったら、芋洗坂係長にかわのおとやさんも一緒に行くはずが、なぜか二人きりで鯖釣りに行く事が決まる。
彼はコンビを解散してからまったくお笑いに関わっていなかった。二人きりの車中で色々な話しをした。いまでもお笑いを愛していることが節々から伝わった。そして、そんな拭えないお笑いへの思いが、ラストシーンに繋がるのだ。
「芸人も鯖も変わりませんよ。芸人なんて鯖みたいに鱗を削ぎ落とされて真っ裸にされて、あるいは内臓までえぐりだされるんだから、そこまでして、美味いのまずいのいわれるんですからね」
「芸人はすべてがネタにされるもんね。
つーか! 鯖の鱗はしつこいよ。乾くと、ぱりぱりになって、腕に張り付いて光ってるんだもの。
こすっても、こすっても、剥がれない」
お昼を回ったばかりだった。
江ノ島の交差点には、見慣れた夏の湘南が広がっていた。
片瀬江ノ島駅から人が吐きだされ、私たちはそれと逆行して家路につく。
褐色に日焼けした若者が、上半身裸になって、「空あり」「P」と書いたうちわを路上でふっている。湘南によく見かける、チャラそうな男だ。
「みんな、真っ黒に焼けてるね」と、私。
「あいつらなんて、まだまだですよ」
慶太が笑う。
「なにが?」
「男だったら、鱗の鱗くらいつけてないと」
そう笑う慶太の腕には、いまだにこびりついたままの鯖の鱗が、太陽の光を浴びて、キラキラと輝いていた。
この短編小説が出来上がって、これを元にして長編小説にした。
序章以降は決して私小説ではない。あんなことが本当にあったと思われても困るので、あえてフィクションと断言しておく。もちろん様々な体験が元にはなっているのだけれど……。
そして出来上がった長編を新潮社主催の小説コンクールに応募した。新潮エンターテイメント大賞。これが最終選考まで残った。残念なことに大賞は受賞できなかったのだが、この選考委員をされていた畠中恵氏が「この小説には悪人がでてこない」ということを寸評されていたことを編集の方に伺った。
確かに。
もちろん対決の構図を作るために、ライバルを引っ張り出しはするのだが、結局は良い奴みたいな展開にしていまう。魅力的な悪役が育てられなかった。
と、反省をしかけたのだが……。ちょっと待てよ。いや、これはこれでいいんじゃないか。
そもそもこの小説を書いたきっかけが、敬太郎くんとの鯖釣りだった。この車中でのやり取りが印象的で、ブログはおろか小説にまでしたのだ。その中で再三私たちが話していたのは、「ほんと芸人に悪い人間はいない」「みんな素敵なやつらばかり」ということだ。
だから悪人が出てこなくて当然なのだ。ある意味、良い奴しか出てこないと選考委員の先生に思わせたのでれば、私としては成功なのだ。
萩原正人