ドリーム・ホース〜胸が高鳴る物語〜

 2年前、コロナ禍で緊急事態宣言が出された頃、私は人生に無気力感を覚えた。ちょうどその時に人事異動があり、変則的な勤務や合わない上司と環境に疲弊し、何も楽しめなくなった。SNSも休止し、仕事に行き、ただ家に帰って寝る…そんな日々が続き、体も心も疲れ果ててしまった。
 生きる意味を見失い、味のない干物のように生きていくのか…そう覚悟して一年。転機は当然訪れた。
 ゲームがきっかけで観た競馬。レースが終わり、次週に開催される「桜花賞」の予告が流れた瞬間、私は目を見開いた。
 そこには見たことがない、神話の世界から飛び出してきたような輝く馬が居たのだ。…後に、桜花賞馬となる彼女との出会いが、色のない日常を変えた。

 起の章が長くなってしまった。何故、私の苦しかった過去を前述したかというと、この映画の主人公・ジャンに重なったからである。
 彼女は仕事に行き、家族の世話をするというつまらない生活を送っていた。楽しめることも、夢中になれるものもない…そんな彼女が競馬と出会い、村人達を巻き込んでいく。そして、空虚なものであった彼女の人生は、輝きを与え、育て上げた競走馬「ドリームアライアンス」は村人達にも夢を与えていく…。

 小さな村が起こした実話を元にした物語。だが、これはただの物語ではないと思う。私達も経験したこともあるかもしれない。…好きなことが、夢中になれることが、人生を豊かにするということを。
 私にとって、それが映画のテーマと同じ「競馬」であっただけで、それ以外のコンテンツに魅せられた人も「胸の高鳴り」を感じることがあるのではないか。

 この「胸の高鳴り」という言葉は、原文では「ホウィル」という。ホウィル…そういえば最近(といっても昨年だが)経験した。しかも、3つも。
 
 一つ目。例の私に競馬を見るきっかけとなったあの、桜花賞馬が復活勝利をあげた。「もう終わった」「ただ白いだけ」「あの馬のファンは痛すぎる」そう酷評されることもあった彼女が美しい純白の馬体を輝かせながら先頭でゴール板を駆け抜け、評価を覆した瞬間、熱い涙をこぼした。

 二つ目。世界最高峰のレースである凱旋門賞に日本馬4頭が挑戦した。スタートが切られた瞬間、馬群を率いてレースを作ったのは日本馬だった。その馬は映画にある台詞、「今は自分のままでいられる」きっかけを作ってくれた、私にとってのヒーローだった。真面目であることが強く美しい、そう語るかのように直向きにただただ先頭を駆ける彼は最後こそ抜かされてしまったが、日本馬初の凱旋門賞制覇という夢を見させてくれた。

 三つ目。初めて現地で観たG1。マイルの精鋭達が意地と意地をぶつけ合うレースを制したのは、マイルを極めた3歳の若駒であった。実はこの馬のことは2歳の頃から知っている。私が初めて競馬場に足を運んだのは一昨年の6月の中旬頃だったと思うが、その時にデビューして勝利を飾った馬だったのだ。初めて観た新馬戦に出走した馬がG1馬となる瞬間は貴重な経験だと思う。運命のような瞬間に、胸が高鳴った。

 儲けではなく「ホウィル(胸の高鳴り)」がほしい。ジャンと村の人々が求めたことは、世界中のホースマンや競馬ファンにも通じるものかもしれない。
 競馬といえば、ギャンブルというイメージをもつ人もいるだろう。しかし、競馬はギャンブルという面をもちながら、「サラブレッドとそれを取り巻く人々のドラマ」という面ももっている。それは私たちに夢を、希望を、そして「ホウィル」を与えてくれる。
 レースシーンも臨場感があり、ジャン達と一緒に私も「行け!」と叫びそうになってしまった。あの手に汗を握る緊張とワクワク感は実際の競馬を観ている時のものと全く同じだった。

 この映画、是非、競馬ファンや馬が好きな人に観てほしい作品だ。そして、競馬以外が趣味の人も是非観てほしい。人生を豊かにし、「推し」が夢を与えるということを追体験することが出来るからだ。

 言葉がまとまらない雑文を書き殴ってしまったが、想いが溢れる映画だった。そして、私は今でも「ホウィル」を感じている。

 今年はどんなヒーローが、ドラマが待っているのだろうか。

 そんなワクワク感と一緒に、また競馬場へ向かおうと思う。

 

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