統合失調症の私が伝えたい5つのVol29

40 退院・喜代と奈美との日々

私の入院中、哲男だけでなく、喜代と奈美という母娘も、お寺に住み込んでいた。喜代は、隆道の一つ年上で、奈美は24歳だった。二人は岡山でカフェをやっていたが、田舎でカフェをしたいと、ずっと思っていた。家は倉敷だった。隆道と喜代の共通の知人を介して知り合い、二人は、意気投合した。隆道は、寺の隣町の空き店舗を二人のために見つけて、二人は、そこにカフェをオープンした。倉敷から通うのは大変だろうと、隆道が、

「部屋もあるし、よければ、お寺で寝泊まりしないか?」
と、提案して、母娘で、寺の一室に寝泊まりしていた。
 

二人は、手早く、色々と料理を作ってくれた。外泊していた私には、病院の味気ない料理をと違い、喜代たちが作ってくれる料理は、とてもおいしく感じた。みんなで囲む食卓は楽しかった。
「家に帰りたい!」
と、強く思った。大智も亮純も、私が元気になっていることを素直に喜んでくれた。

閉鎖病棟に1か月、開放病棟に1か月半いて、私は退院した。私の退院を他の入院患者は皆、羨ましがった。老人ホームから、病院に入院してきていた、80代の女性は、
「ええなあ。旦那さんと息子さんのいる家に帰れて。私なんかここを出たら、またホームに帰るだけなんじゃけえ」
と、淋しそうに言った。
(帰る家があるということは、本当に幸せなことだ)
と、思った。
(今度こそ、隆道と、子供たちのために暮らそう!もう入院は絶対にしない!)
と、私は、強く思った。
 

隆道と喜代は、お寺でカフェをやり、精進料理を出すということに着手し始めた。そのため、喜代と奈美は、隣町のカフェを閉めて、借りる家が見つかるまで、完全に寺に住み込むことになった。話し相手ができて、私は嬉しかった。

 喜代は、元夫の浮気が原因で、離婚して、奈美と彼女の兄の二人を育てていた。とても気が強く、しっかりしていて、お酒が強かった。そして、カフェをやっているくらいだから当たり前なのだが、料理が上手だった。毎晩の食事の準備は、喜代と奈美がしてくれた。昼間は、掃除などの寺の仕事をみんなでして、夜は、みんなで喜代と奈美の作った料理を囲んで、お酒を飲んだ。薬を服用している関係で、本当は飲んではいけないのだが、私も飲んだ。喜代の友達も来ることもあり、飲みながら色々な話をした。

その中には、徹という私と同じ歳くらいの男性もいた。徹もまた、統合失調症患者だった。入院歴もあった。徹の家族は、徹の病気を受け入れられず、また恥ずかしいものと思って、徹に一人暮らしをさせていた。彼の両親は、事業もしており、収入もあったため、毎月彼に10万円を仕送りしていた。そのお金をただ使うだけの日々。それが徹の日常だった。
訪ねて来る色々な人たちと話す日々。初めの内は、そんな暮らしが楽しかった。

でもだんだんと様相はかわってきた。カフェの準備のために保健所の認可を受けてから喜代は、
「葉月さんは、本堂の台所は使わないでください」
と、言ってきた。それ以外にも、喜代は、私に相談せずに、寺の仕事を仕切り始めた。
カフェをオープンするという夢の実現に夢中になっていた隆道は、私に相談せずに、何でも喜代に相談するようになった。私は、だんだんと自分の居場所がなくなっていくのを感じた。隆道や喜代たちのいる本堂ではなく、庫裡で、昼間一人で過ごすことが多くなった。

私は、やめていた煙草をまた吸い始めた。煙草を吸いながら、庫裡で無為に時を過ごすようになった。私は、孤独だった。悲しいくらい孤独だった。

喜代と奈美は、寺の近くの家を借りて暮らし始めた。そして、カフェをお寺でオープンした。予約制の精進料理も始めた。どちらも、順調だった。みんな楽しそうだった。私はその輪に入れなかった。だんだん、自分の居場所がなくなっていくような気がした。

次の年の夏に、寺でブルースのライブをすることになった。喜代と奈美は、当日に売るカレーを作ったり、打ち上げのための料理を作ったりと、忙しくしていた。喜代の友達も来て、とても楽しそうだった。

その日は、亮純のPTA の行事で、私は中学校に行かなければならなかった。
「葉月さんは、PTAに行ってください。手伝いは、いいですから」
と、喜代は言った。私は、亮純と、中学校へ行った。
帰ってきて、手伝おうとすると、
「手伝いはいいですよ。葉月さんは、音楽を聴いていてください」
と、喜代が言った。別にライブが聴きたかった訳ではなかったが、仕方なく私は、ライブを聴くために、本堂に行った。時折、私は台所を覗いた。それまで、楽しそうに話していたのに、私が顔を出すと、喜代たちはおしゃべりをピタリとやめた。嫌な感じだった。仕方なく、またライブを聴いた。
 

 打ち上げの席で、飲みたいわけじゃなかったが、ビールを飲んでいると、険しい顔をして、隆道が、私を呼びに来た。
「喜代さんたちだけに、台所をやらせて、お前は呑気に飲んでいるって、どういうことじゃ!大ヒンシュクを買っとるぞ!」
と、きつい口調で言った。
「だって・・・」
言いかけた私に背を向けて、隆道は行ってしまった。台所に行くと、喜代が、うっすらと笑みを浮かべて、冷たい目で私を見た。喜代の友人でヨガの先生をしている佳子が、私たちの様子を戸惑ったように見ていた。

 

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