高校2年生とか大学3年生が絶望を感じる社会って、やっぱり違う気がする。
私には、今年大学3年生になる親戚がいて、この子が高校2年生のときに、「私の人生終わった」って電話がきた。
・進路を決めないといけない。
・だけど何がしたいのかわからない。
・大学進学か就職か。
・芸大に行きたいって言ったら、食べていけるのかと責められる。
・就職に有利な学部を選べと言われても自分は興味がない。
・何かを選ぶことに、合理的な理由を求められる。
・一度選んだら変えることを許されない気がする。
・こんな社会絶望しか感じない。。。
そして、その時は、進学することに決めて、大学3年生になり、また同じ壁に直面している。
あ~わかる。
私も就職したくなくて大学5年いったから。
社会の歯車になりたくなくて、全速力で逃げてたなあ。結局逃げ切れなかったけど。
あの頃は、まだ終身雇用が当たり前だったから、一度決めたらもう変えられない、それで一生が決まるから失敗できないんだって追い詰められてた。
でも、いま思うのは、人生は思ってもみないことがたくさん起こって、一つの決断で一生が決まるなんてことは全くない。
私も結局は病気で会社をやめざるを得なくなった。
それでもちゃんと生きてる。
そして前より自由に生きられるようになった。
失う前は怖いけど、失ってみればいいこともある。
だから、「まずは今やりたいこと選んでみようよ」っていう軽い感覚で生きられる社会になればいいなと思う。
そして、そういう社会は、一人ひとりが作るんだ。
むかし読んだ、「ホモサピエンス全史」で、「人間の繁栄は『概念』を共有できたから」みたいなことが書いてあった。
動物は、実際に見えるものや聞こえるものしか共有できない。
それに対して人間は、実態のないものに価値があるとみんなが信じることによって、社会を形成している。
お金の信用がまさにそれ。
ただの紙切れでいろんなものが買える。
世間の常識とか不安とか安定とかも概念。
だから、信じるものが変われば、社会は変わるんじゃないかなって思う。
最初はちょっと怖いけど、一歩ずつ少しずつ理想に向かっていけたらいいな。