時が溶かしてくれたもの
東京への旅を終えて Vol1
10月5日から9日まで、東京に行っていました。6日にあった母の一周忌の法事に参列するのが一番の目的でした。
「せっかく東京に行くのだから、会いたい人たちに会ってこよう!」と思って、中高時代の友達や、Clubhouse のゼロ秒思考のメモ書きの仲間や、私のブログを読んで下さって、素敵なフィードバックを下さる方など、たくさんの人たちに会ってきました。
今度本を出版される、元お笑い芸人で俳優で、企業研修の講師もされていて、今度本を出版される桑山元さんにもお会いしました。岡田徹太郎教授も来てくださいました。
8日には、私が大恩人だと思っている、「ゼロ秒思考」の著者で、アクティブリスニングの提唱者でもある、赤羽雄二さんのセミナーにも参加しました。
毎日素敵な方達にお会いして、充実しまくりだった東京の旅。とても一つのブログでは書ききれないので、2回に分けて振り返りたいです。
あの頃に戻れたら…
5日は、中学高校時代の友達二人に会いました。友達の一人が、東京駅のホームまで迎えに来てくれて、月島に移動して、もう一人の友達が合流してくれて、月島でもんじゃ焼きを食べながら、思い切り喋りました。本当に喋る、喋る。笑う、笑う。そんなとても楽しい時間を過ごしました。
私たち3人は、中学校から大学まで同志社で学びました。大学受験をしなくても良かったので、高校時代はみんな、とにかく遊びました。
私たちの時代の遊びと言えば、ディスコ(歳がばれる?)。そうマハラジャです。大人びた格好に着替えて、みんなでよくマハラジャに行っていました。黒服の人に中に通してもらって、マハラジャに入れることが、大人だとみなされたようで、嬉しかったのです。可愛いといえば可愛いです(笑)。
「全然勉強せーへんかったよなあ」
「ほんま、ほんま」
「あの頃に戻れたなら、今度は、ちゃんと勉強するよなあ」
などと、みんなで過去を反省しながら、振り返ったりもしました。
3人の中では、一番早く結婚して、出産も早かった私。私の息子たちは30歳と28歳になります。あとの二人の友達の子供たちは、歯医者さんのインターンをしていたり、大学生だったり、高校生だったり。そんな子供たちの話や、夫の事(私の場合は元夫の事)や、老いてきている親の事や、亡くなってしまった親の事など…まさに話は尽きずといった感じで語り合いました。
以前の私は、こういう場面ではマシンガントーク。そして、話題を次々に変える質問をしていたのですが、アクティブリスニングを学んでいるので、「聞く」ということを意識しました。(それでもしゃべり過ぎていたかな?)ともかく、本当に楽しい時間を過ごしました。
さんざんイジラれた私
6日は母の法事を末の弟のマンションでしました。中国山地の山寺の住職である元夫が、お経を詠みに来てくれました。
元夫とか元妻に会う機会を持っている方は、どれくらいいるのでしょう?そんな方ならわかると思うのですが、元夫に会うのって、とてもビミョーな気持ちになります。私も複雑な思いがしていました。会いたいような、会いたくないようなそんな気持ちです。
実は元夫には、母の49日の法事で、去年会っています。その時の私は今より10キロも太っていて、今ほど元気にはなっていませんでした。
今回私に会った元夫は、
「痩せたね。元気そうだね」
と言ってくれました。
法事の後の会食の場では、末の弟や、上の弟(私には弟が二人います)が、
「お姉ちゃんって、ブログを書くとか、英語を勉強するとか、自分の好きなことはとことん頑張ってすごいけど、世間一般の人ができることができないでしょう?」
と、元夫に聞いたり、
「お姉ちゃん、学生の頃、ほんまに悪かったよなあ。オトンにしょっちゅう殴られてたやん」
と、封印していた過去を掘り出したり(笑)。さんざんイジラれました。
元夫も、それに乗じてといった感じで、私から受けたDVの話を面白おかしくみんなに言ったり。
そう、若い頃私は、元夫と喧嘩して、元夫のみぞおちに鉄拳を食らわせたことがあるのです。身長175センチ、90キロの巨体の元夫が、私の鉄拳を受けて、床に崩れ落ちたことがありました(笑)(笑い事じゃないか)。
同居していたお姑さんとの関係で、ずいぶんと悩み苦しんでいた、20代の頃の私。自分の気持ちをうまく言語化できなくて、そのイライラを元夫にぶつけていたのです。
ともかくみんなお酒もすすんで、私の事をイジリまくるのですが、それを笑ってかわせる余裕が今の私にはありました。
だって、今、私はとても幸せだから。そして、自分なりにすごく頑張っているから。
「いくらでも言って」
と、笑顔で聞いていました。
父や、母の思い出話などもして、とても和やかで楽しい時間を過ごしました。
時が溶かしてくれたもの
元夫と笑顔で会えて、素直に話すことができました。こんな時が来るなんて、想像もできない苦しい日々がありました。
15年前に離婚した私達。離婚の原因は、不倫とかではなくて、私が発病した統合失調症の病気が原因でした。
私が発病してから、元夫は、本当によくやってくれました。寺の仕事をしながら、息子たちの面倒を見たり、家事をしたりと、大変だったと思います。
そんな支えがありながらも、なかなか回復しなかった私。計5回精神科に入退院を繰り返しました。病院ではよくなるのですが、退院してお寺に戻ると、また病状が悪くなるのです。
生母や継母を頼って、石垣島や東京で転地療養もして、ある程度まで回復しても、お寺に帰るとまた悪くなるのです。勝手に断薬したこともあって、入退院を繰り返すことになってしまったのです。
そんな私に元夫は、離婚を切り出しました。
「別れたくない。子供たちのそばにいたい」
といった私に、
「あなたは別れたくないかもしれないが、私がもう限界だから」
と言いました。
辛かったです。淋しかったし、不安でした。息子たちとの別れて暮らすことは、本当に辛かったです。私は泣きました。元夫も涙を流しました。
「東京でも、京都でも、石垣島でもいい。あなたが昔のあなたのように輝いて生きていけるところで、昔のあなたのようにイキイキと暮らしていってほしい。今のあなたを傍で見るのは、本当に辛い」
そう、元夫は言いました。
あれから15年の月日が流れました。その間色々なことがありました。無茶をしたり、自棄になったこともありました。
でも、今私は、自分なりにしっかり生きています。たくさんの素敵な仲間に囲まれて、幸せに暮らしています。仕事も頑張っているし、「Crossroads」の活動や、「Safe Space ほっこり」の活動や、こうやってブログを発信することという、自分の生きがいも見つけました。
元夫が言ってくれたように、イキイキと暮らすことができているのではないかと思っています。
私が抱えた、悲しさ、淋しさ、苦しさ、辛さ。それを時が溶かしてくれました。時の流れが溶かしてくれました。
そんな私だからこそ言えると思います。
「闇はいつまでもは続かない」
「きっと光が差す時が来る」
「だから諦めないで!」
「だから生きて!」
と。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。