見出し画像

寛容な社会を!(統合失調症の私のNPO法人説力奮闘記Vol58)

『みんな水の中』 横道誠さん著

決意表明

日曜日は理事の仲間のやまさこさんと、ひとまち交流館で会った「助成金活用セミナー」を受講してきました。

会の活動を始めて、いつも頭を悩ませているのが運営資金の問題。それに私はお金の計算とか管理とかがチョー苦手。他の理事のみんなに頼っているのですが、自分でもしっかり学んで知識を得て、資金難で、会の活動が頓挫しないようにしなくては。

10月のフランチェスカさんのイベントが終わったら、本腰を入れて、NPO法人設立に向けて頑張っていきます。

これまでいろんなイベントを開催してきて、「心の安全基地づくり」の必要性を痛感しています。

仲間と共に頑張ります。私の決意表明です。応援していてください。


横道誠さん

横道誠さんの『みんな水の中』という本を読みました。横道誠さんの本を読むのは、これで3冊目。

この間読んだ『発達界隈通信 僕たちは障害と脳の多様性を生きています』

と、
『ひとつにならない 発達障害者がセックスについて語ること』

があまりにも興味深くて、印象的な本だったので、この本も読んでみました。2つの本については先日ブログに書きました。読んで下さったら嬉しいです。
淡々と生きてゆく(統合失調症の私のNPO法人設立奮闘記Vol54)|暮島葉月 (note.com)

ひとつにならない(統合失調症の私のNPO法人奮闘記Vol56)|暮島葉月 (note.com)

横道誠さんとは、「月と地球」という、発達障害の自助会で出逢いました。
(誠さんと呼ばせていただきます)。

誠さん自身が、発達障害とアルコール依存症の当事者です。そして文学研究者で、京都府立大学の准教授でもあります。

もう一つ誠さんを紹介するのに欠かせないキーワード、それは宗教2世であるということ。お母様がカルト教団の信者で、誠さんは、幼少期よりとても辛い経験をされました。

『発達界隈通信 僕たちは障害と脳の多様性を生きています』『ひとつにならない 発達障害者がセックスについて語ること』では軽く触れられていた宗教2世の経験のことが、『みんな水の中』では、詳しく、深く書かれています。その誠さんの経験に私は衝撃を受けました。

「よく生き延びてくれはったな」
と思いました。自ら命を絶ってもかしくないほどの壮絶な過去でした。


<定型発達ぶりっ子>

そんな誠さんは、「普通の人」・「定型発達発達者」に擬態しようとしすぎて、二次障害で鬱になってしまいます。誠さんはこれを<定型発達ぶりっ子>と呼んでいます。この<定型発達ぶりっ子>をして苦しんだ発達障害の人は多いのではないでしょうか?

私自身は統合失調症で、診断は受けていませんが発達障害です。「普通の人ではない自分」・「違ってしまった自分」をなんとか「普通の人」に見せようとして苦しんだ経験があります。クローズで働こうとしてもがいていた時もそうでした。

「変な人」と見られないように、ものすごく気を遣って生きていた頃もありました。でも、擬態は擬態です。気を遣い過ぎて摩耗しても、「普通の人」にはなれませんでした。

でもそもそも「普通の人」ってなんなのでしょう?「定型発達」ってなんなのでしょう?

このことについては、「社会の認識が変わっていく必要があるのではないか?」と私は思っています。


誠さんを救ったもの① 文学と芸術

宗教2世として、とても辛い経験をして、学校時代はひどいいじめにあって苦しんでいた誠さん。そんな誠さんを救ったものは大きく分けて二つあります。

まず、文学と芸術。

誠さんはこう書いておられます。

「トラウマや嗜癖によって感情が過剰になったり不足していたりする際には、『健全な中間レベル』に戻すために私たちは安全な場所へと着地(グラウンディング)する必要があるのだが、私にとっての好ましい文学と芸術は、まさに『いまここ』への着地をもたらし続けた」

「心が傷ついている人が創作物に触れると、そこから元気や勇気を受け取ることができる。その時起こっていることは、小規模でも確実な治療や療養なのだ。その意義は、これまでの医療や福祉であまりにも過小評価されてきた」。

誠さんほどではありませんが、私も本を
読むことが好きですし、音楽を聴いたり、美術館に行ったり、映画を観たり(最近時間がなくてあまり観られていませんが)することも大好きです。本や音楽、美術や映画と言った芸術に触れて、感動をおぼえた時、たしかに私の心は、誠さんのおっしゃるように「いまここに」着地することができます。それらは心の扉を開いてくれます。

私の通うクリニックには音楽室というのがあって、デイケアのメンバーが楽器の練習をすることができます。音楽に触れることも、治療に効果的なのだと、改めて思いました。


誠さんを救ったもの② 自助グループ

もう1つ誠さんを救ったもの、それは自助グループの存在です。

自助グループとは、
「なんらかの障害・困難や問題、悩みを抱えた人が、同様な問題を抱えている個人や家族とともに、当事者同士の自発的なつながりで結びついた集団。その問題の専門家の手にグループの運営を委ねず、あくまで当事者主体の運営を行う、当事者団体の1つ」
とウィキペディアにはあります。

誠さんも発達障害の診断を受けてから、自助グループを知り、DDAC(発達障害を持つ大人の会」の広野ゆいさん、「さかいハッタツ友の会」の石橋尋志さんと交流するようになります。

そして、京都で「月と地球」という自助グループを立ち上げ、運営するようになりました。私もこの「月と地球」に3回ほど参加したのですが、和気あいあいという感じで、とても楽しいです。ただ楽しいだけではなく、安心して自己開示ができるので、参加したらなんか胸がスッキリします。


多様性を受けとめる社会を

誠さんはこう書いています。

「『脳の多様性』を発達障害者だけに限定して考えてはいけない。定型発達者も全員が『脳の多様性』を生きていると考える。人類が皆、相互の交流を行い、地球人の文化を豊かにしていければ、素晴らしい、と夢見ている」

「『脳の多様性』は定型発達者にとっても需要を満たすものであり得ることを認知させていきたい。バイセクシュアルの女性が社会からの偏見に悩んでいれば、そのような偏見のない社会を生み出すことによって、多くの人が偏見から解放される。

強迫性障害の男性が当事者同士の連帯は難しいと考えていれば、少数派同士の連帯が容易な社会を生み出すことによって、多数派もまた楽になる。

社会が肝要になり、人々の吸う空気が、とても美味なものへと変わってゆくからだ」

一人ひとり姿カタチが違うように、私たちの脳もまた一人ひとり違うのです。「多様」なのです。そんな違いや多様性を、違っているからと差別したり偏見を持ったりするのではなく、ありのままを受けとめる寛容な社会を創っていければと強く思いました。

誠さんはあと書きでこう書いておられます。

「発達障害の特性は、それ自体では『障害』にならない。私たちは定型発達者あるいは『健常者』とは異なる発達特性、あるいは発達凸凹を持っているだけで、それが『健常者』ベースで作られた社会環境と摩擦を起こすことで『障害者』になっている」。

私は、「障害」という言葉がこの世界から消えてなくなればいいと思いました。「障害」ではなく「個性」とみんなが受けとめてくれれば、ずっと生きやすくなるからです。無理して、普通を演じて、自分を枠にはめこまなくてもすむからです。

そうすれば誠さんが言うように寛容な社会を創っていくことができるでしょう。

「ありのままの自分」でいられる場所。
「ありのままの他者」を受け入れられる場所。
そんな場所にSafe Space ほっこりをしていきたいな~と、「みんな水の中」を読んで、また夢が広がりました。

最後まで読んで下さって、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?