ミラージュ・サブスタンス #18

第四章 Dreams

  1

 列車の車輪が線路を擦り、疾走する。動力源の張力体という蜃体は、もつれ合わせることで二つの蜃体同士が磁石よりも強烈な力で引き合う性質を持ち、レールの上を走る列車と相性が良い。
 そうして実現した高速移動技術も、デグマの真価の前では歩けるようになったばかりの赤子のようなもので、ロエル達は囹圄から線路への距離を一跨ぎして、難なく荷台の一つに潜り込んだ。荷台の中身は、隅っこに毛布が数枚積まれているばかりで空っぽだった。
「何も積んでいない……」
 ロエルは怪訝に思った。この路線の主目的は、群青の町に集まった物資をまとめて東方の干戈地域に運搬することだ。この列車は群青へと上っているから、積み荷は行きよりも少なくなるだろうが、それにしても何もない。
 というかそもそも、列車は蜃体師の争議の影響で運用を停止していたはずだ。なのに、動いているということは――。
「嫌な予感がするな」
 ロエルは毛布の上に腰を下ろすと、もう一枚引っ張り出し、デグマ用の居場所を作ってやった。意図した通りに、デグマがそこに収まる。毛布はなんだか鉄臭く、硬かった。
『群青に行って、まず何をするんだ』
 デグマは液体の入った皮袋のように、毛布に身を委ねながら訊く。
「わからない。ただ、俺ができるようになったことをやるだけだ」
『くそ真面目だが、向こう見ずなやつだよ。師を裏切り組織に裏切られ、味方はいないっちゅうに……ま……何かしらするべきことはあるだろうな』
 ロエルはそれから、デグマと自分の回復を待った後、光子の生成を色々と試してみた。
 ホメロはスサノの力の扱いに時間がかかったと言うが、ロエルの場合、それはかなり直感的に行使できるために、それほど難儀ではなかった。発動までにかかった一年間の訓練も、少なからず役に立っているのだろう。
 光子は電子の振動に伴って、無から出現し無へと消滅できる。だから、ロエルはどこからでも光をもたらすことができるということだ。
 光子は光速で移動するから光子であると言えて、一瞬でどこかへ飛び去ってしまう光子をどうこうできるというわけではない。ロエルが実質的に扱えるのは光子の生成のみであり、それさえ完璧に行えれば光の行きつく果てまでをデザインすることができる。だから、生成の瞬間こそロエルの体感時間は極端に速くなるが、そこで全てを仕込めば例えば町全体を照らせるような特大の灯りを一晩持たせたり、または薄く煌く蟲のような淡い光を少しの間だけ出現させられる。
「幻想的だな」
 ロエルは浮かべた光の環を見て呟き、立てた指を右へ振ると、その光の環は空間を滑るように移動して荷台の壁にぶつかって、鉄製のそれを易々と蒸発させて穴を空け、空の彼方へと飛び去って行った。
 それを気怠そうに見たデグマは、暗い口調で言う。
『終末的だ』
「なるべく高エネルギーの光を出すのは避けよう……」
 王法に則って、というわけではないが、これだけの高エネルギーの光を出すことに習熟してしまったら、簡単に人を傷つけることができるようになってしまう。それは嫌だった。
 それからしばらくして、群青の町が近づいてきた。検問は解除されているようで道は解放されているが、昨日の比ではない物々しい雰囲気が漂っている。
 列車は無頓着に町の中へと入っていく。居住区を抜け、行政区に差し掛かる。そこに広がっている風景を見て、――ロエルは呆然とした。
 群衆だった。無数の人の影が波のようにうねり、見えない何かに導かれるように声を上げている。その多くが周縁部に見られる格好の者達で、蜃体師と肩を組んでいる姿まで見えた。
「何が起こってる……」
 一瞬でロエルが混乱するだけの景色を見せて、列車は行政区を通り過ぎた。次は終着駅が設けられた商業区で、身を乗り出せば荷降ろし用のホームが見える。線路の脇にはたくさんの人々が集まっていた。誰も彼が、列車を独特の顔つきで眺めている。あまりにも奇妙な空白、空気が黙々と燥いでいるような、まるで演劇の始まるのを待つような――。
 列車は尚も進む。ホームが近づいてくる。
 そこまできて、ロエルは悟った。デグマは格言じみた口ぶりで嘯く。
『嫌な予感は忘れた頃に』
 ホーム上には誰もいなかった。普通ならばいるはずなのだ、列車に取り付けた蜃体と車止めに設けられた蜃体の連絡を切り、車両ブレーキを促すための蜃体師が――。
「クソ、列車をこのまま突っ込ませるつもりだ!」
 甲高い音が鳴り響いた。慌てて車掌が緊急ブレーキを下ろしたのだろうが、その程度で張力体の引力に逆らえるはずもない。ただやかましくなるだけだ。飛び降りるしかない。
 ロエルは荷台の壁をよじ登った。眼下では、ものすごい勢いで地面が流れていく。乗るのはともかく、下りるのには大変な勇気を要した。
 浮遊感はごくわずか、地面を転がされ、身体中を強い衝動と痛みが襲う。
 そして、肺腑の底から揺さぶられるような轟音が響き渡った。列車が車止めにもろに突っ込んだのだ。同時に、歓声があがる。見物客は特上の芸を見たように手を叩いて喝采した。
「よう飛び降りたな!」と陽気に笑う老人に助けられ立ち上がったロエルは、さっきまで乗っていた列車が無様にひしゃげて、ホームの上に転覆しているのを見た。うちあげられた魚が虚しく跳ねるように、車輪が空転している。
「一体何だ、これは!」
 ロエルの詰問にも、老人はへらへらとした態度を崩さずに、
「蜃体師達のパフォーマンスさ……列車を叩き壊して、これで儲けてる役人や金持ちを困らせてやろう、っていうな! 傑作だぜ、こりゃ!」
 ぱちぱちと手を打って、大声を出した。ロエルは何も言わずに、その場から逃げ出した。
 今ので、どういう事態が起きているのかだいたい予想がついた。が、まだ情報が足りない。
 走って行政区に戻ってくると、ビラをばら撒いている女がいた。
「一枚くれ」
「はい」
 ロエルが声をかけると、ビラ配りの女は空っぽの掌を差し出した。金を寄越せ、と。
「持っていない。囹圄から出てきたばかりなんだ」
「あら、お若いのに。じゃ、タダであげるわ」
 色っぽく目を細めて、ビラを手渡してくる。紙が皺だらけで薄汚いのは、道端に落ちているのを拾い集めて配り直しているからだろう。それだけ、配られてから時間が経ったということだ。
 ロエルは人の少ない路地裏に行くと文面に目を通した。
「ホメロの独占によって、群青の町の蜃体師の八割がその存在意義を失ったにも関わらず、それに対して何ら保証もなく、その上賃金まで減らされました。群青の町では昨年五百人の自殺者が出しましたが、そのうちの百人が蜃体師です。過酷な労働に加え、各々の仕事の意義を奪われたことによる、虚無感情が彼ら彼女らを死に追いやったのです。この状況の深刻さは、群青町民の方々ならば他人事ならぬものと共感して頂けるでしょう。いや、むしろ共感して頂けなければなりません。王による重税、雇用者による搾取、債権者の過激な取り立てに、ついには家を捨て、周縁にボロ屋を建てたり、東方へ逃れたりせざるを得ない、或いはそういう恐怖と常に隣り合わせである町民の方々……これは他人事ではありません。あなた方の労働がなくとも、資本家たちは利潤を得る仕組みを整えているのです。そのための働き手は無数にいます。揺籃の国に、ではありません、世界の外側にです。あなた達がいてもいなくとも構わない、生きてもらっても死んでもらっても構わない未来が、近づいているのです。少しでも共感を覚えた方、ぜひとも私達と闘って下さい。私達の勝利は即ち、あなた方の勝利なのです。さあ、共に手を取り合いましょう、これが最後のチャンスです」
 証拠として、ホメロが町長と交わした契約書や、具体的な業務内容の記録が添付されていた。それに伴って、新聞調のフォントで印字された文章が、扇情的に語りかけてくる。
 ロエルは確信した。蜃体師とエルデによる扇動がうまくいきすぎて、周縁部を始めとする町民が暴走を始めたのだ。
 だが――と、冷静になって文章を見返す。なんだか終わりが尻切れトンボだ。冒頭も唐突に始まっている。不審に思ってよく見てみると、ビラの上下に切断の跡があった。証拠の資料にも。「最後のチャンスです」と謳う場所に至っては、活字のデザインが違った。
 ロエルは瞠目する。これは編集されたビラだ。
 故に、浮き彫りとなった誤解の筋道が見える。冒頭は「町長によるホメロの独占」と書かれていたはずだ。そうでなければ、町のシステムそのものの改善を要求するアルガの目的にそぐわなくなる。しかし、関係節の主語を省くだけで、まるで「ホメロの独占」が全ての元凶のような書きぶりになっている……。
 誰が、どういう意図でやったのかは知らないが、この編集の効果がてきめんであったことは、周りを様子を見るだけでわかった。
 路地裏を抜けると、広場に出た。ここでも人が集っていて、群衆独特の騒々しさを醸している。警吏に喧嘩をふっかけている者、有名企業の社屋に落書きをしている者、大物役人のスキャンダルを声高に叫ぶ者、駐車してある高級車を解体している者達、国や町や上に抑圧されていた憤懣を、皆思い思いに表現していた。
 歓声と破壊の入り交じる巷を、ロエルは息を詰めて往く。
 四十歳はいくであろう男が、近くのカフェのウェイトレスに声をかけていた。
「オレさぁ、字読めねえんだけど、このビラなんて書いてあるんだ……」
「私もちゃんと見てないですが、なんかホメロっていう蜃体師が来てから、全部良くないことになったみたいです」
「本当かよ! オレの借金がいつまで経ってもなくならないのも、それのせいか……」
「違う!」
 抑えきれず、ロエルは叫んでいた。そんな誤読があってたまるか。そんな要約があってたまるか。そんな理解があってたまるか。あらゆる胸中の蟠りを、その一言に込めて発した。
 しかし、ロエルの声は、その男とウェイトレスには届かなかった。男の表情には、この騒ぎに参加する資格を得られたという嬉しみが滲んでいる。その二人は再び群衆の一部となって顔を失った。
 どれだけ叫んだところで、町の騒擾に飲み込まれて消えてしまう。ロエルは吐気にも似た、くぐもった気分を抱えて黙々と道を往った。
「どんなに売り上げても金が貯まらないのは、経営者と資産家が組んでいるからで――」
「こないだもうちの隣の一家が東に越してった……しくじったら東に行くしかねえ……」
「この前の自動車事故も、あの蜃体師の仕業だって聞いたぜ……」
「結局、上司の仕事の割り振りがヘタなんさ。その癖、格安で無限に仕事とってきやがる」
「給料さえもっとくれればな。薄利多売で儲かるのは上だけなんだよ……」
「っていうかもうさ、ホメロって奴を消しちまえば良いんじゃねえか?」
 ロエルは立ち止まって、周りを見た。不満と風評を言い募る口は無数にあって、どれが何を言っているのかを聞き分けることは不可能だった。
「心臓=クールに攻め込もうとしてる連中、いるらしいぜ」
「ええ、あそこ警備硬いのに」
「木偶の坊の警吏をいくら重ねたって、数には勝てやしねえよ。ホメロさんも終わりかな」
 そんな会話を耳にして、ロエルは前方に聳える心臓=クールの巨大な影を見た。全ての町民を見下すような、凄絶な威容。この町のみならず揺籃の国全体の代謝を担う、文字通りの心臓部。
 そこに今も独りで篭もる彼女の姿を想像した時には、もうロエルの心は決まっていた。
「デグマ、クールに行こう。師匠に会う」
『袂を別ったんじゃなかったのか?』
「それはまた別の問題だ」
 デグマの指摘を、ロエルは一言ではねつける。ホメロと道を別けたのは、互いにそれぞれの立場がそうさせたからだ。今は全く違う。ここにあるのは、親派とか非派とかいう枠組みを乗り越えた怪物的なうねり。
 ロエルは、こんな間違いの横溢した巷に、もう居たくなかった。

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