あまのがは【天河】

2022/06/15 更新
あまのがは【天河】
萩原義雄識

 源順編『倭名類聚抄』を註解した江戸時代の狩谷棭齋『倭名類聚抄箋註』卷一景宿類「織女」に記載の標記語「天河」について、詳細にして適格にまとめてみた。
 先ず、『倭名類聚抄』における当該語を詳述しておく。
 ⑴十巻本『和名類聚抄』〔九三四(承平四)年頃〕卷一、天地部第一景宿類

天河(アマノカハ) 兼名菀云――(天河)一名天漢[今案又一名漢河 又一名銀河也 和名阿万乃加波]
天河 彝名菀云天河一名天漢[今案又一名漢河 一名銀河和名阿万乃加波]

 ⑵廿卷本『倭名類聚抄』〔九三四(承平四)年頃〕卷一、天地部第一景宿類

天河 彝名菀云一名天漢今按又名漢河銀河也[和名阿万乃加八]〔天部第一・景宿類[天河附出]第一、三丁表3行〕
天河(アマノカハ) 兼-名-苑ニ云。一-名ハ天-漢(カン)今按スル又名ク二河-漢ト一一ノ名ハ銀-河也[和名阿萬乃加八]〔天部第一・景宿類[天河附出]第一、三丁表3行〕
※【読み下し】天河((テンガ)) 『兼名苑((けむめいゑん))』に云((い))はく、「天河((テンガ))」は一((ひと))つに「天漢((テンカン))」と名((い))ふ。〈今((いま))案((かんが))ふるに、又((また))、一((ひと))つに「漢河(カンガ)」と名((い))ふ、又((また))、一((ひと))つに「銀河((ギンガ))」と名((い))ふなり。和名((ワミヤウ))は、「阿麻乃加波(アマノカハ)」〉といふ。

とあって、十巻本と廿卷本とで若干の表記・語順に異なりを見せている。その1が「一名」表記の重出と省略。2に別名漢字表記「漢河」と「河漢」3に「案」字と「按」字、4に真字体漢字仮名表記「阿万乃加波」と「阿万乃加八」となる。此の異同表記については、『倭名類聚抄箋註』が如何に註解しているかを述べておくことにする。
 基本的には、十巻本を基軸としていて、2別名漢字表記「漢河」と「河漢」については「漢河」を用いる。だが、棭齋自身「河漢」の語例についても検証する。
 ここで、多く用いているのが古辞書資料となっていて、観智院本『類聚名義抄』、十巻本『伊呂波字類抄』の書名を載せ、その内容を示す。此等の古辞書を繙くことの出来る棭齋自身の蒐集資料の環境下が早稲田図書館蔵の棭齋筆『漢籍引用書目』以上に見えていることを重要視しておきたい。古辞書の継承についてはこのあとに別項を用意する。  
 
 ㉗天河(あまのがは) 他に25・33・34「天河」の記載が続く。
25 ㉗天河(あまのがは)に非(あら)ず也(なり)。
33 ㊳女宿(ヂヨシユク)うるきほし㉗天河(あまのがは)の北(きた)に在(あ)り。
34 織女(シヨクヂヨ)㉗天河(あまのがは)の南(みなみ)に在(あ)り。
小学館『日国』第二版から抄出の見出し語「あま-の-がわ[・・がは]【天川・天河】〔名〕(古くは「あまのかわ」とも)(1)銀河の異称。天空の川に見たてる。七月七日の夜、牽牛と織女がこの天の川を渡って年に一度逢うという、七夕の伝説が有名。銀漢。天漢。《季・秋》
*『万葉集』〔八C後〕卷一五・三六五八「夕月夜(ゆふづくよ)影立ち寄り合ひ安麻能我波(アマノガハ)漕ぐ舟人を見るが羨(とも)しさ〈遣新羅使人〉」
*十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)年頃〕卷一景宿類「天河 兼名苑云天河一名天漢〈今案又一名漢河 又一名銀河也 和名阿万乃加波〉」
*『源氏物語』〔一〇〇一(長保三)~一四年頃〕東屋「あまのかはを渡りても、かかる彦星の光をこそ待ちつけさせめ」
*『日葡辞書』〔一六〇三(慶長八)~〇四年〕「Amanogaua(アマノガワ)」
*俳諧・奥の細道〔一六九三(元禄六)~九四頃〕越後路「荒海や佐渡によこたふ天河」
【古辞書表記】
⑴【天河】和名・色葉・名義・文明・伊京・明応・増刋下學・天正・饅頭・黒本・運歩・易林・書言・言海
⑵【天川】文明・和歌集心躰抄抽肝要
⑶【銀河】色葉・名義・伊京・増刋下學・天正・運歩・易林
⑷【銀漢】色葉・名義・文明・天正・運歩・書言
⑸【漢河】色葉・名義
⑹【天漢】色葉・文明・伊京・増刋下學・運歩・ヘボン
⑺【銀璜】色葉
⑻【瓊浦】色葉
⑼【玉潤】色葉
⑽【天津】色葉
⑾【折木】色葉
⑿【漢】法單・和玉⇨仙覚抄・万葉類葉集
⒀【銀浦】伊京
⒁【銀渚】運歩
⒂【銀潢】書言
 右に記載する漢字表記を一古辞書が複数の標記語を所載するのは、①『名義抄』②『色葉字類抄』そして、室町時代の③『伊京集』の三種、刷り本系の堺本も語注記別記を加味して三種となっている。
【古辞書】の継承
 その漢字語例排列について見ておくと、
 ②三巻本『色葉字類抄』阿部天象門に、 

天河[平・平]アマノカハ 銀璜 同 漢河 同 銀漢 同  瓊浦 同  銀河 同  玉潤 同  天津 同 折木 同  天漢 同〔前田本・阿部天正門二四オ二九三頁5~7〕

 十巻本『伊呂波字類抄』〔大東急記念文庫蔵〕

 銀璜  アマノカハ  瓊浦  玉潤 天津 折木 天漢 天河 漢河 銀河 
 銀漢 銀  已上同  〔第八冊阿部二五七頁4~二五八頁1〕
※三巻本と十巻本とでは、当該語「アマノカハ」の語排列は大いに異なっている。十巻本編者が「銀璜」の語例を第一位に置くに至り、最も通常にして現代の国語辞書の漢字表記に用いられる漢語例が下位部に置かれたのかを見定めるときに、茲には漢詩の語例を主位とし、日本語としての通俗語例を従と位置づける編纂方針が伺える。

観智院本『類聚名義抄』〔天理図書館藏〕
※【河】差声点あり。
河 音河[平] カハ[上・平]
和又カ[去]

天―(河)アマノカハ〔水部卌一・法上一頁7〕
漢―(河) 同(アマノカハ)〔水部卌一・法上一頁8〕
銀―(河) 同(アマノカハ)〔水部卌一・法上一頁8〕
銀―(漢) アマノカハ〔水部卌一・法上七頁1〕
※『名義抄』は漢詩に見える特異語は用いず、日本文献資料に記載される「天河」「銀河」「漢河」「銀漢」の四種を収載する。

 室町時代の古辞書

 ③『伊京集』に、
天漢(アマノガハ) 天河 銀河/銀浦同〔安部天地門ウ1〕
※末尾排列の「銀浦」の語は、上記一覧を見ても他古辞書にその所載を見ない語で、諸橋轍次著『大漢和辞典』の【銀】の熟語例も「銀鋪」の語例はあっても当該語は未収載となっている。
だが、中国宋景文公『雞跖集』に「李賀名天河以銀浦」〔宋-楊伯喦『六帖補』の「天河」参照〕に見えていて、書写編者は此の語を当代に伝来していた類編の資料書を参考に採択したものとなっている。
この「天漢・天河・ 銀河・銀浦」のように別名の語郡を排列所載する資料として、大谷大学本及び正宗文庫本そして岡田希雄本の『節用集』に、
 天漢(アマノカワ) 天河(同(アマノカワ)) 銀河(同(アマノカワ))〔大谷・安部天地門七四頁1〕
 天漢(アマノガワ) 天河(同(アマノガワ)) 銀河(同(アマノガワ))〔正宗・安部天地門八九頁(四五オ)3〕
 天漢(アマノガワ) 天河(同(アマノガワ)) 銀河(同(アマノガワ)) 或云沫/雪下末〔岡田・安部天地門頁(オ)3〕
として、『伊京集』や広本(文明本)『節用集』末尾の「銀浦」乃至「銀漢」の語例を添えずに書写されており、その先後関係をみていくとき、此の「銀浦」の語を後に増補したとなれば、大谷本・正宗本がその増補以前の原形を示すともとれるのだが、逆に大谷本が『伊京集』と広本『節用集』とのなかで異なる語例を敢えて載せない編纂方針にあったとも見てとれよう。
 さらに、当該漢語の未載理由が未知なる情報語であったことも推定できよう。因みに、伊勢本系玉里本『節用集』には、「天河・ 銀河・銀漢」に加えて標記語「天漢」の語を載せていないのだが、末尾を広本と同じく、別名「銀漢」の語としている。
  
 更に、標記語一例のみとする広本(文明本)『節用集』を見ておくと、実は『伊京集』に最も類する形態で「天河」「銀河」「銀漢」の三語を所載している。
△ー(天)川(アマノガワ)[平・平]テン、せン同〔安部天地門頁3〕 
△ー(天)漢(アマノガワ)[平・去]テン、カン・ソラ又天河・銀河、/・銀漢同〔安部天地門3〕 
 
 
 
※「同」は、上位語「天野」の注記「河内國/酒ノ出所」となり、本邦地上の川名として記載する。そのつぎに「天漢」とその語注記語例を以て天象語を置くことになっている。此の点、地を先に天を後に配置する排列法を規範とするか、検討の余地があると考える。 
 茲で、語注記の標記字「銀漢」の語例が『伊京集』では標記漢字「銀浦」に別名の表記をしている点に着目せねばなるまい。
 此の点を明確にしていくとき、他諸本『下學集』から『節用集』へと展開してきた背景として見定めておくことになる。明應五年本『節用集』では、

天河(アマノカワ)〔安部天地門左3〕
※標記語「天河」に付訓「アマノカワ」と記載し、他別表記語は未記載とする。
 続いて、飛鳥井榮雅編増刋『下學集』を見ておくと、
 
天河(アマノカハ) 天漢 銀河/皆同〔安部乾坤門六十七ウ(一四四頁)4〕
※語注記別記を「天漢」「銀河」の二語とする。大元の『下學集』を以て変容していくなかで、古写本『下學集』には、「○銀河(ギンカ) 天河也〔天地門一七頁6〕」「あまのがは」「あまのがわ」の標記語は未収載にし、同じく注記別記とする「銀河」を標記語とする語注記中に「天河」のを置く。
  
  
  
この系統寫本とする是心本『節用集』にも同じように記載がなされ、付訓を「アマノカワ」と表記する以外は異同を見ない。広島大増刋『節用集』も此れに同じ。
とあって、標記語を明應五年本と同じ「天河」で付訓「アマノカハ」とし、語注記に「―(天)漢」「銀河」の別表記の語を載せ、「皆同」と記載する。
 時代を室町中期から末期に転じて、この『節用集』を見定めて行くとき、印度本系『節用集』の書写状況を捉えておくことが肝要となる。そこで、黒本本『節用集』におけるこの標記語「天河」の語ついて見るに、 
 
 

天河(アマノガハ) 或云・天難(ヒ)漢・又云銀河朗詠集銀河注云/和名阿摩乃賀波(アマノガワ)云々〔安部天地門〕
※語注記内容が他の『節用集』よりも詳細な内容となっていることは云うまでもないことだが、この語注記を先ず解いておく。「或は云ふ・天難(ヒ)漢。又云ふ・銀河。『(和漢)朗詠集』銀河注に云く、和名阿摩乃賀波(アマノガワ)云々」と真字体漢字表記にして、別表記「天漢」「銀河」を載せ、書名『倭漢朗詠集』における「銀河」の注記に「和名、阿摩乃賀波(アマノガワ)云々」を記載する。茲で、『和漢朗詠集私注』(内閣文庫蔵)375銀河の詩「銀河沙漲三千界。梅嶺花排一万株。(銀河(ギンガ)の沙(イサゴ)漲(ミナギ)る三千界(サンぜンカイ)、梅嶺(バイレイ)花(ハナ)排(ヒラ)く一万株(イチマンチウ)」の注記に「雪中ノ即事 白/銀河一ニハ名[二]銀漢[一]/一ノ名ハ河漢。和ニハ名テ曰[二]阿摩乃賀波。漢書曰銀騫(ケン)奉(ウ(ケタマハリ))テ漢武ノ使ヲ[一]尋(キハメ)テ[二]河源ヲ[一]昇ル[二]銀漢ニ[一]。大庾嶺ニ有[二]万林之白梅[一]云云。」とある。
この黒本本の系統では、枳園本及び伊勢本系の天正十七年本のなかに、
天河(アマノカハ) 或云・天漢・又銀河・又朗詠集銀河/之注云和名曰阿摩乃賀波〔安部天地門〕〔下百十四オ(二三九頁)4〕
とあって、茲にも同等の語注記を記載する。印度本系二種の語例を次に見ておくと、
A系統末尾「ワ」表記・・・弘治二年本、永禄十一年本。伊勢本系の天正十七年本
を見おくことにする。
・天河(アマノガワ) 或云[二]天漢(アマノカハ)[一]又云[二]銀河[一]朗詠集/銀河之注云・和名阿摩乃賀波〔弘治本・安部天地門ウ8〕※標記語「天河(アマノガワ)」、「天漢(アマノカハ)」とし、「ワ」と「ハ」と両用表記を示す。
・天河(アマノガワ) 或云[二]天漢(アマノカワ)ト[一]・又云銀河[一]朗詠集銀河/注云・和名阿摩乃賀波〔永禄十一年本・安部天地門一九〇頁3〕
・天河(アマノガワ) 又云天漢又云銀河/朗詠集/阿摩河〔伊勢本系、天正十七年本・天地門(百オ)四二三頁4〕

○天河(あまのがわ) ○天漢(同(あまのがわ)) ○銀河(同(あまのがわ))〔『和漢通用集』安部天地門三三〇頁上段7〕 

B系統末尾「ハ」表記・・・永禄二年本、尭空本、経亮本、高野山本 
・天河(アマノカハ) 或云[二]天漢[一]又云[二]銀河[一]朗詠集/銀河之注ニ云・和ニハ名テ阿摩乃賀波ト[一]〔永禄二年本・安部天地門一六六頁4〕 
・天河(アマノカハ) 或云[二]天漢[一]又云[二]銀河[一]朗詠集/銀河之注云・和ニハ名テ阿摩乃賀波[一]〔経亮本・安部天地門頁4〕 
・天河(アマノカハ) 或天漢又云銀河、朗詠集銀川之住/云和ニ名テ曰[二]阿摩乃賀波[一]〔高野山本・安部天地門一九二頁7〕
とあって、A系統とB系統共に共通の語注記の文言を示す。
 

 刷版系の天正十八年本・饅頭屋本(初刊と増刋二種)・易林本『節用集』には、各々が特徴性を有するのだが、その記載内容を次に示す。
天河(アマノガワ) 銀河(同(アマノガワ)) 或他銀漢〔堺本=天正十八年本・下卷安部天地門十六オ9〕
天河(アマノガワ) 〔饅頭屋本初刊安部天地門下冊六十一オ1〕
天河(アマノガハ) 〔饅頭屋本増刋安部天地門下冊六十一オ(一二一齣二七四頁)1〕

天河(アマノカハ) 銀河(同(アマノカハ))〔易林本・下卷阿部十六ウ(五二六頁)2〕
このなかで、堺本だけが「天河・銀河・銀漢」の三語を所載する。傍訓「アマノガワ」とするのは堺本と饅頭屋本(初刊系)であり、饅頭屋本(増刋系)と易林本とは、末尾「ハ行転呼音」の回帰の「アマノガハ」を以て付訓していることが見てとれる。この古辞書資料における語中末尾「ハ行転呼音」については次の章で明らかにする。

 此等、室町時代の『節用集』全体のまとめとして、まず第一に、仮名遣い表記「は」(万葉仮名「波」)と「わ」(万葉仮名「波」)について述べておきたい。当該語「天河」には「あまのがは」から「あまのがわ」へとハ行字からワ行字への移行が見てとれよう。キリシタン版(=ローマ字表記)『日葡辞書』には、「Amanogaua」とワ行表記となっていると検証するまでもないのだが、「ハ」から「ワ」への移行期は平安時代中期に始まっている。だが、此の室町時代後半期の古辞書を中核にして此の点を確かめておくと、何と一度は「わ」と表記していた語注語尾の語例が「は」と再び回帰していることに、此の「天河」の傍訓語例からも見てとれる。その顕著な語例を有するのが印度本『節用集』及び刷版本系三種の『節用集』となっている。取りわけ、饅頭屋本『節用集』の初刋本と増刋本は顕著に二分する。

 此の語中語尾に示す「わ」と「は」の表記について、古辞書のみならず此の時代を代表する諸作品の資料に基づいて出来る限り検証しておくことが肝要となる。
 次に、室町時代末頃に成った『運歩色葉集』完本二種(元亀二年本・静嘉堂文庫本)についても検証しておくと、
○天河(アマノカワ) ○銀河(同(アマノカワ)) ○銀漢(同(アマノカワ)) ○銀渚(同(アマノカワ)) 〔元亀本二五八頁2・3〕
○天河(アマノカハ) ○銀河(同(アマノカハ)) ○銀漢(同(アマノカハ)) ○銀渚(同(アマノカハ)) 〔静嘉堂本二五八頁2・3〕

○銀漢(アマノカワ) ○銀渚(同(アマノカワ)) 〔岡田真旧蔵本二五八頁2・3〕 
とあって、茲でも二種の資料があって、第五拍表記に差異が見えている。このことが『節用集』類で見た傾向と同じ状況化にあるとすれば、元亀二年本と静嘉堂本における原本書写年時の先行と後行とが垣間見られることにもなってくる。更に、此の点を精緻検証する方法として、猪熊本(岡田真旧蔵『節用集』=『運歩色葉集』の一本)を取り上げておきたい。上位「天河」「銀河」の標記語二語は未収載にしていて、下位部「銀漢」「銀渚」を以て記載する点は共通し、茲で、「銀漢」の付訓を「アマノカワ」としていて、此が元亀本『運歩色葉集』に共通する。また、二字、一字、三字、四字熟語という排列語記載を採用していて、この「あまのがわ」に、もう一語四字の標記語を所載する。次に示す。
 元亀二年本『運歩色葉集』〔阿部二六三頁6〕 静嘉堂本『運歩色葉集』〔阿部二九九頁5〕
 

※注記に「万」とあって、『万葉集』乃至古註釈『仙覚抄』や『類葉抄』に此の語が所載されていず、典拠資料書名の冠字を以て引用を示すに過ぎない。此の点を考慮しつつ『類葉集』〔延徳三(一四九一)年成る、京都府立総合資料館蔵〕を以て「あまのがは」のかな表記と漢字表記とを一覧した結果では、「天漢」三六例 「天河」一一例 「天川」二例 「天漢原」一例 「天之河」一例  「あまのかは」一例 「あまの河」三例を所載し、当該語の例は見えない。では、何を以ての記載なのかは今後の研究に俟ちたい。寧ろ、『和名抄』の記載真字体漢字表記に近い点も留意したい。

として、標記語「阿摩乃(賀)([脱字])波」「阿摩乃賀波」とし、元亀本「アマノガワ」、静嘉堂本「アマノカハ」と茲でも「ワ」と「ハ」と第五拍末尾部のカナ表記に差異を見せていて両写本の書写者には、当該表記例についてその記載にブレを見せていない。このことからも、同じ室町時代の書写でも、応仁の乱を境目と考え、元亀本が前で、静嘉堂本が後の書写意識と見ることができるのではないかとも考える。『運歩色葉集』には、零本として此の語を所載しない天文本(十六年本=京大蔵・十七年本=西來寺藏)二種があることも添えておき、この孰れの写本も現行残存部の語を以て孰れに最も近い書写本なのかを明らかにしていくことになる。
  
単漢字「漢」の「アマノガワ」
 『法華單字』〔保延二年写〕序品 
漢 アマノガワ アマノカワ ミツ
 
 
  漢[平] 加[平]讃[平]々/久[平]
 
あまのがは【漢】序品
 [単]アマノカワ、ミツ、トホス
 [心・享]ソラ、アマノカワ
 [西]トホル、ミツ、アマノカハ
〔▽、平聲、加讃々久・2オ38〕
 
 実際のところ、仏典資料『妙法蓮華経』のなかには、和語「あまのがわ【漢】」と訓む文例は見ることはできない。そのような語を此の『法華経音義』資料の最も古い『法華経単字』に収録することが、世俗庶衆の信仰厚き人々との聯関を見せていたことに他ならないと考察する。
 
語中「ワ」表記語例
 東麓破衲編『下學集』〔一四四四(文安元)年〕には、
○豊葦原(トヨアシワラ) 日本ノ總名ナリ也。亦ハ云二葦原之三穂(ミワ)ノ國ト一也。或書ニ云ク二神以テ[レ]矛(ホコ)ヲ探ルニ二海底ヲ一有レ物。碍(サワル)[レ]矛(ホコ)ニ。神ノ曰碍ル[レ]矛ニ物ハ何ソヤ哉。今ノ地主權現日吉答テ曰ク碍ル[レ]矛ニ物ハ即チ葦也。故ニ云二葦原(アシハラ)國ト[一]也〔天地門一九頁6〕 
とある。標記語「豊葦原」には「トヨアシワラ」と「ワ」表記する。だが、語注記「葦原國」
の付訓には「アシハラ(コク)」と「ハ」表記を交えている。此の両用のカナ表記の記載につては、同じく「ハ」と「ワ」混用表記する語例を凡て導きだし、その語例としておく必要がある。   
 慶長九年版『日本書紀』上卷神代
 
 

素戔嗚尊の田(ミタ)が三處(みつどころ)あり。号((なづけ))て「天(アマ)ノ樴田(クヒダ)」。「天ノ川(カハ)依(ヨリ)田((デン))」。「天の口(クチ)鋭田(トデン)」。此皆。磽地(ヤせトコロ)なり。雨(アメフレ)ば則ち、之れ流(ナカレ)ぬ。旱(ヒテレ)ば則ち、之れ焦(ヤケ)ぬ。故((かるがゆゑ))に素/戔嗚尊  

として、茲に当該語「あまのがは」の漢字表記を古辞書⑵に示す「天ノ川(カハ)」の語例として所載する。 
 あらひがは【洗革】 アライガワ〔元・二五九頁8〕   →アラヒガハ
 あわゆき 【沫雪】 アワユキ 〔元・二六〇頁5〕   →⇨アハユキ
 いはし  【鰯】  イワシ  〔元・氣形門六四頁4]
 ことはざ 【諺】  コトワザ 〔元・態藝門八〇頁1〕
 このわた 【海鼠腸】コノワタ 〔元・氣形門六五頁6〕
 しはざ  【云爲】 シワザ  〔元・言辭門一五六頁3〕
 たてはき 【太刀帶】タテワキ 〔元・態藝門七五頁5〕
 はらはた 【腸】  ハラワタ 〔元・支體門六九頁3〕
 くつは  【轡】  クツワ  〔元・器財門一一七頁1〕
 しは   【皺】  シワ   〔元・支體門七〇頁3〕
 たなわ  【手繩】 タナワ  〔元・器財門一一七頁2〕
実際、「は」と「わ」のかなを見ておくと、このように元和本では、すべて「ワ」表記を見せている。

※源順が活躍する時代より纔か数十年前に成る紀貫之がものした『圡左日記』一月八日の条に、
  てるつきのなかるゝみれはあまのかはいつるみなとはうみにさりける

※古典保存會『圡左日記』一月八日の条画像

と詠われていて、この和歌における「天河」のかな表記に着目しておくと、「あまのかは」と第五拍めのかな表記が「は」として記載していることが明らかとなる。このように、平安時代の初期の資料においては、「天河」を「河」を「かは」と「は」表記を以て記載することが見てとれよう。
 これが平安時代の終わりに成った、菅原孝標女『更級日記』〔国宝定家自筆本〕大納言殿の姫君の条では、
  世中に長恨歌といふふみを、物がたりにかきてある所あんなりときくに、いみじくゆかしけれど、えいひよらぬに、さるべきたよりをたづねて、七月七日いひやる。
ちきりけむ昔のけふのゆかしさにあまの河なみうちいてつるかな
返し、
たちいつるあまの河邊のゆかしさにつねはゆゝしきこともわすれぬ
とあって、「あまの河」と表記し、肝心な箇所を漢字表記で「河」としていることが何を意味するのかは今後も考察の対象となろう。
その反面、歴史物語『大鏡』〔東松本・平松家本〕には、世継と重木のやりとりの会話表現のなかに、
ぬしのたぶ事もあまのがハをかきながすやうに侍れど、おり〱かゝるひが事のまじりたる。されどもたれか又かうハかたらんな。佛在世の浄名居士とおぼえ給ものかな。〔東・第五冊49〕〔平一六三コマ、三三四頁〕

というように、「あまのがはをかきながすやうに」(「天(あま)の川(がわ)の水をさらさらと押し流すように雄弁でいらっしゃるが、」日本古典文学全集下段現代語訳〔三三四頁〕を参照。)と実際、人のなせる技ではできそうにもない天象の景色を変じて見せる譬えに見立ててもの言うなかに、凡てひら仮名表記で記載する語例を見る。茲では、両古写本とも「ハ」で表記する。上記翻字本では漢字表記「天(あま)の川(がは)」とし、ひらがな表記について理会できない様相としていて、手間暇を怠らず、必ず原本検証を進めておくことをお奨めしたい。
 ※『圡左日記』の書写内容説明については、伊井春樹「為家本『圡左日記』について」を参照されたい。

『太平御覧』引用の「あまのがは【漢】」
1詩曰倬彼雲漢昭回于天倬明也
2又曰倬彼雲漢爲章于天
3傳曰昭公四年星孛及漢水祥也賈逵解曰天漢水也或曰天河
4爾雅曰析木謂之津箕斗之間漢津也郭璞注曰津漢津也箕龍尾斗南斗天漢之津梁
5大戴禮曰夏小正月七日漢案户漢天河也案户言直南北也
6孝經援神契曰河者水之伯上應天漢
7史記天官書曰漢者金之散氣其夲曰水漢星多則多水少則旱孟康曰漢河漢也水生於金也
8漢書曰項羽封髙帝爲漢王帝不恱蕭何謀曰語曰天漢其稱甚羙願大王王漢撫其民還定三秦天下可圖也[008-11a]
9搜神記曰謝端少䘮父母爲隣人所養年十七未婚後感天漢中白水素女潜爲其炊以備飲食端後怪而潜候之得見言曰天哀忍孤貧恭順使我相爲守舎今旣見便去留不可
10博物志曰舊說天河與海通近丗有居海者年年八月有人浮查來甚大徃反不失期此人乃多賫粮乗查去忽忽不覺晝夜奄至一處有城郭居舎望室中多見織婦見一丈夫牽牛渚次飲之驚問此人何由至此此人即問爲何處荅曰君可詣蜀嚴君平此人還問君平君平曰某年某月有客星犯斗牛即此人到天河也
11枹朴子曰天河從北極分爲兩頭至于南極其一經南中過其一經東井中過河者天之水也隨天而轉入地下過
12張衡靈憲曰水精爲天漢[008-11b]
13河圖括地象曰河精上爲天漢
14三輔黄圖曰始皇都咸陽端門四逹以則紫宫渭水貫都以象天河撗橋南渡以法牽牛
15物理論曰星者元氣之英水之精也氣發而升精華上浮宛轉隨流名之曰天河一曰雲漢衆星岀焉
16集林曰昔有一人㝷河源見婦人浣紗以問之曰此天河也乃與一石而歸問嚴君平云此織女支機石也
17古詩曰河漢清且淺相去詎㡬許盈盈一水間脉脉不得語
18傳玄擬天問曰七月七日牽牛織女時㑹天河
19唐宋之間明河篇曰明河可望不可親願得乗槎一問津更將織女支機石還訪成都賣卜人

 狩谷棭齋『倭名類聚抄箋註』卷第一景宿類天地門【天河】

【翻刻】〔明治十六年、森立之編刊〕
天河 兼名菀云天河、一名天漢{今案又一名漢河、一名銀河、和名阿萬乃加波、○按廣雅、天河謂[二]之天漢[一]、兼名苑蓋本[レ]此」夏小正傳云、漢也者天漢也、毛詩小雅大東傳云、漢天河也、」那波本漢河作[二]河漢[一]、按白氏六帖有[二]銀河河漢」無[二]漢河[一]孔氏後六帖、亦引[二]韓詩[一]浩汗若[二]河漢[一]杜甫詩、驚風飜[二]河漢[一]則作[二]河漢[一]爲[レ]是、然類聚名義抄、載[二]天河漢河銀河三名[一]伊呂波字類抄、載[二]天河漢河銀河四名、[一] 並無[二]河漢之名[一]、伊勢廣本亦作[二]漢河[一]、與[二]諸古本[一]同、則知作[二]河漢[一]者、那波氏所[レ]改也、源君舊本誤作[二]漢河[一]或源君作[二]河漢[一]後人轉冩倒誤、並未[レ]可[レ]知、今姑依[レ]舊、昌平本漢河下有[下]又名[二]河漢[一]四字[上]疑後人傍書、誤羼[二]入注文[一]也、]阿万乃加波、萬葉集天河天漢字両用、

と記載する。
 【翻刻一文】  
⑴天河 兼名菀云天河、一名天漢
⑵{今案又一名①漢河、一名②銀河、和名③阿萬乃加波、
⑶○按④廣雅、天河謂[二]之⑤天漢[一]、
⑷★兼名苑蓋本[レ]此」
⑸⑥夏小正傳云、⑦漢也者⑤天漢也、
⑹⑧毛詩小雅大東傳云、⑨漢天河也、」
⑺⑩那波本①漢河作[二]⑪河漢[一]、
⑻按⑫白氏六帖有[二]銀河河漢[一]」
⑼無[二]⑬漢河[一]
⑽⑭孔氏後六帖、亦引[二]⑮韓詩[一]
⑾⑯浩汗若[二]⑪河漢[一]
⑿⑰杜甫詩、⑱驚風⑲飜[二]⑪河漢[一]
⒀則作[二]⑪河漢[一]爲[レ]是、
⒁⑳然㉑類聚名義抄、載[二]天河漢河銀河三名[一]
⒂㉓伊呂波字類抄、載[二]天河漢河銀河四名、[一]
⒃並無[二]⑪河漢之名[一]、
⒄㉔伊勢廣本亦作[二]⑬漢河[一]、
⒅與[二]㉕諸古本[一]同、
⒆則知作[二]⑪河漢[一]者、㉖那波氏所[レ]也。
⒇㉗源君舊本誤作[二]⑬漢河[一]
21或㉗源君作[二]⑪河漢[一]
22㉘後人㉙轉冩㉚倒誤、
23並㉛未[レ]可[レ]知、
24今㉜姑依[レ]舊、
25㉝昌平本⑬漢河下有[下]又名[二]⑪河漢[一]四字[上]
26疑後人㉞傍書、誤㉟羼[二]入㊱注文[一]也、」
27㊲阿万乃加波、★萬葉集天河天漢字㊳両用、
【一文訓み下し】
⑴①天河(テンガ)あまのかは 『兼名菀(ケムメイヱン)』に云(いは)く、①天河(テンガ)あまのかはなり、一名(イチメイ)、②天漢(テンカン)なり
⑵{今、案(アン)かんがふるずるに、又(また)、一名(イチメイ)、③「漢河(カンガ)」なり、一名(イチメイ)、④「銀河(ギンガ)」なり、和名(ワミヤウ)は⑤「阿萬乃加波(アマノカハ)」なり。
⑶○按(アン)かんがふるずるに、⑥『廣雅(クワウガ)』に、①「天河(テンガ)あまのかは」を之(こ)れ、②「天漢(テンカン)」と謂(い)ふ。
⑷★『兼名苑(ケムメイヱン)』に、蓋(けだ)し、此(こ)れ本(ホン)もととす。
⑸⑦『夏(カの)小正傳(せウせイデン)』に云(いは)く、⑧「漢(カン)也(なり)」は〈者〉⑤「天漢(テンカン)」なり〈也〉。
⑹⑨『毛詩(マウシ)小雅(せウガ)大東傳(タイトウデン)』に云(いは)く、⑩「漢(カン)」は①「天河(テンガ)あまのかは」なり〈也〉。」
⑺⑪那波本(ナハボン)(=廿卷本)に、③「漢河(カンガ)」を⑫「河漢(カカン)」に作(つく)る。
⑻按(アン)ずるかんがふるに、⑬『白氏六帖(ハクシロクデウ)』に、④「銀河(ギンガ)」、⑫「河漢(カカン)」と有(あ)り。
⑼③「漢河(カンガ)」は、無(な)し。
⑽⑭『孔氏(カウシ)後(コウ)六帖(ロクデウ)』に、亦(また)、⑮『韓詩(カンシ)』を引(ひ)く。
⑾⑯「浩汗(カウカン)」は、⑫「河漢(カカン)」の若(ごと)し。
⑿⑰『杜甫詩(トホノシ)』に、⑱驚風(キヤウフウ)、⑫「河漢(カカン)」を⑲飜(ひるがへ)す。
⒀則(すなは)ち、⑫「河漢(カカン)」と作(か)き、是(こ)れに爲(つく)る。
⒁⑳然(しか)るに、㉑『類聚名義抄(ルイジユウミヤウギシヤウ)』に、①「天河(テンガ)あまのかは」を③「漢河(カンガ)」、④「銀河(ギンガ)」の三(み)つの名(な)を載(の)する。
⒂㉓『伊呂波字類抄(イロハジルイシヤウ)』に、①「天河(テンガ)」、③「漢河(カンガ)」、④「銀河(ギンガ)」の四(よ)つの名(な)を載(の)す。
⒃並(なら)びに、⑫「河漢(カカン)」の〈之〉名(な)は無(な)し。
⒄㉔伊勢廣本(いせくはうほん)に、亦(また)、③「漢河(カンガ)」に作(か)く。
⒅㉕諸(シヨ)もろもろの古本(コホン)、與(とも)に同(おな)じ。
⒆則(すなは)ち、⑫「河漢(カカン)」と知(し)り、作(か)くは〈者〉、㉖那波(ナハ)氏(うぢ)が改(あらた)む所(ところ)なり〈也〉。
⒇㉗源君(ゲンクン)の舊本(キウホン)③「漢河(カンガ)」と誤(あやま)り作(か)く。
21或(ある)いは㉗源君(ゲンクン)⑪「河漢(カカン)」に作(か)く(や)。
22㉘後人(コウジン)のちのひと、㉙轉冩(テンシヤ)し、㉚倒誤(タウゴ)する(や)。
23並(なら)びに、㉛未(いま)だ知(し)るべから〈可〉ず。
24今(いま)、㉜姑(しばら)くは、舊(キウ)に依(よ)る(こととす)。
25㉝昌平本(シヤウヘイボン)、③「漢河(カンガ)」の下(した)に又(また)、⑫「河漢(カカン)」と名(な)づく(といふ)、四字(ヨンジ)有(あ)り。
26㉘後人(コウジン)のちのひと、㉞傍書(バウシヨ)を疑(うたが)ひ、㊱注文(チユウモン)に㉟羼入(せンニフ)まじりいりし、誤(あやま)りなり〈也〉。」
27⑤「阿万乃加波(アマノカハ)」、★『萬葉集(マンエウシユウ)』に、①「天河(テンガ)あまのかは」、②「天漢(テンカン)」の字(ジ)を両用(リヤウヨウ)す。

【引用書目一覧】
★『兼名苑(ケムメイヱン)』〔佚書〕

①『廣雅(クワウガ)』卷八・五オ3〔四庫全書〕



○朱明曜靈東君日也夜光謂之月天河謂之天漢震霣于慜䨨追雷也□運也







②『太歳(タイサイ)禮記(ライキ)』夏(カの)小正傳(せウせイデン)第四十七





○漢案户漢也。者天漢也。案各本脱此四字今據文選西征賦月賦注所引案户也。者直户也。言正南北也。〔卷二、四ウ〕

③『毛詩(マウシ)』小雅(せウガ)大東傳(タイトウデン)  『毛詩講義』卷六〔十二ウ〕



或以其酒不以其漿鞙鞙佩璲不以其長維天有漢監亦有光跂彼織女終日七襄
○⑩「漢(カン)」は①「天河(テンガ)あまのかは」なり〈也〉。
④『白氏六帖(ハクシロクデウ)』卷二・天河十一〔二十八オ〕




○白天河謂之天漢[銀漢銀河河漢天津絳河明河]倬彼雲漢倬明也。
  白に天河を之れ天漢と謂ふ。[銀漢、銀河、河漢、天津、絳河、明河]
⑤『孔氏(カウシ)後(コウ)六帖(ロクデウ)』




⑽⑭『孔氏(カウシ)後(コウ)六帖(ロクデウ)』に、亦(また)、⑮『韓詩(カンシ)』を引(ひ)く。
⑾⑯「浩汗(カウカン)」は、⑫「河漢(カカン)」の若(ごと)し。

⑥『杜甫詩(トホノシ)』→『全唐詩』卷十三〔二八オ〕



夜深坐南軒明月照我膝驚風翻河漢梁棟已出日羣生各一宿飛動自儔匹吾亦驅其兒營營為私實[洙曰一作室]天寒行旅稀歲暮日月疾榮名忽[洙曰一作感]中人[洙曰楚辭以薄寒中人]
○驚風(キヤウフウ)は、河漢(カカン)を翻(ひるがへ)す。〔驚風翻河漢〕

㉑『類聚名義抄(ルイジユウミヤウギシヤウ)』〔観智院本『類聚名義抄』天理図書館蔵〕
㉓『伊呂波字類抄(イロハジルイシヤウ)』〔十巻本、大東急記念文庫蔵〕

★『萬葉集(マンエウシユウ)』→万葉集校本データベース参照(寛永版を基軸とする)。

既に、「織女」の項目に詳細を記述する。
①波都乎婆奈 々々尓見牟登之 安麻乃可波 弊奈里尓家良之 年緒奈我久〔卷廿・大伴家持、四三〇八番〕
②由布豆久欲 可氣多知与里安比 安麻能我波 許具布奈妣等乎 見流我等母之佐〔卷十五・三六五八番〕
③安麻能我波 々志和多世良波 曽能倍由母 伊和多良佐牟乎 安吉尓安良受得物〔四一二六番〕
④安吉佐礼婆 奇里多知和多流 安麻能河波 伊之奈弥於可〈婆〉 都藝弖見牟可母〔卷廿・大伴家持、四三一〇番〕
※現行『万葉集』における真字体漢字表記は、A「安麻能可波」B「安麻能我波」C「安麻能河波」の三種の表記に留まり、「安麻」は「天」字のみに留まらず「海人」の表記にも共通する。

㉗源君(ゲンクン)→源順(みなもとしたごう)
㉗源君(ゲンクン)の舊本(キウホン)
㉔伊勢廣本〔東京都立中央図書館河田文庫蔵『倭名類聚抄』〕
㉖那波(ナハ)氏(うぢ)〔那波道圓本(元和版)〕
㉝昌平本(シヤウヘイボン)〔東京国立博物館蔵〕

 【語解】
⑽⑭『孔氏(カウシ)後(コウ)六帖(ロクデウ)』に、亦(また)、⑮『韓詩(カンシ)』を引(ひ)く。
⑾⑯「浩汗(カウカン)」は、⑫「河漢(カカン)」の若(ごと)し。
こう-かん[カウ‥]【浩汗】〔名〕(形動ナリ・タリ)(1)広くかぎりのないさま。水の広大なさま。*米欧回覧実記〔一八七七(明治一〇)〕〈久米邦武〉一・一四「渓澗の水は、鍾(あつま)りて両股の河となり、『ハッセーチ』河に注ぐ、其流浩汗なり」*大唐三蔵玄奘法師表啓「銀𨫒玉宇亦浩二汗於南宮一」*魏書-穆亮伝「況洪河浩汗、有二不測之慮一」(2)物が多く、ゆたかなさま。*永平道元禅師清規〔一三C中〕知事清規「如二殿閣内銭物浩汗一。即堂頭請レ之」※棭齋『倭名類聚鈔箋注』の此の⑯「浩汗(カウカン)」の語例は、当然『日国』第二版に今後採録されるべき用例と言えよう。

26㉘後人(コウジン)のちのひと、㉞傍書(バウシヨ)を疑(うたが)ひ、㊱注文(チユウモン)に㉟羼入(せンニフ)まじりいりし、誤(あやま)りなり〈也〉。」

 諸橋轍次著『大漢和辞典』〔大修館刊〕卷九

※『大漢和』の熟字語例を此のように記載するのだが、『倭名類聚鈔箋注』に用いた熟字㉟「羼入(せンニフ)まじりいりし」は採録を見ない。となれば、漢語サ変動詞で読む以上に和語「まじり-い・る」と和語複合動詞で訓むことが浮上してくる。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
あま-の-がわ[‥がは]【天川・天河】〔名〕(古くは「あまのかわ」とも)(1)銀河の異称。天空の川に見たてる。七月七日の夜、牽牛と織女がこの天の川を渡って年に一度逢うという、七夕の伝説が有名。銀漢。天漢。《季・秋》*万葉集〔八C後〕一五・三六五八「夕月夜(ゆふづくよ)影立ち寄り合ひ安麻能我波(アマノガハ)漕ぐ舟人を見るが羨(とも)しさ〈遣新羅使人〉」*十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕一「天河 兼名苑云天河一名天漢〈今案又一名漢河 又一名銀河也 和名阿万乃加波〉」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕東屋「あまのかはを渡りても、かかる彦星の光をこそ待ちつけさせめ」*日葡辞書〔一六〇三(慶長八)~〇四〕「Amanogaua(アマノガワ)」*俳諧・奥の細道〔一六九三~九四頃〕越後路「荒海や佐渡によこたふ天河」(2)「たなばた(七夕)」、また「たなばたまつり(七夕祭)」のこと。*雑俳・柳多留-一八〔一七八三(天明三)〕「四方からふでをつっこむ天の川」*雑俳・柳筥〔一七八三(天明三)~八六〕一「白い短冊はまま子の天の川」【発音】アマノガワ〈なまり〉アマスガー〔八丈島〕アマネガワ〔津軽語彙・岩手〕アマノカワ〔長崎〕アマンカワ・アメノカワ〔熊本分布相〕〈標ア〉[ノ]〈ア史〉平安・鎌倉○○○●○〈京ア〉[ノ]【辞書】和名・色葉・名義・和玉・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【天河】和名・色葉・名義・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・書言・言海【銀河】名義・伊京・天正・易林【銀漢】色葉・名義・天正・書言【漢河】色葉・名義【天漢】文明・伊京・ヘボン【銀璜】色葉【漢】和玉【銀浦】伊京【銀潢】書言

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