出産しても母になれず、号泣した話
結婚しなくても幸せになれる世の中だけれど、私の脊髄には
「絶対に結婚したいし子供も産みたい」
という願望が幼少期から突き刺さっていた。
その強すぎる願望は確かに結婚や出産に向かう行動力になったが、育児の忍耐力にはならないと知ったのは母になってからだった。
少女漫画『りぼん』を読んで育った私にとって「笑顔のウェディング姿と子どもに手料理を出すエプロン姿」がハッピーエンドの象徴であり、30歳になっても独身だったらベランダから身投げしようと思っていた。誇張ではない。恋愛依存症だったから、恋人がいない生活は無味無臭の白黒世界で孤独にあえぎながら生き延びる苦行で
「このまま独り身でアラサーになって周りが結婚ラッシュなんて迎えようものなら、絶対に鬱になって生きる気力を失う」
という恐怖ばかりが募り、死なないために合コンに奔走して、27歳で結婚した。
強迫観念に近い結婚願望と出産願望は「結婚して出産しても迷いなく生きていける」といった自信でもあった。
結婚してから2年後に出産して、トントン拍子で人生の駒を進めたが、妊娠初期に「おかしい」と違和を感じた。
「数か月後には子どもが生まれて、育児生活が始まる」
そう思うと、強烈な不安と倦怠感が喉元までせりあがってきたのだ。妊娠初期の鬱々とした精神状態やつわりも相まって、穏やかな昼下がりのベランダから身投げしたくなった。実行はしないものの「死にたい気分」になったのだ。
死にたい気分の裏には、なだらかに長く続く育児生活への畏怖があった。
子どもが生まれたら、今までのようには働けない。自分の時間の多くを育児が占めるようになる。外出したり、YouTubeで動画を見たり、仕事をしたり、書きたいことを書いたりする時間が減る。どれくらい減るのかはわからないけど、きっとものすごく減るんだろう。
朝起きて、子どものごはんを用意して、泣いたら抱っこして、スキマ時間に流し見するワイドショーを通じて社会に触れて、ごはんを作って、お風呂に入れて、寝かしつけて……そんなルーティーンが始まるのかと思うとくらくらした。
私は一人の時間が好きで、やりたいことがたくさんあって、今ある自由や選択肢を失いたくなかった。まだまだ実績も知名度も足りない私は、もっとライターの仕事をたくさんして、いいコラムを書いて、本を出して、自分の文章をだれかに届けたかった。それなのに、育児なんて一大事業が始まってしまったらどうなるんだろう。育児しながらがんばれるほど体力や気力があるのだろうか。
育児生活の不自由さなんて昔からわかっていたはずなのに、いざ目の前に現実として迫ってくると怖くなり、とたんに自信がなくなった。
子どもが生まれたら、否が応でも母親にならざるを得ない。だって自分で望んで生んだんだから。自分で子育ての道を選択したんだから。そこに命があるんだから、逃げるわけにはいかない。
自分にはそれができるのか、できたとしても心が保てるか、わからなかった。
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いざ出産してみたら、出産翌日から精神をやられた。産後のホルモンバランスが崩れた状態で寝不足になり、そのうえ夜中に延々と泣かれると「お前なんて母親失格だ」と言われてる気持ちになったし(被害妄想だが)、個室に一人でいると本当に独りぼっちに思えて「自分がやるしかない」という重圧と孤独感に押しつぶされそうだった。
生まれたばかりの息子(の外見)をあまりかわいいと思えなかったことも、私の自信を奪った。生まれた瞬間は「本当にサルみたいだな」と思ったし、びくびくと跳ねるモロー反射は奇怪で「得体のしれない宇宙人みたいだ」と恐れた。そして、そんな風にしか思えない自分が何よりも恐ろしかった。
見舞いに来る親族や友人は、息子を見て一様に「かわいい」と目を細める。廊下で見かける母親たちも、みんな猫なで声で子どもを抱いている。だれしも私より母性があり、母親らしさに満ち満ちていた。小さな息子を抱きながら「なんで私はみんなと同じようにできないんだろう」と思った。
産後3日目、心身はかなり不安定になった。夕方になり「また夜がやってくる」と思ったら、目尻にじわりと涙が浮かぶ。母子同室だったので常に不安と緊張があり、それらが表面張力のように涙腺の真下で張りつめていて、少しでも気が緩むと涙となってあふれ出た。
その日の夜、いつものように夜泣きする息子に「どうしたの?」とか「大丈夫だからね」などと声掛けする余裕すらなく、ただ義務と責任に追い詰められた状態で抱いていた。体は眠気と疲労でいっぱいで、息子は抱いて揺らしても乳を差し出しても嫌がり、顔をくしゃくしゃにして悲痛な声で泣く。そんな息子を見ていたら、私も涙が止まらなくなり嗚咽した。
そのままほぼ無気力状態で抱いていると、止まらない泣き声を聞きつけた看護師さんが入ってきて、あわてて涙をぬぐう。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です、すみません」
大丈夫じゃないのに「大丈夫です」と言ってしまう。泣き止ませられない自分が申し訳なくて謝ってしまう。
自信がないから平気なふりをして、自分でなんとかしなければと焦ってしまうのだ。
だって私は安産で、出産後の検査で「母子ともに健康です」と言われて、息子の経過も順調で、何の問題もないはずだから。であれば、母親なんだからちゃんとやらなきゃいけない。みんなできているのだから、できなきゃいけない。できて当然で、できるはずで、だから大丈夫なはずで。
でも、必死でそう思えば思うほど苦しかった。できない自分が認められず、「できない」と言えなかった。つらい、しんどい、もうやめたい。そう思いながら息子を見ると、申し訳なさで胸がキリキリして、さらに泣けた。
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昼夜問わず号泣するものだから目がぼってりと腫れ、看護師さんから「大丈夫?」と聞かれる回数が増えた。外見的にも不安定さを隠し切れなくなり、このまま1週間の入院生活を耐えられるとも思えなくなった。
そもそも、私はなぜ耐えているのだろう。何かあればすぐボロボロと涙がこぼれ落ちるくらい情緒不安定になっているのだから、実際はもう耐えることもできていない。それなのに、どうして平静を装いたいのか。
自分の心を裏側に意識を向けてみると
「母親なんだからできて当然、自分で産むって決めたんだからやらなきゃダメ、みんなできているんだからちゃんとしなくちゃ、しっかりしなきゃ、がんばらなくちゃ……」
そんな義務感、見栄、強迫観念、コンプレックスがとぐろ状に渦巻いていた。
これらはだれかを救ったり幸せにするのだろうか。
息子のためになるのだろうか。
私の力になるのだろうか。
いや、これらは私を追い詰めるだけだ。
自分にできもしないことを「できて当然だ」と押し付け強要しているのは私自身だ。
そんな母親に育てられることが、子どもの幸せだとは思えない。
であれば、無理するのはやめよう。背伸びして自分を誇張するのはやめよう。できないことはできないと認めよう。
4日目にしてようやくそう思えた私は、看護師さんに「夜に息子を預かってほしい」と伝えた。原則母子同室の病院だったので最初は少し困った顔をされたが、正直に「眠れなくてしんどいんです」と打ち明けると、餅のようになった私の瞼を見てにっこり笑ってくれた。
その夜は久しぶりに安心して眠れ、朝起きたら世界が変わっていた。朝日がまぶしく、部屋は清々しく、ごはんは美味しく、息子の寝顔はやわらかで、かわいかった。
きちんと眠れるだけで、人間はこうも元気になるのだ。逆に言えば、眠れないだけで人間は不健康になる。睡眠がとれないほど自分を追い込むのはやめよう、と強く思った。
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それでも生まれたての子どもを抱えてぐっすり眠れるわけはなく、涙腺はゆるいままだった。朝の回診で産科医さんたちがズラズラやってきて「どうですか、大丈夫ですか?」と聞かれた途端、涙腺が決壊した。
ボロボロ泣きながら「なんだかつらいです」と言うと、その場にいる産科医さんたちが静かに顔色を変えて私を見た。みんな女性で、その目には生まれたての母親に対する共感や労わりがあった。
「そうだよね、初めてだもんね。わかんないことばっかりだよね。私も昔そうだった。夫はね、産後でホルモンバランスが乱れてるんだろうって言ったの。でもホルモンがどうとか、そんなことじゃないんだよね。母親になったばっかりなんだからさ、できなくて当然なんだよ。産んだからってすぐ母親になれるわけじゃないんだもん。これからなっていくんだよね」
別の産科医さんにティッシュまで差し出され、とめどなくあふれる涙と鼻水を拭いたが、すぐに次の涙がこぼれ落ちてきて止まらなかった。でも、これまでの涙とは違う。つらくて苦しくてあふれてくる涙ではなく、安心してほっとしたからあふれてくる涙だった。
ホルモンだとかそんな物質だけの問題として片づけずに、ひとりの母親としての不安を受け入れてもらえたから、できて当然だと思っていたことをできなくて当然だと言ってもらえたから、できない私を「できなくていいよ」と丸ごと認めてもらえたから、救われた。
その日から精神を安定させる漢方を処方してもらい、それ以降もやさしく穏やかに「大丈夫?」と回診で声をかけられ、気づけば私も母親として育てられていた。あの小さな病室で、私も息子も必死に順応し、成長しようと生きていた。
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今でもつい「ちゃんとした母親」であろうと背伸びしてしまう瞬間があるが、本当につらいときは「つらい」と身近な人に伝えるようにしている。育児がしんどくなったら夫に「早く帰ってきて」と言うし、対応しきれないときはシッターさんを呼ぶこともある。心に影がよぎれば、精神科に行ったりカウンセリングを受けたりして、悩みを打ち明け、アドバイスを聴く。
ちゃんとした母親になるためではなく、自分が健全であるために、笑って生きられるように、過度な我慢をやめた。小さな我慢はあるけれど、身の丈以上の我慢はしない。行き過ぎた我慢は心身の毒で、誰も救わないからだ。毒のもとになる義務感、見栄、強迫観念、コンプレックスは、できる限り脱ぎ捨てた。無意識に羽織ってしまうこともあるけれど、気づいたらすぐに捨てるようにしている。
私が笑うと息子も笑う。その逆もしかりで、たとえかっこ悪くても、みんなより不出来でも、打たれ弱くても、自分が健やかであることが何より大事だと思う。
だから、かっこ悪くても、みんなより不出来でも、打たれ弱くても、そんな自分を否定しないようにしたい。自信は持てなくても「これから成長すればいい」と楽観視しよう。課題は一度棚に上げて、無理するのはやめよう。余裕があるときに棚から下ろして、ゆっくり向き合えばいい。
他人と比べて劣等感に駆られる日もある。でも、飄々としているあの人だって、人知れず泣いていたかもしれない。隣の芝生は青く、私の芝生も隣人から見たら青い。これからさらに青々と茂っていく。
そうやって自分を無根拠に信じ、受け入れよう。自分にやさしくあることは、きっと生きる力になる。弱くても拙くても、自分にやさしく生き延びたい。できればそのやさしさを、周りの人にも伝染させられるように。