FBアイコンのお話
パリのテロから一年。
あの時こう思っていました。
周りの人たちが笑顔アイコンを三色旗に変えているのを眺めていて。
…でもこういうことを言い出すと、善意の誰かの行動をどんどん制限していく方向に社会が動きそうで、それはそれで問題なんだけども。
過去にFBで投稿したものをココに載せてみることに。
違和感はコレか。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/furuyatsunehira/20151115-00051478/
私も確かに気持ちはアイコンを変えている人たちとそう変わらず同じなハズで、でもコレを変えるだけで追悼や怒りや悲しみの感情を表せるものではないと思っている。
別に変えている人に対して批判の気持ちは無いけれど、例えば自分で変えたとして、それを戻すタイミングは「見つからない」気がして変えられない。
戻した途端にもうこの人はテロの事件は解決したと思っているのだと誰か一人にでも思われるかもしれないことがイヤで、犠牲者は決して戻ってくるわけではなく、また、オサマ・ビン・ラディンの時のように、テロリストのトップが例えば今後割れてその人を逮捕に至った場合に、テロリストであってもその犯人を殺すことに歓喜する人たちの顔を見ることになるのかと思うとあまりいい気はしない。ビン・ラディンの時の歓喜する人々の顔がどうも忘れられない。
そこで歓喜する中に入りたく無いのだ。勿論今回の首謀者たちは捕まっては欲しいと思うのだけど。…矛盾してるだろうか。
だからきっと、今回のテロリストたちが壊滅したともし判明したところで、それはフランス国旗の色に変えたアイコンを戻すタイミングでは、私の中では無い。
この波に乗らないからといって、そこに気持ちが無いわけではないことを此処に表明しておこうと思う。
フランス在住の友達、とても心を傷めてるだろうけど、そして不安な日を送ってるだろうけど、とりあえず、とりあえず、無事で良かった。心から。