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自分の振り返り 〜私のひとりごと〜
こんにちは。
いつもお読みくださりありがとうございます。
(※ 現役JWとして頑張っておられる方には、つまずく内容です。閲覧はお控えください)
私がまだ、エホバの証人 (JW) 2世として活動していた若き頃。
これまでの記事にも書いてきた通り、親のエゴで6つの会衆を渡ってきたわけですが、もちろんそれらの会衆の中には私のような『2世』もたくさんいて、同年代のたくさんのお友達も出来、そして一緒に遊びに出かけたり、また お互いの家を泊まり合ったりして それなりに楽しい交流もあった。
だがそんな私は JWを脱退して、早20年の時が過ぎたのだが、当時の『2世の友人たち』の情報も時々 耳にすることがある。
例えば
・ 私より3つ年上でアラフィフになった今でも、独身を貫き 正規開拓者として日々、布教活動に専念しているミヤ姉妹。
(以下、名前はすべて仮名です)
・ JWを自然消滅で離れ、世の人 (JW信者ではない人) と結婚したけど、性格の不一致で離婚し 地元に帰ってきたカン姉妹。
・ 神権家族 (父親は長老) の娘で、正規開拓者だったけどパニック障害などを患い、定期的な集会の参加や布教活動が難しくなり、だが今もJW信者としてこの組織に在籍するミト姉妹。
・ 会衆の長老から排斥措置をうけ、親元を離れて現在 行方がわからないシナ姉妹。
等、他にも色々…。
たくさんのそんな話を聞いて、私が気づいたのは、何らかのメンタル系の病になっている人がすごく多いこと。
私の知る限りではあるが、皆『2世』。
JW特有の厳しい規律や教理、そして「親に従順でありなさい」という聖書の言葉を、私よりももっと幼い頃から叩き込まれ、そしてそれを真面目に忠実に守ってきた 当時のJW2世の友人たち…
( うーむ……… )
一方、当時の私と言えば……
中学生になってからは エホバの証人の家族 であることを隠し、《学校に滞在する時間》は「世の人」として過ごす事にし、「JWの顔」とは別の『学校での顔』、二面性を身につけた。
(【自分】と題する記事と少し重複するかも…です)
一応、頭の片隅には “これはJW的にやってはいけない事” という罪悪感みたいのがある中、私は学校の皆と同じように運動会に参加し、そして応援合戦し、校歌を歌い、万歳三唱し、年賀状を出し、誕生日のプレゼント交換、バレンタインデー、お祭りの参加など、他にもたくさん普通にやってきた。
その上、私のお友達と言えば 昭和でいう「不良」。今だと、ヤンキー って言い方になるかな。
と言っても、校内暴力とか、学校の窓ガラスを割る、他校にケンカを売るなど、私より2つ3つ上の先輩たちとはちょっと違ってて。
例えば、覚えているのが 私が中2の時。
お昼の休み時間に、同じクラスのイジメっ子男子2人組が、1人のおとなしい男子をからかい いじめてた時の事。
不良のリーダー的存在だったユウ君は、その状況を見て
「お前らがそうされたらどんな気持ちになるー!」
と怒鳴り、教室に並ぶ机や椅子を持ち上げ、逃げ回るそのイジメっ子男子に向かっていくつも投げ飛ばし、そのおとなしい男子をかばう という出来事。
見た目は不良だけど、実は 心はすごく優しくて、
良い不良。 ( ←?! 笑 )
かっこよかった。
そんな輪の中にいた私は、学校が終わり下校時間になると、家とは真逆の方向に友人らと歩いていく。いつもの屋外の “たまり場” に行くため。
それか、両親が共働きで留守の ヨシちゃん家に皆で行って、当時 流行りだった チェッカーズや明菜ちゃん、聖子ちゃんのレコードを大音量で流しながらおしゃべりしたり、あとは……… ご想像におまかせします(笑)
見つかれば完全に 補導…されます…🚓
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ある時、私が通う中学校の正門に、ナミ先輩が来ているという情報が入った。
ナミ先輩とは、私より1つ上の女子で、私がまだ小学6年生の時からよく噂になっていた、超ヤバくて不良の怖い先輩。
だけど、私が中学校に上がった時はそのナミ先輩は登校拒否で、結局そのまま卒業式をも出席する事はなかったので、会う機会は無かった。
私が通う公立の中学校は、近隣の中学校に比べ 先輩後輩の上下関係がかなり厳しかった。
その慣例もあり、私も そのナミ先輩に 挨拶に行くため、授業が終わって10分の休み時間に入ると、ソッコー上履きのまま 4,5人の友人らと走って正門に向かう。
私は、ナミ先輩とは初対面で きっと、かわいがり👊を受けるのだろう と、内心ドキドキだった。
そして皆で、
「こんにちは」 ペコリと頭を下げる。
その時私は、ナミ先輩と目が合い、
( ヤバい… )
と思った瞬間、
「あっ! この子知ってるー!」
と、笑顔で一言。
なぜ、私の事を知っているのか、聞くことも出来なかったけど、とりあえず ほっとした。
そこで輪になって 何気ない会話をし、
「じゃ、また遊びに来るねー!」と言って、帰っていくナミ先輩を 私達は見送った。
怖い先輩 と聞いていたけど、小柄で 外見も意外に普通だったので、ちょっと拍子抜けしたのを 今もよく覚えている。
そんな「不良」の友人や先輩たちと付き合い、変わってしまった私を知った小学生時代からの友人たちは、徐々に私から距離を置くようになった。
けど、そんな私を慕ってくれる後輩も出来て、私から離れていく友人には 気にも留めなかった。
そんな事よりも、私にとってこの「学校」という場が、親から干渉される事も また、機嫌や怒りの感情にまかせ 力ずくで頭を叩かれる事も無い平穏な場所。
そして、宗教の型にはめようとする息苦しい家庭環境から解放される自由の場であり、優しい皆に囲まれて まさに「安全基地」だった。
そんな中学校生活が、休みなんて要らないと思うほど、楽しくて楽しくて仕方なかった。
高校に入ってからは、そんな不良少女もいつしか卒業し、長時間の授業、頻繁にあるテストで勉強に追い回される学校生活で大変だったけど、それなりに楽しかった。
だが、3年生になってからは勉強もしなくなった。というのは、学校の皆のように 大学受験を控えている訳でも無いので、勉強をする必要が無い。
私の進路はすでにもう (親に) 決められていたから。
卒業後は、
エホバの証人の組織 が強く推奨する宣教奉仕 (布教活動) に専念し、それを生活の中で第一にする事。
なので、赤点さえ取らなけば そして卒業できればいいくらいに思ってて、おかげでクラスの成績順位は底辺をウロウロ…。
お酒を覚え、居酒屋、バー、また ディスコ (クラブ) に行って遊び、同じ高校のOBだった某国立大学生らと知り合い、ドライブに連れて行ってもらったり……。
(あー、懐かし。 笑)
親から、自分の意思をすべて否定されるストレスを発散してた。
( あ、ちなみに このときはバプテスマ済みです )
高校を卒業してからは、「JWの顔」と『職場での顔』で、二面性。
職場の仲間たち、また付き合いで上司とよく行った繁華街での飲み会は、色んなジャンルのお店で 浴びるほど飲んで ハシゴして そして歌って… 楽しかったな。
おかげで お酒は強くなったよ(笑)
そして、お付き合いしてた彼氏と同棲を始め (のちに結婚)、JWの集会にも行かなくなり自然消滅。
私の、約20年間の「二面性」の生き方に終止符を打った。
なんか、こんな私の 80年代、90年代のくだらない生きざまをダラダラと書いてしまったけど、振り返れば こんな私を受け入れてくれた優しい環境、また 私の二面性 (裏の顔) により、当時は 自分の心を守れたのかな? と思ったりもする。
( ※ 二面性の生き方をお勧めしているという事ではありません 。……私のように…変に…なってしまいますw)
だけど結局 私も、メンタルをやられてしまった。
しかも今頃になって。
私がエホバの証人としての生き方を辞め、世の人と結婚し、現在の平凡な ごく普通の生き方を 両親はいまだに非難、否定し、
「 (世の人とは) 離婚しろ」
「早くJWに戻れ」
「聖書研究しろ」
「終わりが近いから、貯金や年金の支払いは意味がない」
「主の記念式に参加しろ」
などと、ずーっとずーっと顔を合わせるたび 言われ続けてきた。
そして アラフィフにもなる私に、
「子は、親に従順」という聖書の言葉を使い、私をコントロールする。
昔から 全然変わっていない……高齢になっても。
毒親の「毒」の威力は 全然衰えていないんだよね。
メンタル病むのって ほんとキツい。
でも今は、そんな両親との連絡も一切絶って 心穏やかに 自分を守れてる気がする。
だけど、自分の心の傷を癒やし、守っていくために 私にはもう少し時間が必要みたい。
私がこの note を始めたのは、
いつか両親に、これまでの私の心の内を 聞いてもらえる機会があった時のための備忘録にするため…と思っていたけど、
「毒親」には、他人や子供の気持ちをくみ取り、それを理解する事は ほぼ不可能…と教えられ、そう言われる意味がようやく…やっと分かったから、これからは自分の心に溜まった毒を、書き (掻き) 出すことにしよう。
……と言っても、これまでと書く内容はあまり変わらないと思う…のだけど…(苦笑)
なんか…
ごめんなさいね。
そしていつも読んでくれてありがとう。
〜 私の勝手なひとりごと 〜