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言葉の力

先日のコラムでは、「環境は心のあらわれ」であるということの一環として、文章にもそれを書いた人の人柄や在り方が表れるものという話をしました。

そして、文章というのは単語の積み重ねです。

ひとつひとつの言葉に意味というか「含まれる要素」があり、その要素を積み重ねることで醸し出される雰囲気というかイメージが生じていきます。

この、もともと形のないものを「言葉」によって縛ることを「しゅ」と言うそうです。

好きな作家に夢枕獏さんがいるのですが、彼の代表的な作品である「陰陽師」において主役の安倍晴明は「この世で一番短いしゅ」は「名前」だと言っています。

「眼に見えぬものさえ名というしゅで縛ることができる」、それが言葉の力でありしゅの力です。

風や空気やお化けなど、実際は目では見えない事象も、全て言葉にすることで意味のあるものとして括ることが可能となります。

ところで、この「呪」という言葉ですが、もともとの意味は「祝」と同じで、「人が神前で祈りの文句を唱えること」だそうです。

「のろう」だけではなくて、「まじなう」とも読むのはその名残でしょうか。

同じ祈りを唱えるにしても現代では目的別に、

人の幸福を喜ぶことを「祝」
人の不幸を願うことを「呪」

と区別しているとのこと。

ところが、以前のコラムでも触れましたが、言葉の区別はあったとしても、その言葉を使用する我々人間の脳はその区別をせずに受け入れるのですよね。

どういうことかというと、相手に対しての祝い言葉でも自分に対しての祝い言葉として脳は受け入れ、また、相手に対しての呪いの言葉でも自分に対しての呪いの言葉として受け入れるということです。

人を呪わば穴二つ。

昔の人は経験から学ばれていたのでしょうね。人を呪えば自分も破滅するということです。

かつて、プロゴルファーのタイガー・ウッズは、勝負の局面で対戦相手の選手がパットなどを打つ際には「上手くいきますように」と願っていたそうです。

「絶対にハズれろ」「ミスしろ」という願いは、結局は自分自身へ働きかける呪いとなるのですよね。

自分が用いた言葉は、自らに作用していくという話でした。

今日も読んでくださいまして、ありがとうございます。

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