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社畜新学#13 予測できないことは必要なタイミングで起こるのかもしれない

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先週のことだ。
ちょうど猫山課長セミナーのnoteを上げたその日。
コレ

私はnoteを毎週火曜日に更新している。
だが時間は決めていない。
だが大抵夕方から夜に公開している。

だが、この#12は珍しく朝、通勤時にアップした。
SUNABACOで行われた猫山課長イベントの熱量がそうさせたのだろうか。

もしくは、本能が夜に起こる出来事を察知していたのだろうか。


突然だが、私は今松葉杖をついて生活している。
きっかけは、先週火曜日の会社帰りのことだ。

そのときのXのポストだ。
この翌日、整形外科に行ったら、治るまで3週間。(経験的に病院で言われるよりは大体早く治る)。
ちなみに今日もこの後に整形外科へ行ってくる。

人生初の万単位のインプレッションは、予測もしなかったことが起こったことに対するやるせない怒りをポストしたときに産まれた。

それも3万という大きな数字で。

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よくよく考えてみた。
瞑想したけど、頭が空にならないから諦めて、逆に徹底的に考えてみた。

もしこの日もいつもと同じように、夜にnoteをアップしていたら、きっと疲れ果てていた私はnoteを投稿せずに終わっただろう。
JRや警察に事情をお話したことやケガの痛みで疲れていたのだから。

ということは、
noteの神はワイのことを見離さなかったのか。
それも猫山課長のイベント会の投稿という大事なときに。

「決めたら書く」

継続することの大切さをワイに伝えるためだったのかもしれない。

松葉杖をついて生活。

骨は折れていないので、少しであれば歩けてしまう。だけど治りを早くするために松葉杖を使う。


ならこの不便から何かを得ることを徹底的にやってみよう。
触ると肉が凹んでいる痛い足が早く良くなるなら、あえてポジティブに取り組むのも一手だ。



場面は通勤時。

私が住んでいる田舎では、ラッシュといえど山手線のような状況にはならない。

とはいえ、札幌駅ではそれなりの人波ができる。

松葉杖をついた私は、階段になかなか行けないでいた。
人波が落ち着いたタイミングで改札に向かう。
札幌駅を出るのに、いつもより5分は余計にかかる。

自分でいうのもなんだが、僕は仕事のときに待つことが苦手だ。
通勤も例外でない。
懺悔しなければならないが、これまで私は前にゆっくりと歩く人がいたらイライラしていた。
そしてそのイライラを隠そうともしていなかった。
そして今自分が人より早く歩けなくなったときに、皆が皆早く歩けるわけではない、と身をもって感じさせられている。

気づいた。

私は自分のことばかりで、明らかに他者(それも弱い人)への配慮が足りていない。
普段自分が接することのない同じ時間軸に生きている誰か。
そういう人への優しさを持つように。

そう示唆されているのかもしれない。

これは仕事についても似たようなことが言える。
待てないことでイライラして急かしてしまう。

これが急かされた側のパフォーマンスが下がり、長い目で見ると全体の生産性を下げていたのではないか。

私自身の仕事の進捗と全体的な進捗はまた別だ。

もっと視座を上げる訓練を積むべきなのかもしれない。

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話題を変えよう。

ワイの家の近所のセイコーマート。
ここの店員さんは若いアルバイトさんが特によく気づくし元気がいい。

元気よく接客のいいお店だ。

松葉杖の私が買い物に行ったら、帰りにわざわざドアを開けてくれた。

とても嬉しいし、ありがたい。

だが、ちょっと待ってほしい。

今、私は感謝しているが、こういったホスピタリティは日常的にセイコーマートに行ったときに受けていたはずだ。

だけど怪我して弱った今だからこそ、ここぞとばかりに感謝している。

これは実に浅ましい。

もっと日頃から感謝の気持ちを持たないと。

無意識に他人にしてもらったことへの感受性が弱くなっている自分のことを、まともに歩けないという事実が示唆したのではないか。

傲慢まではいかないかもしれない。
だが日常を普通に過ごせることへの感謝が薄い。
そんな自分を戒めているのではないか。

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もっと考察してみた。

ワイは歳をとって考えが凝り固まり、ズレたことしか言わなくなった老人を「老害」だと思ってきた。

だけど今の松葉杖生活のように、自分の身体は歳をとった人と同様に弱るときがいつか来る。

そのとき、僕は老害になりたくない。
だから日々のアップデートを積み重ね続ける。
そう思ってきた。

そして、今はそれに加えてこうも考えている。

身体が弱ってきた老人に対して、過去にされた理不尽なことを旗印にして、フルボッコにするようなことはしてくない。
それも当人だけではなく、世代全体に対してレッテルを貼って。

いずれは自分も行く道だから。

もちろん、年長者に対しても必要なことは主張する。それはビジネスでも私生活でも同じだ。

ただ、弱り始めてきた彼らに対して優しく接することができる心の余裕。

そんなものを持ち合わせた成熟した大人でいたい。


ありえないようなことが起こる。
怒りに身を任せることもできる。

だけど何かを見つけることも出来る。

どちらがいいですか?

ありえないようなことが起こったその時。
心をどう整理しますか?

一呼吸置いて、冷静に。

他人が弱っているときは、優しく。

そんな、心の余裕をもった自分でいたいから、

今日も

やるか絶対やるか

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