自分の人生と親の距離感
教育関係のアンケート調査によれば、進路を決めるときの重要項目のひとつに「親の同意」が入っている。中高ともに同様の結果が出ていた。「受験は、子供が立ち向かうイベントから親子で乗り越えるイベントになった。特にリーマンショック以降はこの傾向が顕著」という分析があり、これは子供起因ではなく親起因の現象なのだろうと思った。
心配なあまり、子供の人生を子供に委ねることができない。そんな親の切実な願いをひしひしと感じ、振り切って進めない子供たち。
私は節目節目で親の願望に背いて歩いてきて、そのたび罪悪感を感じた。周りの友人は大手に行ったり金融に行ったりと、親が喜びそうな進路を選んでいたからだ。
しかし、自分の人生と向かい合ったとき、親と自分を切り離して考えなければと思った。
乃木坂46の関連グループ・欅坂46の新曲『サイエントマジョリティー』の秋元康氏による歌詞が秀逸だ、と話題である。今の若者像を的確に掴んだうえで、その奥底にある願望に訴えかける歌詞だ。以下はその抜粋である。
君は君らしく 生きていく自由があるんだ
大人たちに支配されるな
初めからそう諦めてしまったら
僕らは何のために生まれたのか
夢を見ることは時には孤独にもなるよ
誰もいない道を進むんだ
この世界は群れていても始まらない
YESでいいのか
サイレントマジョリティー
この歌詞にもあるように、夢を叶えるためには孤独に耐えるくらいの覚悟が必要だ。親の希望に従うことは親孝行のようにも思えるが、自分で考えていない、とも言える。
言われたからやる、というスタンスだと、いつまでたっても責任の二文字が背負えない。
自分の願望を抱えながら親の希望に従うと「私は~したかったけど、~だからできなかった」と言い訳する癖がつく。
進学や就職時の選択で親の意見に従った場合、ミスマッチが生じたら「こう言われたから入ったのに、合わなかった」と責任転嫁したくなるだろう。
自分で選択したときは、人のせいに出来ない。結果が良かろうと悪かろうと、自分で決めたことだから。なにか選択を迫られたときは、周りの人や環境で考えるのではなく、自分はどうしたいか、自分がどうなりたいか、主語を「自分」にして考えたほうがいい。
幸せへの道は、そこから始まると思う。自分が幸せになることこそ、最高の親孝行だ。