見出し画像

INFJ、話が長くなる理由を考える。

これまた長くなっちゃった。

対面で人と話して自覚するときもあれば、
noteなどの文章体でも長いな~とか結論まで遠すぎだな~とか思う事が多い。
何故自分の話が長くなってしまうのか、思考整理のためにまとめてみる。


会話を楽しみたい

第一に、私は人と会話するのが大好き。
理由は会話を通して相手の信念や軸となっている考え方を知りたいから。
色々な視点や考え方を知りたい。読書が好きなのもそれが理由だと思う。

自分が知らない世界や、考えもつかなかった思考回路に出会うのが好き。楽しい。何の役に立つのかって?
多分空気を読むのに使えたり、相手の意図をくみ取るスピードが早くなったりすると思うけど、メリットはあまり意識してない。まず楽しさがあって、あとからメリットがついてきた、くらいに捉えてる。

違う考えも素敵だし、同じ考えを持っている人に出会っても嬉しいけど、
無理して合わせられるのがむちゃくちゃ苦手。理由は上辺だけ変わっても意味がないから。思想って自分自身が決める事だと思ってるし、意志のない人が苦手なのかな?他責思考を感じる。
人に合わせる事を心から楽しんで、意志を持ってやっているならいいんだけど・・・。そういう人を全然見たことが無いから。
影響されて接していくうちにだんだん内側から染まっていく・・・みたいなのは逆に好きなんだけど、この辺長くなりそうだから別の機会に書こうかな。

事実を確認するために必要なキャッチボールが一往復だったとしても、何故その結論や言葉を選んだか引き出すために敢えてキャッチボールの往復を増やすように仕向けたりする。

勿論相手のタイプや関係性による。結論を急ぐタイプには無理にキャッチボールを増やさないように意識してる。
私生活以外でも、仕事の場においては結論ベースで端的にやり取りすることを心がけてる。
理由は、職場の人間と関係性が深くなると仕事がし辛くなった経験があるから。フラットに考えられなくなる・・・。
私にとって仕事は楽しいを求めている場所ではないから、職場でのコミュニケーションはまた別の話かな。

弁明の意

端的に伝えすぎると、自分の意志や過程をしっかり表現できているか不安になる。特に距離が縮まってきた人に対して。
自分はこういう意図があってこの言葉を選んだんだよ、と伝えたいがために文脈が長くなってしまう。

言葉の影響:対相手

端的な言葉遣いは時に矛になると思ってる。
特に文面などになると、相手の表情や声色、身振り手振りが見えないため
受取り手の精神状態によって強く見えてしまうことがある。
それを防ぐために特に文字だとクッション言葉や修飾語をつけてしまう。
先ほどの弁明の意と近いけど。
「○○だよね~」など「~」←無駄にコレ付けちゃうのあるある。
自分は文字で会話する文化(インターネット)で育ってきたから、文字を話し口調に合わせるのは割と得意かなと思・・・う・・・。

note書いてても後から長いな・・・って思って削ってる。
本来伝えたいことがボケないよう、付けすぎに気をつけてるよ。

言葉の影響:対自分

人間って思ったより言葉に支配されていて、強い言葉を頭の中で唱えてたり実際言葉に出していると、ムカッと来た時に最初に出てくるのは強い言葉だったりする。
Twitterで、
怒ったときにカワイイあざらしを思い浮かべて落ち着かせてたら、怒ったときに反射的にアザラシが思い浮かぶようになった・・・みたいなツイートを見かけてわかる・・・ってなった。条件反射。パブロフの犬ですね。
(ツイート探したけど見つけられなかった・・・)
人間の脳って思っているよりも単純で、テレビを見ると孤独感が薄れるくらいには単純らしい。
自分自身を穏やかに保つためにも強い言葉を使わないようにしてる。
しゃべり方がおばあちゃんみたいだねってよく言われるのはこれかなあ。

まとめ

空気を読んで場面や人によって使い分けるスキルも大事だと思う。
でもプライベートでそれをやり過ぎると、自分の個性ってなんだろう?
自分って存在がどんどん霞んで行っちゃう気がするから難しいね。
む、難し~~~。

今回はこの辺で!じゃあまたいつか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?