風の時代に天の川銀河の神が降りてくる
※ここで記述されることは、体験者の個人的世界線での表現となります。一般的な体験や解釈とは異なりますことをあらかじめ了承いただいたうえでご拝読くださいませ。
琵琶湖の北東に天川命神社(あまがわのみことじんじゃ)はある。この神社には天川命をはじめとする58柱の神が祀られているというが、現在のお社は「いったいどうした?何かあった?」と驚くほどの様相を見せる。
「神社に神様はいない」というような内容の本が何年か前に出ていたが、まさにそんな様子に少なからずショックを受けながらも、しかし、天然記念物の大銀杏の素晴らしさよ。
この大銀杏の全姿は壮麗ではあるものの、葉っぱの一つ一つは可憐そのもの。まるで天の川の一粒一粒のスターダストのよう。
天川命(あまがわのみこと)とは、別名をツハヤムスビという天の川銀河の意識である。ここに参拝した理由はある仕掛けを成就するためだったのだと、帰ってきてから気づくことになる。
丹生川神三社の龍玉紛失事事故の意味
夏に丹生川神三社で三つの龍玉を手に入れてから、神社に参拝する際には必ず持っていき、手水舎やお水取り口でその神域の神水に浸し、あるいは三つ龍玉の神威をシェアするということを続けていた。
そのことに何の意味があるのかわからない。わからないが、三つ龍玉とともに最初に訪れた竹生島神社参拝の帰りの船から見えた空に「白麒麟」を発見した。
竹生島神社から数えて12番目が天川命神社だった。これまで神社参拝でいたずらされるようなことは一度としてないのに、すってんころりん、と境内でおむすびのように転がされた。
「こんなこと、はじめて!」と口に出していた。「何か悪いことしたっけな。」参拝が夕方になってしまったことは、ごめんなさい。ただ、何か気づかなければならないことがあるのかもしれない。
ビックリした気持ちのままに境内社などに参拝し、大銀杏の傍にたたずみしつつ神社を後にしたのだが、家に戻り龍玉がふたつ無くなっていることに気付いた。ハンカチに包まれていた黒メノウの龍玉のみがポシェットに残されていた。いくら探しても出てこない龍玉ふたつ・・・「神」の字を刻んだ紅水晶玉と「水」を刻んだ翡翠玉がない・・・。
「こけた時に開いていたカバンから転がり落ちたんだ」とすぐに理解した。往復300㎞の道のりだけれど明日にでも探しに行こうか、とすら思う。
まずは落ち着こうとお風呂に入りリラックスすると、このあり得ない事故の意味が落ちてきた。
「神」「水」の龍玉を天川命神社に奉納する必要があったのだということ。
なるほど、そうか。奉納したのだと思えば取り戻す必要はない。
でも、転がすなんてひどくない?
ただ、転んでも擦り傷一つ負っていないのはなぜだ?
神祇伯など大中臣氏一族を祀る天川命神社
そもそも天川命神社にはどのような神が祀られているのか。
以前より家系図には興味があり、家系の祖神について調べていた。父方ご先祖様は藤原北家魚名流にたどり着く。藤原氏の祖神と言えば中臣氏の祖であるアマノコヤネであり、その元をたどればツハヤムスビに行きつく。
ただ、ツハヤムスビの名が登場する文献は限られていてどのような神なのかはよくわからない。祀られる神社も大和高田市の天神社のほかは寡聞にして存じ上げず。(あればお教えください)
最近になって天川命神社には天川命としてツハヤムスビが祀られていることを知り参拝する運びとなった。
社伝からはどうやら天川命神社付近に降り立った神であることがわかる。その土地は天降る里と呼ばれ、雨森に転訛したらしい。あちこちの星神社にみられるように隕石や隕石のような光の存在が落ちてきたのだろうか。
天川命神社に祀られる神は、祖神一同と共に神祇伯なども担った8世紀ごろまでの大中臣氏の嫡流である。祭神の一柱である大中臣清麻呂卿は、桓武天皇が立太子した際東儀傳に就任し、桓武天皇が即位するとすぐに退官したが、最高官位は右大臣正二位の栄誉に博した。
桓武天皇は天武系→天智系と移ったことや仏教勢力をそぐため長岡京への遷都を784年に行っている。その時長岡京造営長官を務めていたのは、秦氏の後ろ盾のある藤原式家の藤原種継であったが、早良親王、大伴氏、佐伯氏、藤原北家、多治比氏ら反対勢力により暗殺された。飢饉・疫病、近親者の相次ぐ死、伊勢神宮の放火など災いが続いたためにわずか10年で再び遷都となり平安京がはじまった。平安時代半ばの1122年ごろから神祇伯が白川家世襲へと移動し、伊勢斎主および神祇大副となったことを鑑みると、その時代あたりから当地にいた大中臣氏の子孫がご先祖や祖神を祀っていたのだと考えられる。桓武天皇の時代に武士の萌芽が見え始めており、1167年に武士である平氏政権が立ったが1185年に源頼朝との戦いに敗れ、天皇が武力の庇護なしでは立てない武士の時代へと本格的に移り変わる。
天川命神社は滋賀県長浜市高月町雨森1185 にあり、琵琶湖の北東にある。琵琶湖を船で渡れば都もそれほど遠いところではないが、都からすれば冬は雪深くすぐに近づける場所でもない。時代のうねりに呑まれて政争から避難したり、京と越や美濃を中継する場として大中臣氏の子孫が暮らしたのかもしれない。
祖神天川命という宇宙
中臣鎌足が、神祇官になることを嫌い藤原姓を死の間際に賜った。鎌足の父中臣御食子の兄弟である国子の流れが天川命神社に祀られる。御食子や国子の祖父常磐の時代に中臣姓を賜ったといい、ココトムスビやアマノコヤネからつづく祭祀を司る一族でありながら、鎌足や不比等は軍事や政の中枢を担う。
鎌足のY染色体ハプログループはO1b2とされるが、中華の姜族も15%ほどはO1bとされる。姜族のもとは黄帝と戦った蚩尤であり戦いの神ともされる。蚩尤は中華において東夷と呼ばれた地域で活躍し山東省などにも足跡を残すが、「兵主神」と記述され兵庫県にも多く祀られる。蚩尤はツハモノヌシの一族である。本宮は奈良にある穴師坐兵主神社である。蚩尤のYハプログループはNO系とみられる。鎌足は古墳時代に大陸から渡ってきたツハモノヌシ系一族にルーツがあるのだろうか。
藤原鎌足の祖神アマノコヤネはどうだろう。アマノコヤネの父はココトムスビ。ココストノミチを開き魂返しの術を発明した神である。祭祀のとき神憑り役を務め息子のアマノコヤネは神を依り代に罹らせる。ココストとは、神と人間の精神を括り付ける業であり、乱れ気枯れた人の精神をその人から解いて、改めて直霊に結びなおす陰陽術である。このような秘術は天からの賜りものであり、今の言葉で言えば「宇宙が教えた叡智」と言えるもの。ココトムスビに叡智を授けたツハヤムスビとは天川(天の川銀河)意識の使者なのだ。意識(ツハヤムスビ)は言霊(ココトムスビ)となり、祝詞(アマノコヤネ)として結実する。
アマノコヤネという神
アマノコヤネの妻は、タケミカヅチの一人娘である。タケミカヅチの従弟にあたるフツヌシの妹であるアサカヒメ(コトノマチヒメ)の夫がココトムスビであり、二人の間にアマノコヤネは誕生した。
フツヌシとアサカヒメの父はイワトワケであり忌部氏の祖とされる。イワトワケの兄弟に馬の調教師ヲバシリがおり、その子がタケミカヅチである。イワトワケ・ヲバシリ兄弟の父が穴師央神と言われたツハモノヌシである。穴師坐兵主神社に祀られる大兵主神のこと。大がないほうの兵主神は、中華の蚩尤を祀るといわれ、兵庫県に多く祀られる神である。おそらくはツハモノヌシの領分をもっとも受け継いでいる神と思われる。
アマノコヤネには武神の祖「ツハモノヌシ」系統の血が母を通じて入っているということ。鎌足はその血を強く引き継いでいるということか。
ツハモノヌシ 兵主
ツハヤムスビ 津速産
漢字にすればまったく別の神はツハという音で似た部分がある。それぞれの子孫が婚姻同盟を結んだところを見れば、二人の関係は割合近いところにあるとみられる。天の星・宇宙からやってきた神であるという意味において。
アマノコヤネという存在は、ツハモノヌシの系統である義父タケミカヅチ(鹿島)と叔父フツヌシ(香取)と妻ヒトリヒメ(息栖)と、ツハヤムスビの孫である父ココトムスビ(春日)それぞれの家に伝わる4つの奥義を引き継いで統合し、ヒノモトの屋台骨をつくった混血の神である。
ツハモノヌシの出身星
ツハモノヌシの兄に、カンサヒという国の混乱を招いた存在のうちの一人がいる。カンサヒの怠慢を内部告発したツハモノヌシは真正直な人柄だった。相撲の神ともいわれるように力自慢の強者でもあった。戦いを知るツハモノヌシは蛇の目星から来ていた。蛇の目星の人々は好戦的であり、戦いを通して他者を支配しようとする傾向があるといわれる。カンサヒは蛇の目星の悪徳を地球に持ち込んだ。ツハモノヌシは同じ星の出身者によるその悪徳が許せず、カンサヒとは袂を分かっており、地球にやってくるときには籠目星の側についたので「央神」という讃え名を授かったのである。籠目星出身の人々は戦いを知らぬゆえに、ツワモノヌシの加勢は心強いものであった。
蛇の目星の人々が地球に入ったときに、地球のアストラル界は乱れた。好戦的で支配欲が強い彼らは地球人を奴隷にするための遺伝子操作も行った。そのために地球は混乱し、人のようで人でない種が地上に増えていた。そのようなときに天降る事件が、レバントの北方で起きる。隕石爆発に相当する破壊が紀元前9500年ごろ起きて、アサド湖周辺まで広がっていたナトゥーフ文化の集落が破壊された。破壊の後は何百年も無人であったが、この時代を区切りとして狩猟採取から農耕定住文明に変わったとされている。その後紀元前8000年ごろ、200㎞北上したアナトリア中部で再び施設破壊が起きる。
隕石爆発のような破壊が起きるときがツハヤムスビが降りたつタイミングである。地球の調和を脅かす蛇の目星はオリオン座の三ツ星付近にある星で、彼らを抑えるためには上位の銀河存在が介入することが有効になる。
ツハヤムスビは、アンドロメダ星雲のタカミムスビがアメノミナカヌシに8000回祈り召喚した天の川銀河存在である。
馬乗り教師ヲバシリ
考古学的には馬の飼育が始まったは北メソポタミアで、その時期は紀元前6000年ぐらいとされている。中央アジアに広がり、紀元前2200年ごろにはユーラシアステップで乗馬が始まった。馬を良く知り、イブキヌシ、スサノオ、タカヒコネら馬乗り人を85万人育てたというヲバシリが活躍したのはユーラシアステップであったのだ。ヒノモトに馬がやってきたのは古墳時代と言われている。ヲバシリの時代には大陸にいて、その祖神であるツハモノヌシもアルタイあたりに降り立ち遺伝子に変異をもたらした。蛇の目星出身の神々が後のシンタシュタ文化など戦争のための武器製造などにもかかわっていく。
宮城県の鹿島天足和気神社(かしまあまたらしわけじんじゃ)にタケミカヅチと共に稜威雄走神(いつのおばしりのかみ)として祀られている。壱岐島の佐肆布都神社(さしふつじんじゃ)は「おひらえ様」と呼ばれ、タケミカヅチ、フツヌシ、ヒノハヤヒコやアマノコヤネらもヲバシリともに祀られる。
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