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謝らない、も、大事。
子供がまた熱を出した。
私の仕事は佳境を迎えている。オットは快く、というか半分仕方なく、みてるから行ってきていいよーと言ってくれる。
子供が熱を出している時に仕事に行きたい母なんて世の中には存在しない。(ハズ)
半ば心の中で泣きながら、感情を押し殺して職場へ向かう。
ウチは、まだマシ。
夫がサラリーマンの家庭では夫はあまり休めない、というか、妻も休めないはずなのだけど、子供の病気で休みを取るのは大抵妻の方、な世の中。(一部の、ハイグレード夫婦?だったり、どちらかが抜けても積もらない仕事をしている場合はちょっと違う)
我が家のオットはいわゆるノマドなので、割と時間の融通は利く。けれど、逆に言えば24時間仕事をしている可能性があって、夜中に仕事をしていると、日中睡眠をとることになる。
オット、寝不足状態で子供が体調不良で保育園行けないとなると、なかなか、1日1人で見てるのはとてもキツイはず。でもって、我が家は子育ても家事も50:50みたいな家庭なので普段はパパだけで何も問題ないのだけど、体調不良の時はやっぱりママ抱っこーがいいらしい。
…自分が2人欲しい…
私の仕事はあまり代わりがきかないというか、自分だけがわかってること、が割と幅を占めてるのと、とりあえず365日分の仕事を平日時短勤務中にやる、という仕事なので、(土日の分は前倒し、などなど)普段なら1日2日抜けても先に先にやっておけば、「少しの迷惑」で済むのだけど(でも迷惑はかけるっていう…)…なんせ今日は。
なかなか数年に一度あるかないかの仕事内容と量の時で。いつもは時短勤務で夕方には帰るのに、昨日は帰宅したのは23時だった。
帰宅した時は完璧に育児をやってのけてくれていて、ちゃんとお風呂もいれて寝かしつけしてくれてたのだけど。(なんならママのご飯まで作ってくれているという完璧さ)
昨夜は元気だった、我が子。多分私が寝顔見たときもすぅすぅ眠っていたのでなんともなかったはずなのに、真夜中3時半。ちょっと起きて泣いたと思ったら熱い…39.1℃。
今朝には37.8℃まで下がったものの、保育園お休み。オット様、ごめん…
行きたいワケではない仕事に、家庭で謝り、向かうのって精神衛生上あまりよろしくない。単に自分の中の責任感で放置できないだけだ。そんなにキャリアウーマンでもない。粛々?と生活の為に働いているし仕事への愚痴やらなんやらは山ほどある。
世間では、何故か「子供を保育園にいれてまで働くママ」は仕事が好きで自分の為にお金を使いたいから稼いでおきたいとか、そういう風に見られがちな気がしてる。(けど、どうでしょうか?)
私みたいな低めのモチベーションで半ば仕方なく、でも割り当てられた仕事内容的には「やらなきゃ無責任」状態で仕事に向かってるママって、意外と多いんじゃないかな、と。
オットに謝り、心の中で子供にも謝り、保育園お迎え電話が鳴ると同僚と上司に謝り。
自分が悪いワケではないことで、謝り続けるシチュエーションって、割とママたちを卑屈にさせる。
…って、ママ代表!みたいな言い方で一般化してみたけど、私だけかもなーとも。勝手に思考が卑屈になっているのは、私自身。
どちらかというと勝ち気で、負けず嫌いな私は「謝る」という行為が多分あんまり好きじゃない。大人になる過程で、「謝らない為にはこう振る舞えばいい」を学んできた。無論、自分が悪い場合、ミスした場合には「潔く謝る」をカッコイイこと、としているので、その場合に謝る事は何の苦も無い。
「謝らない為にはこう振る舞えばいい」は、あくまで、謝らずに生きていこうと思えば周りに迷惑をかけない、とか、ミスしない、とか、無理な仕事は安請け合いしない、とか、そういう意味だ。
それなのにここへ来て、「母」ってものになると、悪くない筈なのに謝り倒さなければ「感じ悪い」に直結する、これ、私の人生のこれまでの生き方と相反している。
こういうのって、積もり積もれば「育児のストレス」になるのかもね。
なんとなく、「謝る」を「ありがとう」に置き換えられる場面ではなるべくそう言うように心がけてる。口から出てくる「言葉」の影響力は意外と大きい。
そんな感じで心を無にして、子供の体調を心配する事とは切り替えて、職場に向かうママです。
ここから先は、ママかどうかは関係ない、うん。
オット氏、頑張って。
後は任せた。
帰ったら明日は土日だし私がガッツリ見るからねー!