統合失調症の私が伝えたいことVol50
65 マッチングアプリ
主治医の先生の許可をもらって、区役所で保健師さんと面談をした。そして、京都市の社会福祉協議会の担当の立木さんとの面談も終えた。
「何か希望はありますか?」
と、社会福祉協議会の担当の立木さんに訊かれたので、私は
「通勤の便のいいところなら、どこでもいいです」
と、答えた。
社会福祉協議会からは、なかなか連絡が来なかった。しばらく待って、やっと連絡があった。
「暮島さんのお近くのデイサービスにお仕事に行っていただこうと思っているのですが、コロナの関係で、しばらく待っていただくようになるのですが、大丈夫ですか?」
「大丈夫です。待ちます。よろしくお願いいたします」
と、私は答えた。
社会福祉協議会からの連絡を待つ間、私は、時間を持て余した。デイケアには週に一回、前川さんとの面談に行くだけだ。あと、週に一回、節子のところに行くだけだ。
持て余した時間に私はまた、マッチングアプリを始めた。マッチングアプリでは、女性は会費が無料だった。
マッチングアプリでは、京都市内に住んでいる40代後半から50代の男性に「いいね」を送った。送った相手から「いいね」が届くと、メッセージのやり取りができる。あるいは、男性から来た「いいね」が届いて、私が「いいね」を送ると、マッチングが成立して、メッセージのやり取りができる。
何人かの男性とメッセージのやり取りをした。そのうちの3人の男性と会った。みんな離婚経験のある男性だった。私はその3人の男性たちと食事に行った。私の中には何か空洞があるみたいだった。その空洞を男性たちが埋めてくれるような気がしたのだ。でもそれは幻想だった。男性たちと会っても、話しても、時を過ごしても、私の中の空洞は埋まるどころか、広がるばかりだった。
それでも私は、男性たちに会い続けた。そんな自分が嫌だったが、やめられなかった。
66 カウンセリング・妙さんとの出逢い
その頃、私は由美子さんの紹介で、上倉妙さんのカウンセリングを受け始めた。カウンセリングを受ける前に、妙さんのZoomミーティングに参加させてもらっていた。Zoomミーティングは、脳科学や心理学の話などで、とても興味深かった。妙さんから、
「カウンセリングを受けてみないか?」
と、言われた時は、迷った。カウンセリング料は、私にとっては、正直、大きな出費だった。でも私は、今の状態から抜け出したかった。抜け出さなければと思った。だから、カウンセリングを受けることにした。
カウンセリングには色々なスタイルがあると思う。ただ傾聴してくれて、耳障りのいいことを話してくれるカウンセリングもあると思う。私もそんなイメージを抱いていた。
でも、妙さんのカウンセリングは、まるで違っていた。妙さんは私に厳しいことも言った。そして、鋭い質問を私にした。
例えば、私が発病した頃に、英語の仕事とお寺の仕事と、家事や子供の世話などで忙しすぎたことを話したら、
「その時の優先順位は何やった?」
と、いう風に。私は、
「子供です」
と答えた。妙さんは、
「実際はどうなっていた?」
と、さらに聞いた。
「英語の仕事が一番になっていました」
「そうやん、そこが間違っていたんやん」
と、気付きを与えてくれた。妙さんの質問に答えて、考えているうちに、私のこんがらがっていた頭の中が、不思議なくらいに整理されていった。
また、妙さんは、私に聞いた。
「お寺の仕事をして、子供さんの事をして、英語の仕事をして、暮島さんはどうやった」
「・・・・」
「考えて」
「頑張っていたと思います。」
「そうや!暮島さんは、頑張っていたんや」
と、言ってくれた。
(私は頑張っていたんだ。頑張り方を間違えていたかもしれなかったけど、私は頑張っていたんだ)
私は、やっと自分を肯定することができた。過去を悔いてばかりいて、自分を責めてばかりいたけど、その時その時に、私は、一生懸命私は生きていたのだと思えた。私の中で、何かが変わった。
妙さんに、私の複雑な家族関係や、孝也が覚せい剤で逮捕されたこと、常夫が新聞に載ったこと、私がギャンブル依存症だったことや、セックス依存症になっていたことなど、すべて話した。妙さんは、私を否定することなく、受けとめてくれた。ギャンブル依存症や、セックス依存症の事も妙さんは、否定しなかった。
「寂しさや、不安があったら、ギャンブル依存症にもなるし、セックス依存症になることもあるわ」
と、妙さんは言ってくれた。それは大きな安心感を私に与えた。
また、妙さんは、「オープンダイアローグ」というものを教えてくれた。
「オープンダイアローグ」はフィンランドの病院(正式名を確認中)のファミリー・セラピストを中心に1980年代から実践されているものである。患者と医療者、時には家族などの関係者も加わり、対話を行っていくものである。入院や薬にすぐに頼るのではなく、医療者と患者、そして家族などの関係者が、フラットな関係で対話することによって、患者を治療していくという治療法である。患者のモノローグではなく、ダイアローグ、それもオープンなダイアローグ(開かれた対話)を重ねていくことで、患者の症状を改善させていくものである。統合失調症だけではなく、鬱病、引きこもりなどの治療に大きな成果を上げている。そして、発達障害の治療法としても期待されている。
日本では精神科医の斎藤環医師が、オープ・ダイアローグに関する情報提供などを行っている「オープン・ダイアローグジャパン」の共同代表を務めて、啓蒙活動を行っている。
妙さんは、私にYouTubeで見ることができる、ダニエル・マックラ―監督のドキュメンタリー映画、「『開かれた対話』「オープン・ダイアローグ」フィンランドにおける精神病治療への代替アプローチ」を見ることを勧めてくれた。
その映画を見て、私はいろいろなことを感じた。日本でもオープン・ダイアローグの手法による治療法が、もっと広まればいいなと思った。日本の現在の精神医用の現場では、受診したら、ほぼ必ずと言っていいほど、薬が処方される。オープンダイアローグの治療法がもっと日本で広まらればいいと思った。自分が治療を受けていて感じることだが、薬だけでは治せないところが、統合失調症を含めて精神疾患にはあるからだ。
妙さんの家には、本がたくさん置いてある。その本を無料で貸してくれた。読書好きの私にとっては、とてもありがたかった。
私は、佐藤富雄さんの本や、本田健さんの本や、アサーションの本など、カウンセリングに行くときは、ほぼ毎回本を借りて読んだ。自分自身が、確実に成長していくのが分かった。
妙さんのカウンセリングを受けて、一番変化したのは、伯母との関係だった。妙さんに伯母の事を色々話すうちに、伯母への感謝と言うか、愛というか、そんな感情が芽生えてきたのだ。さんざん迷惑をかけてきたけれど、私を見捨てずにいてくれた伯母に対しての感謝と愛。それが私を変えたのだった。
毎週水曜日、一時間、私は妙さんのカウンセリングを受けさせていただいている。自分自身の思考の癖を修正し、より輝いて生きていくためには、本当に必要な時間だ。