丹生川上三社の龍神玉
※ここで記述されることは、体験者の個人的世界線での表現となります。一般的な体験や解釈とは異なりますことをあらかじめ了承いただいたうえでご拝読くださいませ。
龍神参拝後におきた不思議なこと
丹生都姫に親和性を感じており丹生の付くこの神社には「いつか行ければいいかな」と思っていたが、お盆過ぎのまだ暑い盛りに参拝の運びとなった。
丹生川上神社への参拝を終えた夜、とても不思議なことが起きた。家族も皆寝静まった頃、鍵をかけたはずの玄関戸が何者かによって開けられた。家族が声を出しながら見に行くと戸は少し開いたまま、しかし、誰の姿も見られなかった。ちょうど向かいの家の車が帰ってきたタイミングであり、そのライトに照らされて逃げたのか・・・。家宅侵入、素人による強盗がニュースされるこの頃なので、そのようなことが頭をよぎって鍵を交換したりした。
怖いことはそれっきりだったが、その後も続いた不思議なことなども後にシェアしようと思う。
丹生川上神社中社 水神宗社
主祭神 罔象女神(みずはのめのかみ)
創建 675年
所在地 奈良県吉野郡東吉野村小968
備考 平安初期には「雨師明神」、江戸時代には「蟻通明神」と称す。雨を司る女神を祀り、祈雨祈願の際には黒馬が、止雨の時には白馬(または青馬)が奉献されるならわし。
神武天皇が祭壇を設けた夢淵
本殿から右手の道を高見川(丹生川)沿いに行くと高見川・日裏川・四郷川の3つの川が合流したところに深い淵が見られる。
まだ暑い時期だったので何組かの家族がキャンプをし、淵で泳いでいた。
熊野から何とか進軍してきたカンヤマトイワレヒコだったが、磯城兄弟の兄や兄ウカシなど抵抗勢力がゆく手を塞いでいた。そんなとき香久山の土で平土器をつくり奉納せよとの夢知らせを受けて、敵陣の香久山へシイネツヒコと弟ウカシが潜入して土を手に入れ神に戦勝祈願をした。その場所が斎淵(いみぶち)であり転訛して夢淵と呼ばれるようになった。
カンヤマトイワレヒコは勝利して神武天皇となりカンヤマト王権が誕生したので、香久山の土は天下をうかがう者には縁起物となった。
東の瀧で願い事を叶える
参拝者も夢淵に流れこむ東の瀧で祈願をすることができる。
一つ300円の龍玉に願いを託し、「東の瀧(龍神の瀧)」に投げ入れることでご利益が授かるとのこと。心の中で願いを唱え、龍玉の穴に息を三度吹き込んでから投げ入れる。龍神の御力にて穢れを取り去り、運気を開くとされる。
何を願ったかな。いつもはあわ歌を奏上したり、祓いたまい清めたまえ。守り給い幸わいたまえ。と手を合わせるのだが。
この瀧に当たるとよいそう。
水は思うより冷たくはない。
「神」の霊(ひ)をさずかる
神社にて諸願成就を祈念された御霊守は、上社で水の霊(翡翠)、当社で神の霊(紅水晶)、下社で力の霊(黒瑪瑙)をいただける。※一つ3000円
三社の御霊を受け、水の神様のご加護を受け取ることができるとのこと。
そのことを直前に知って、この度の参拝の璽とした。
紅水晶には「慈愛」とか「和やか」という意味がある。自分を許すよう促しヒーリング効果がある。極端に振れる感情を中庸に戻してくれる。その時に「神」が立ち現れる。
日本の古い国石として水晶がある。山梨の昇仙峡や金峰山一帯は産地として有名であり、日本は水晶でできた山地が多いので紅水晶も見つけることができるという。幼いころ水晶山と呼ばれていた山のことを思い出す。子どもは田んぼの埋め立て地で水晶のかけらを拾ったものだ。水晶の上で暮らす日本人は土地に浄化されているのかもしれない。
丹生川上神社上社 奥の宮龍神総本宮
主祭神 高龗大神(たかおかみのおおかみ)
創建 不詳
所在地 奈良県吉野郡川上村大字迫869-1
備考 「高龗神」は山の峰の龍神、下社に祀る「闇龗神」は谷底に棲まれる龍神という。高龗神を御奉祀する神社の数は、全国で本社 約1,300社、境内社 約300社、計1,600社となる。
ダム湖に沈んだ元宮
2024年は雨が少なかったのか、吉野川につくられたダム湖の水はかなり少なくなっていた。ダムが建設される前に、元あった神社下の調査を行うと平安時代後半以前の遺跡が出た。周辺には紀元前2000年より以前の環状配石遺構が見つかったという。ということは、秋田県の大湯環状列石と同時期ということになる。イギリス、ソールズベリーのストーンヘンジも同時期の遺構であり、世界中で列石文化が盛んになっていたようだ。世界最古といわれるのはアルメニア、カラフンジのストーンサークルとされる。
ちょうど紀元前2000年ごろ、メソポタミアではウル第三王朝がエラム王国に滅ぼされて王族が東へと連れ去られた。シュメールの王族はヒノモトへ舞い戻った。中華では東夷である舜の禅譲を受けた、禹による夏王朝が始まって少し経った頃のことである。丹生川上神社があるこの辺りにはどのような人がいて、祭祀を行っていたのだろう。
丹を掘る穴師がいた吉野
紀元前660年までにカンヤマトイワレヒコ(後の神武天皇)が熊野から吉野まで進軍した。途中で出会った紀伊半島の先住者はというと「ナガスネヒコ」「ナグサノトベ」「ニシキド」「ウカヌシ」「兄シキ」。吉野にいた「イヒカリ」「イワワケカミ」であった。当時はすでに豪族がいてそれぞれの領域を統治しており、外からやってきたカンヤマトは先住豪族にとっては侵略者であった。
「イヒカリ」とは井氷鹿(いひか)のことで、井の中より出てきた尾のある人で、吉野首(よしののおびと)等の祖であった。古事記によれば井氷鹿(いひか)は、神武天皇を案内して、土地神谷(とちかみだに)を過ぎて休石(やすみいし)に腰をかけた後、御船山(みふねやま)の尾根にある拝殿で波々迦(ははか)の木を燃やし鹿の骨をもって卦(け)を立てて占い、御船の滝巖上に宮柱を立て天乃羽羽矢( ははや-天から授かった矢)を納め、進軍の勝利を祈願したという。初めは抵抗したが軍門に下ったということかもしれない。イヒカリが行った占いは、香久山の麓にある香久山神社にも痕跡が残る。中社上流を辿ると井光神社があり、祀られている。
イヒカリは穴師であったらしい。尾があるという異形の人である。中央構造線に近い山中のこの辺りは鉱物資源が豊富であった。穴師が鉱物採取をした。同じように中央構造線に近い丹生都比売神社に祀られる丹生都姫は水銀の原料である丹砂の守り神である。とれる鉱物そのものの毒性や、中央構造線上の土地に漂う有害な電磁場に身を置くことで遺伝子が変容し異形の人となったのかもしれない。
神武天皇に抵抗したものにイワワケカミがいるが、古事記では「山に入ると岩を押し分けて尾の生えた人(石押分之子 イシオシワクの子)がでてきた」となっている。こちらも穴師一族であった様子。イワワケカミは磐穂別命として國樔八坂神社に祀られる。山の中の穴師の首長の一人だったと思われる。
穴師と言えば、その棟梁神は穴師央神と称されたツハモノヌシである。ツハモノヌシは強者だが、穴師の棟梁でもある。カンヤマトイワレヒコが来る前の吉野は、穴師の一族が仕切っていた。紀元前2000年ごろとされる斎場を使っていたのは穴師たちだった。
「水」の霊(ひ)をさずかる
翡翠は忍耐・調和・福財・幸運・飛躍・繁栄・長寿などの意味がある。三種神器の玉とは、翡翠の大珠(たいしゅ)であるという。2016年に水晶を抑えて日本の国石と位置付けられた。糸魚川に多くが産出され、古くから交易品としてヒノモトや海を越えた大陸でも見つかっている。世界での産地ではミャンマーやロシア、グァテマラなど産地があるが、糸魚川産翡翠の特徴は白いベールをかぶったような薄い深緑が多く、鮮やかな緑や紫の姿を現すのは光を当てた時で、透明感とオーラを放つその輝きを持つ貴石は”ろうかん”と呼ばれて高値で取引される。
翡翠は山の奥深くの淵の色にも似ていて、龍神が宿る石である。
丹生川上神社下社 口の宮
主祭神 闇龗神(くらおかみのかみ)
創建 不詳
所在地 奈良県吉野郡下市町長谷1−1
備考 むかし丹生社の鳥居が洪水によって流されてきたので、それを拾って神体として祀ったのが創祀との伝え。大正時代までの祭神は「丹生大明神」で、丹生都比売神社(和歌山県伊都郡かつらぎ町)の祭神である丹生都比売神のことであるという。考古学的発見やその時代の学者説によりご祭神は丹生大明神から高龗神となり、闇龗神と変転して現在のように落ち着いた。
白駒、黒駒奉納から絵馬奉納へ
かつて、干ばつのときには「黒馬」を、長雨のときには「白馬」が朝廷より奉納された。この水神信仰が絵馬発祥の起源と伝わり、5世紀ごろから都に近い京都の貴船神社へと受け継がれていったとされる。
形代は100円で販売されている。形代に息を吹きかけ上から流すと落ちてゆく間に形が無くなっていき、気枯れが水に流される。
龍宮への玄関が開く?昇殿参拝
年に一度、6月1日の例祭の日だけ、丹生山頂にある本殿へ階を登って昇殿参拝ができる。本殿が向いているのは、平安京だそう。都の止雨祈雨を祈った。平安京から真南に位置する丹生川上神社下社に、南の方角を守護する馬が奉納された。
干ばつや長雨は飢饉や疫病を生み都の人々は苦しめられた。そのために古くから水の女神に祈った。丹生川上神社下社の真南には熊野本宮大社があり、真北を辿ると、平城京、平安京へと通ずる。さらに北へ進むと若狭湾に浮かぶ御神島に行きつく。おかみ(龗)島とも呼ばれる島で、海がよければ宿の船頭さんが島まで渡してくれるらしい。この道が都に通じる龍神ラインともいえるかもしれない。丹生川上三社の中でも、入り「口の宮」と呼ばれる当社が都の人々にとって、朝廷にとって龍宮への玄関口であったようだ。
「力」の霊(ひ)をさずかる
現在では唯一手元に残る「力」の霊。「地」ではなく、「力」なのだなとふと思う。
瑪瑙は調和、共生、健康のお守りとされる。黒瑪瑙の場合、邪気を払う魔除け石としても利用される。オリオン座三ツ星の近くにあるメノラー星からイサナキが地球に降り立ち、地球のイサナミと結ばれて日本人の元となったという伝説がのこっている。なので、メノラー星の形代である瑪瑙は日本人のお守りとなる。メノラー星はまたの名を籠目星といって、蛇の目星とは兄弟のような星なのだとか。ただ、蛇の目星の神々のように戦い方を知らず、マジメ、親切、勤勉という徳を持っているという。瑪瑙は北海道、青森や山形、富山、石川でも産出される。
下社の黒瑪瑙に「力」霊がこもるのは、大正時代からのご祭神闇龗神のご神徳だからであろうか。高龗と闇龗。峰の龍神が高龗で、谷の龍神が闇龗と説明されるが、「力」との関連はよくわからない。深いところではどのような意図を発しているのだろうか。
こうして三社巡りを終えたのだが、参拝の瑞祥は家に帰ってから現れた。
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