ミラージュ・サブスタンス #14

 今回の蜃体師争議の首謀者、非派の中心、空翠のアルガ。伸張体扱い者で、史上初となる音声伝達式の伸張体を開発。蜃体学校卒業後、一四歳にして軍の直属となり軍事情報整備士を勤めた後、株式会社オルトハイムにスカウトされ、通信インフラの敷設事業推進のため群青の町に滞在。蜃体師の道を選んだ者ならば、誰もが理想とするエリートだ。
 彼を中心とした蜃体師達は、賃上げ、労働時間の改善(形骸化した労働の撤廃)、福利制度の導入等を、国及び町へと要求している。その影響として、既に沿岸地域と群青の町を繋ぐ高速鉄道の運行は休止、町内を走る乗合車も数が減っており、今後は灯りの供給が行えず、繁華街や周縁部等、夜闇に呑まれる地域が出ることも予想される。
 ひとしきりの情報をオーマッドから受け取って尚、ロエルは狭間で揺れていた。
 大蜃体を見るという時点で、ホメロと同格の存在であると同時に、未だ力を発揮できていないという意味で、蜃体師達と同等或いはそれ以下の存在である自分。
 親派の勝利は数多の今いる蜃体師、そしてこれから来るであろう未来の蜃体師達をも、弾圧する口実となるだろう。非派の勝利は心臓を失った国の弱体化をもたらすかも知れず、干戈による東部地域の被害は倍増するだろう。
 ロエルの感官に燻るのは、戦火に燃えた家の亡骸の臭いだった。そして、蜃体師として標付けられてしまっている自分。この身は横たわる選択肢の間を引きずられ、今にも引き裂かれそうな思いだった。
『どっちにしろ、俺達にはなーんもできやしないがな』
 右肩に寝そべったデグマが、気怠げに言う。
「仮に今、俺がお前の力を扱えていたら、ホメロに追従する道を選んだんだろうか。或いは、俺が普通の蜃体師だったとしたら、空翠のアルガの側に……?」
『さぁ、知らんよ。ただ、何か力になれるからって理由だけで、そちら側につくのはおこがましいと思うぜ』
「……だとしても、だよ」
 オーマッドの昼食の誘いを断って、一人、ロエルは蜃体学校を気の向くままに歩いていた。嫌というほど通った初等部の教室、城砦の雰囲気に場違いな蜃灯の明かり。見慣れたはずだった光景が新しく見える。
「ロエル! ロエル、ロエルロエルロエル」
 ふいに、懐かしい声を聞いた。生意気な少年のようなやかましさ。
 蜃体学校に他に友達などいないから、それは澎湃のミュロの呼び声に違いなかった。
「はは、本当にロエルだ、少し太った?」
「久しぶりだな、ミュロ。太ったか、俺……?」
「ほんと、少しだよ。あ! そう、それよりも、早く来て! 大変なんだよ!」
「どうしたんだ……」
 ミュロは旧友と会った嬉しさからか、やたらと喚きながら走り出した。ロエルはよくわからないまま、彼についていく。
 向かうは学校の裏口だった。
「これ、いつもはがっちり閉まってるのに、今日は開いててさ」
 ミュロは鉄製の戸を押し開けながら言う。それは、逃げてきたロエル達が車を停めて、入ってきた扉だった。にわかに胸中に嫌な予感が募る。
 果たして、彼は駐車してある車に近づいていき、
「怪しいなあ、って思ったら! いたんだよ! 曲者が!」
 荷台の蓋を思い切り開け放った。
「むー! むーっ!」
 果たして、中には両手足を縛られて猿ぐつわを噛まされたトラーネが荷物のように押し込まれていた。
 ロエルの呆れた様子にも気が付かず、ミュロは得意気に語り始める。
「なんかコソコソしながらうろついててさ、見るからに不審者! 声をかけたらびゃって逃げ出したんだよ!」
「ミュロ、解いてやれ」
「しかも、その時に気がついた! 標付がない! 不法滞在者だ! だから、僕は果敢にも蜃体技術を駆使して見えない壁を作り」
「ミュロ、解いてやれ」
「ぶつかって怯んだところをばっと飛びかかり一瞬で――え?」
 ぽかんとした顔で、ミュロはロエルを見た。再三、ロエルは言った。
「解いてやれ。俺の友達だ」
「ええええ? ええ? 友達? ロエルの?」
 にわかに混乱し始めるミュロを尻目に、さっさとトラーネの拘束を解いてやる。
「わー、ロエルー! ありがとう、死ぬかと思った!」
 涙目で飛びついてくるトラーネに、ロエルは苦々しく、
「車で待ってろって言っただろ」
「いや、だって……あまりにも退屈すぎて……」
「君の天敵蜃体師の巣窟だぞ。いくらなんでも行動に踏み切る閾値低すぎだ」
 彼女を捕まえたのがミュロで本当に助かった。ここまで来て本国の強制送還になったりしていたら、ロエルの気分はどん底になっていたことだろう。
「え? ええ? あの、え、どういう関係で……?」
 ミュロは目をぱちくりさせて、ロエルとトラーネを見比べている。トラーネの方も不安そうな眼差しで、ロエルとミュロを交互に見やる。どうやらこの場を収めるのは自分の仕事らしい。
 ……とにもかくにも、話さないことには始まらない。
 ロエルは車の荷台の方を向いて、言った。
「とりあえず、飯にしよう。非常食、そこに入ってたよな」

 車の中、運転席にはトラーネ、後部座席にロエルとミュロが着いて、三人の非常食の缶が空になった頃には、ミュロに事情を一通り話し終えたところだった。
「そう……群青の町で争議が」
 ミュロは神妙な表情で呟く。
「あぁ……君だって、他人事じゃないだろ」
「そりゃそうさ。だって、僕、さっきから言いそびれてたけど、昨日卒業したばっかりなんだよ」
 思いがけない吉報に、ロエルは思わず目を瞠った。
「卒業? それは良かったじゃないか」
「うん……でもてっきり、君がとっくにスゴい蜃体師になってると思ってたから、僕もこれからが勝負だぞ、って気分だったんだ……けど……」
 言葉がみるみる萎んでいく。相変わらず振るわないロエルに遠慮しているようだった。
「俺のことは気にするなって」
「うん……でもさ、やっぱり気になっちゃうよ。気にするよ。そういうもんだろ、友達なんだから」
 ミュロのムキになったような口ぶりに、ロエルは思わず俯く。
「……そうか」
「それで、君はこれからどうするつもりなの?」
 顔を上げると、バックミラー越しにトラーネと目があった。彼女も今後のロエルの動向が気になっているのだろう。
「正直、決めかねている」
「上に追従する慣れ親しんだ師匠につくか、会ったこともないが弱者のために立ち上がった指導者につくか……」
「ここは師匠に付くのが自然だろうが、搾取を励行する国や町に順うと公言されると、素直に応じられない気持ちがあるんだ。俺達は社会的に絞られる側だからな。とはいえ、いくら蜃体師達のためとはいっても、師匠の命を狙ったアルガのやり方も頂けない……」
「ん?」
 そこでトラーネは引っかかったように、ひょいと振り返った。
「アルガは別にホメロさんの命を狙ったわけじゃないよ」
「え……」
「地下=エルデには何人か蜃体師が所属しててさ、その人達が教えてくれたんだ。曰く、誘拐が目的だったって。ホメロさんを軟禁して町長を脅し、要求を呑ませる。待遇が改善されればそれで終わりだ、って」
 ロエルは愕然とする。そうだ、確かに命が目的ならば身柄を拘束した時、車に乗せることなく撃ってしまえば良かった。ホメロを誘拐して交渉材料にするのであれば関わる蜃体師は最小限で済み、失敗しても多くの蜃体師が責任を免れる。
 つまり、現在、進行中の事態ストライキは次善策なのだ。ホメロに逃げられた蜃体師達は、結果、町全体を巻き込んだ大博打に出るしかなくなった、と。
 蜃体師の狙いがホメロの命でなければ、ロエルに彼ら彼女らを疑問視する理由はなくなる。そうでなくとも、他人事ではなかった蜃体師の境遇改善なのだ、もはや非派に与するべきなのでは――。
「ちょっと待ってくれ。それじゃあ、何故……エルデは俺達を助けてくれたんだ。蜃体師が仲間にいるなら、エルデは援助を拒絶することだってできたはずだ」
 その問いに、トラーネは至極不思議そうに答えた。
「それは、君達が困ってたからだよ」
 あまりにも天衣無縫なその返しに、ロエルは絶句する。
「……そんな」
「与えよ、さらば与えられん。恩義を感じたなら、他の誰かが困っていた時に返せばいい。その誰かが誰であれ。それがエルデの大原則」
 その言葉を聞いて、ふわり、と、背中を押されたような感覚がした。
 晦冥の狭間で一筋の僅かな光を見つけたように、心に結わえられた軛が音を立てて外れたように――それは、腑に落ちたのだった。

 ロエルは蜃体学校を歩き、昇っていく。
 ここにいる全員が、ミュロのように卒業して蜃体師になれるわけではない。川下の賭博者の集い、胡乱な面差しで徘徊する娼婦役の女子生徒、一生の終わりを待って便所に蹲る老いた落伍者。ロエルと同じい、宙吊りの者達。
 彼女ら彼らを見ていると、これまでの労苦は報われないのではないか、という思いに囚われそうになる。自分はこのままあのように、乾くだけ乾いて死ぬのではないかと。
 ――それが本当にわかるのは、あなたか私が死ぬ時です。
 ――勝負は、死ぬその時までわかりませんから。
 危うく、脳裏を過ぎったホメロの言葉に助けられる。そうだ、勝者はいつだって勝った後にやってくる遅刻者でしかない。闘っている者にとって、遅れて来る者などどうでもいいのだ。
 今日見えないものが、明日突然見えるようになるかも知れない。蜃体のように。だからといって、軽々と自らの立場を変えて良かろうはずもない。むしろ、その時のために闘い続けるべき……。
「失礼します」
 ロエルは、校長室に入った。オーマッドとホメロは、応接用の椅子に向き合って座っていた。二人の視線がロエルに集まる。
「校長、師匠……今後どうするかを、決めました」
「言ってみろ」
 オーマッドが促した。ホメロは無言でロエルを見つめている。その表情を前にロエルは怖気づきそうになったが、踏みとどまって息を深く吸い込むと、言った。
「非派の目的は師匠の排斥ではなく、制度の変革です。私は、今の状況では隣国との外交を云々するよりも、自国民の憂いを解決する方が先だと思うのです。蜃体師の惨状を無視して戦争に勝とうとも、その先にあるのは、更に残酷な無明なのではないか、と」
 ロエルは一呼吸おき、決意を告げた。
「故に、自分、茫洋のロエルは、群青の町で蜃体師争議に加勢します。なので、今晩中にここを退き、群青に帰還します」
 それは、師匠へのはっきりとした敵対宣言だった。ホメロの顔を見る勇気はなかった。

 

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