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あとでバレるのに、その場を切り抜けようとする人
これまで書いてきたコラムの中では比較的評判の良かった回に、「両親から教わってきたこと」をテーマにしたものがあります。
その中で、私は母親に「嘘をついてはいけない」というのを幼少期から叩き込まれたというエピソードを披露しています。
これは、大人になってから困るからいう情操教育の一環でもあったと思うのですが、実際驚くのは大人になっても嘘をつく人が結構いるという事実。
それも、やってもいないことを「やった」と嘘をつく人。
ちょっと調べれば、すぐに嘘が露呈するのです。
また、ちょっと時間が経てば、すぐに嘘だとバレてしまうのです。
それでも、「その場逃れ」という言葉がある通り、その瞬間だけを切り抜けようというある種の防衛本能が働くのか、とっさに「はい、やりました」「やっています」と平気で言ってしまう。
ひょっとしたら、自らを守ることに必死で、当人としては嘘をついている意識すらないのかもしれません。
ところが当然ですが、自ら吐いたその嘘が、結果自らを追い詰めることとなります。
当たり前ですが、嘘をついた相手からの信頼を失います。
こういう人が嘘をつく理由は、大抵の場合、「叱られたくないから」という程度のものですから、まずは呆れられます。
信頼を失うということは、言い換えれば「関係性が崩れる」ということです。
相手からはこれまでのようには見られなくなりますし、もっと言えば、これまでのように期待されることが減っていきます。
少しうがった見方かもしれませんが、「叱られたくない」「責任を取りたくない」という思考の人は、消極的な姿勢の人という捉え方もできます。
叱られたくないから、責任を取りたくないから、決められない。
決められないから、そのことについては深くは考えたくない。
上司から見ても、部下から見ても、「決められない人」や「考えられない人」への評価はいつまで経っても低いままです。
積み上げてきた実績がないから、信用できないというか、「信用がない」のですよね。
上司の判断としては、こういう人を責任ある立場に立たせてしまっているのだとすれば、どこかで考えないといけないでしょうけれども、大変なのは部下たちです。
自分の方が優秀な部下だと、自分だったらどのように決めるのかをちゃんと考えていますから、かえって上長の不甲斐なさを実感するとともに、そこにジレンマが生じます。
そして、いつしかそれがストレス要因ともなり、結果、優秀な部下たちはあきれて、どんどん立ち去っていきます。
とっさに嘘をつく人というのは、その人が信じている考え方、つまり思想や価値観のレベルが低いのだと思います。
今さえ良ければいい。自分さえ良ければいい。
こうした刹那的な考え方が、行動としてあらわれて、その自分勝手さに部下や組織が巻き込まれていきます。
虚構や虚実というか、まるで張りぼてのような中身のない姿勢というのが、結局、その人の生き方であり、人生そのものなのです。
そして、突き付けられる現実から目を背けて生き続けているかぎりは、いつまでも自己肯定感が低いまま変化するどころか悪化の一途を辿っていくはずです。
現実に正面から向き合ってみる。
嘘をつかずに、現実を受け入れてみる。
叱られたことを正してみる。
自らを変えようという意志から、自己肯定感の得られる関係性や環境の構築が始まります。
今日も読んでくださいまして、ありがとうございます。
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