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言葉遣いは自らに跳ね返る
言葉狩りとはまた違いますが、ネットなどでの発言で炎上する有名無名の人が後を絶ちません。
性別や人種や宗教などへの差別発言やヘイトスピーチが炎上の主な要因となっています。
アイヌや沖縄などの歴史もありますが、大まかにはほぼほぼ単一民族という文化的背景からも、そもそも日本人にはこの辺りの「多様性」への認識が希薄なのだと勝手に思っています。
興味がないとかではなく、特に人種や宗教などの問題について深く考える必要性がそれほどない文化であったということですよね。
ところが、今や時代は世界的規模で思考するということで「グローバル」とか「SDGs」とか様々な横文字の氾濫と同時に、欧米の文化潮流が押し寄せてきています。
もちろん、「みんな違ってみんないい」とか、「みんな平等の権利がある」とか、「持続可能な社会をつくろう」とかの考え方や取り組みは素晴らしいものだと思っています。
ただ、それと同時にそれぞれの違った考え方を発信する手段がとても豊富な世の中になってしまいました。
これまでは自分の想いや考えは、自分ひとりの中でそっとしておいたり、せいぜい日記に綴ったりしていただけだったものが、外部へ向けて発信できるようになってしまいました。
ここで、炎上している発言の何が問題なのかと言いますと、もちろんその内容なわけですが、一番には「不用意」であるということ。
何が不用意かというと、「この発言によって傷つく誰かがいる」という可能性をあまり考えていないという点です。
反発を受けるということは、その言葉によって傷を受けたり、刺激を受ける相手が発生したりするということです。
そうした相手とことを構えるのであれば、そもそも何のためにそのような発言をしたのかという明確な目的と、自身の発信したメッセージに対する責任と覚悟が必要です。
ところが、大抵の炎上発言には、その目的や覚悟が見受けられないことの方が多い気がします。
だからこそ、反発する材料も多くなり、その分よく燃えるのだと思うのですよね。
ニュースにもなっていましたが、「身長170センチない男性には人権がない」なんて発言をした人は、結局スポンサー契約を切られ、所属事務所からも除籍されて社会的に抹殺されてしまいました。
当たり前ですが、私のように人権がなくなってしまった対象は、この発言に対して決して良い印象は受けません。
自身の中で密やかに持っておけば良かった思想や嗜好をオープンにすることのメリットとデメリット。
この辺りの線引きが曖昧な人が炎上する火種をバラまいています。
それと、誰かを悪く言うと、それは全て自身に跳ね返ってくるという事実。
自らが発信した内容は、全て自分自身にそうなるように暗示していることとなります。
気持ちとはその人の「気の持ち方」のこと。
人のことを悪く思う気持ちは、結果、自分のことを悪く思う気持ちを周囲から呼び寄せ、そのマイナスのエネルギーが発する熱のことを「炎上」と言うのだと思っています。
今日も読んでくださいまして、ありがとうございます。
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