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保育園留学ではじめる人生の再設計。
noteを再開して良かったと、つくづく思う年始。ほぼ日の糸井茂里さんが年末にアウトプットって大事だって話を書いてて、たしかに私は昔も今もインプットばっかなんだよなぁ、と。
今回の人生最後の育休は、家族をもった『私』の人生再設計期間。普段「なんとなく思っている」ことをnoteで書き起こすことで、その輪郭がハッキリする。書ける頻度も公開タイミングもまばら。会社で広報部門に在籍していたから、イイネ獲得だとか読了率だとか気にならなくもない。でも、そんなの度外視して書きたいことをただただ書く自由さと同時に、どこかの誰かに読んでいただくというちょっとばかしの緊張感もまた楽しい。
話はそれたが、思考の言語化とアウトプットがこの人生再設計の肝になりそうなのだ。
トキメク仕事を見つけたい。
人生再設計は仕事も住む場所も子育て環境も全部。
仕事に関して、今の仕事はやり甲斐はある。嫌いでもない。報酬面も文句ない。でもトキメかないし、会社の経営をどうも好きになれない。ただ、同じ業界の同じ規模の同じ職種で転職するなら、おおよそどこの会社に行っても同じ不平不満が募るから、転職活動に時間を費やすより、今のままが共働きで子育てするには『ちょうどいい』。でも、気づけばこの会社ではないどこかにいる自分を想像する。「あんな仕事、こんな仕事おもしろそうだな」という瞬間的な思いだけがチラついては消えていく。「仕事にトキメク?何を夢見がちな」と自分を揶揄するもう一人の自分(これは他人の評価からの自己防衛)とのせめぎ合い。もう何年そう過ごしてきただろう。
ようやく、その日々におさらばする。「できるかな」はまだ残る。でもする。トキメク仕事に就きたい。
原動力は子ども、ではなく、自分。
1日の終わりに食卓を囲み、夫に会社のグチを言う私を見て子どもは仕事をすること、社会に出ることにワクワクするだろうか。グチを言いながら同じ仕事をし続け、「色んなことに興味を持って自由にやってみるといいよ。」という母親がどう映るんだろうか。
それ以上に、子どもはいつか巣立つ。「子どものため」と、子どもを私の人生の主役にし、私自身は脇役を努めあげる20年後はまだ60前。子どもの巣立ちに私はひどく動揺し、もしかすると喪失感で子どもの人生の選択を尊重してあげられないのかもしれない、そうも思う。
だから子どものためでもあるが、この人生再設計は自分のためにやらなきゃならない。でなければ、絶対後悔する。
自分の人生を自由に好きなことをして積み上げていく。それを大事な人と分かち合いながら、支え合いながら、暮らしていく。これが私の生きたい生き方で、わが子に歩んでほしい道なんだなぁ。
田舎に住みたい。
仕事に関して、自分のやりたいを突き詰める先に何があるのか、ワクワクしている今日この頃。と同時に、住環境も今までの思い込みを取っ払って考え直したい。私たち夫婦は東京生まれ東京育ちだが、「定年になったらのどかな田舎住もう」と話してきた。今の妥協込みの『ちょうどいい』を取っ払ったら、定年を待つ必要もなさそうだ。
ということで、保育園留学というものに参加してみることにした。
今日はこれでオシマイ。また続きます。
もしここまで読んでくれた方がいらしたら、読んでいただき、ありがとうございます。今の非常識は明日の当たり前かもしれないんだなぁ、ということに軸を置いて、人に何と言われようと、この人生再設計を進めたいのです。