右を選んだ人生と、左を選んだ人生と。
人生の流れが、たった1つの選択で180°変わってしまうという事はきっと、「よくある事」なのだろうと思う。
それまで何事もなくそこに身を沈めてきた、とある人が、たった一度の、タイミングと選んだ言葉によって、それまでの数年間を突然ぶち壊してしまった。自ら。
私には直接その場で関わり合いのない話だったのだけど、それを聞いて勝手に切なくなった。
そしてもう、彼女はそこには同じように戻れないのだろう、勢いで戻る気もないと言ったようだけど、それまでの居心地の良さや継続してきた自分の努力、全て捨て去ってしまえるものなのだろうか、そんなにも簡単に。
そして、どうやらその場に居なかった私とも、(他の人とも?)距離を置いているようだ。それまでとは打って変わって、SNS等で全く反応しない。直接の連絡を取ってみることは可能かもしれないけど、とりあえず私は「何も知らない」スタンスなのだ、今のところ。
あぁ、抽象的で回りくどい書き方だ(笑)
元に戻ってほしい、とか、
元に戻してあげたい、や、
私とは連絡しようよ、みたいな、
そういう感じでも無い。
だから静かに見守っているのだけど、本気でこの10年も経ってるかもしれない「今まで」を棒に振って、自分を押し通して断ち切って、それで彼女は何がしたいのだろう。
結果として、第三者として聞く分には、彼女は「私は傷ついた、それを皆ちゃんと知って!」と伝えたくて、伝えたら100%の同情や理解で受け入れて欲しかったのに、「勝手に期待した」反応が思ったようには返ってこずに一線を超えてしまった。「ここを去ります、サヨナラ」と。
…どうやらそういうことらしい。
冷たいかもしれないけれど、冷静に分析してみようとすると、
・本心をぶちまけるにはタイミング悪かった
・理解して貰えない相手に理解を期待した
・理解して貰える程伝え方が上手くなかった
・自己主張の内容が稚拙
・どうして欲しかったのかわかりにくい
・突如全て放棄して別れを言う人の話には人は真剣に耳を傾けない傾向がある、それを繰り返すなら、尚更
・1人ドラマティックになり過ぎ etc.
…かなぁ、と推察。
三行半的なものを突きつけているので、もう修復は無理かもしれない。私は「ある意味」それをとても残念だと思っている。…ある意味。
人前で泣き叫ぶことの出来るヒトは本当に羨ましい。私はあまり得意ではない。内面はとても、人一倍、感情的な人間なのだけど。
「女」というものの生態について、時折自分がまるでそのカテゴリーに入らないものであるかのように、考え込んでしまう。
これを、「女だから」とするのはちょっと違う気がするけれど、自分が傷ついたことを泣き叫んで主張する、というのは未だかつて私の人生では「女」でしか見たことがない。
それでも私とは違うカテゴリーの「女」である事はきっと間違いなさそうで。
彼女は今後、この10年もの間培ってきたものを、時間を、人間関係を、…何で埋めるつもりなのだろう。
人生は選択の連続だからこそ、選ばなかった方の自分の行方は、ほんの少し気になるところではある。もう一度やり直したとしても、私はきっと全く同じ選択をするだろうけど。
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