「ことば」と「言葉」
この頃、歌詞を聴く訓練をしている。
今まで僕のイヤホンから流れる音楽は、J-popであり、K-popであり、Hip-hopであろうとも、それはリズムであり、「ことば」にすぎない。僕が思うに大学の講義もあれ自体は「ことば」になりかけている。僕らは大金を親に払ってもらい「ことば」を聞きに行ってしまっている気がする。(あくまで持論)
じゃあ「言葉」って何なの。
僕が今もっとも考えたく、知りたいこと。「言葉」
1回目のゼミのキックオフ。皆が今の気持ちをもらしてた。緊張。不安。
じゃあ自分がもらしていたのは、他人にとって「ことば」に取られただろうか、それとも「言葉」だっただろうか。時間が経って思い返したように、頑張って「言葉」を綴っている今、その結果を知ることは難しい。
ここ最近の生活では「ことば」に慣れすぎた気がしなくもない。
海に行ってウインドして、バイトして、ご飯食べて、寝て。別に悪い生活じゃないし、友達もたくさんできたけど、そこで話されるのって「言葉」とは違うと思う。だからもう少し違う「自分」になれるんじゃないかって感じる。
知らない人、自分とかけ離れた生活をしてきた人、信じられない人、意味のわからない人。こんな人たちと話すことで自分は「言葉」を聞き、「言葉」を話すことができるんじゃないかって、期待と想像が膨らむ。
けど、現実は厳しいもの。
最近行った海外インターンの説明会でいろんな同世代の人に「話しかけられた」。別に僕が有名な人であったわけでもなく。かっこよかったわけでもない。(もしかしたら肌が黒かったからかも)彼等は「言葉」で話しかけてきて、僕に「言葉」を求めた。そこに僕は何の面白みもない「ことば」で返した。さぞ呆れただろう。
彼等の発する「言葉」には、決して綺麗事でなく、意味もあり、もう何とも言い難かった。詰まる所圧倒させられた。焦りも感じた。ウインドばっかやってた一年をもっと何かできなかったかなって若干後悔もした。
けどその中で、会話し意見を交わすうちにあーすげーっていうずっと感じよりかは、自分は自分だしこの人たちからめっちゃ吸収すれば、決して遠い存在でもないんじゃないかなとも思った。「言葉」を話せるようになるんじゃないって思った。
まあこういうのって、時間をかければどうこうなるってもんじゃない気もする。
けど、じっくりゆっくり「言葉」聞きながら、自分なりに行きたい。
そんな気がする。
長谷川 尚紀