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恋バナ
知り合いに、ずっーと婚活・恋活をし続けているにもかかわらず、なかなかお付き合いに至らなかったり、いざお付き合いが始まっても長続きしなかったりで、愚痴ばかり言っている人がいます。
詳しく話を聞いてみると、こういう人に限って、結構相手の好みが細かかったりします。
容姿、身長、年齢。
髪はないとイヤだ。身長は最低でも何センチ以上。年上とは絶対に合わない。
せっかくあちらがこっちのことを良いと思ってくださっていても、上記の自分の条件に見合わなければ、お断りをしているようでもあります。
一緒に過ごしてどうなのか、どんな人となりなのか、その辺りの確認を一切しないままお断りをしている自分がいるくせに、「いい相手が見つからない」とボヤいているのですよね。
そして、自分の条件に見合う方からお断りを受けると、それについてもボヤいています。
せめて清潔感があるかどうかくらいで大きく判断をして、まずは会ってみるとかどうなのかな、と個人的には思ってしまいます。
キムタクだって禿げたら私と大して変わりませんし、背が小さくたってお互いが横になったら同じ目線で会話もできます。年齢だって、実年齢と精神年齢は比例しませんから一概には年上年下どちらがいいともダメとも言えません。
実際に会ってみてその人物の接し方が相手本位かどうかとか、より親密になってみて体の相性はどうかなどもう少し掘り下げてみて初めて確認できることが沢山出てくるはずです。
多くの出会う機会が目の前に訪れているにもかかわらず、狭い枠組みを設けることで、その機会を失っているというか、自ら課した根拠のないルールでとても損をしているような気がしてなりません。
相手に求めるだけでは、自分の理想は得られません。
付き合う相手に「どうあって欲しい」と理想を求めるよりも、その人と付き合った時に「どんな自分でありたいか」という理想を求めていく方が生きやすいと思っています。
「どんな自分でいられるかどうか」、その理想の状態が相手にとっても好ましい環境であれば、結果相手も少しずつ好意を寄せる対象に合わせて変わってくれるのだと信じています。
相手は自分自身を映し出す鏡です。
目の前に転がっている石が、磨けば光る宝石になるのだと気づかない人は、同じように相手からも石ころにしか映らない存在なのだと思います。
見方を変えれば、機会は沢山あるはずですし、その分自分の魅力に気づいてくれる相手との出会いも必ず見つかるはずですし、そうであって欲しいなと願っています。
なお、禿げたキムタクが私と大して変わらないというのは言い過ぎでした。申し訳ございません。
今日も読んでくださいまして、ありがとうございます。
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