統合失調症でも楽しく生きられるVol19
統合失調症を生きる
私は統合失調症
私は統合失調症です。19年前、34歳の時に発病しました。過労と睡眠不足、そしてストレスが原因でした。
発病したとき、私はお寺で暮らしていました。だから、最初は、病気だとは思わずに、霊のせいだと思っていました。
統合失調症の陽性症状として、幻聴や幻覚があります。私も、ピキピキという音や、金色の光の塊が見えました。不安が込み上げてきて、涙がぽろぽろこぼれてきました。
私が発病したとき、息子たちは、10歳と8歳でした。目の前で壊れていく母親を見て、どれほど不安で、どれほど心細かったかと思います。8歳だった次男は私に、相田みつをの詩を読んで聞かせてくれたりしました。壊れていく私を何とかしようとしてくれていたのです。
2か月近くそんな状態が続き、元夫が精神科に私を連れて行ってくれました。鬱病と診断されて、即入院といわれました。医師は、「こんな状態のお母さんを傍で見ていたら、子供さんたちの心が限界になります。子供さんたちのためにも、入院して、しっかり治療しましょう」と言いました。
(子供たちのため・・・)そう思って、入院することにしました。
入院生活
入院して、投薬治療が始まりました。鬱病と診断されていたので、抗鬱剤を処方されました。そして、睡眠薬も処方されました。私は、とにかくよく眠りました。体も心も、本当に疲れていたのだと思います。とにかくよく眠りました。
私が入院したのは、川崎医大付属病院の精神科だから、心を病んだ人が、たくさん入院していました。
一番私が驚いたのは、摂食障害の患者さんたちでした。がりがりに痩せているのに、まだ痩せたいというのです。そして食事を食べる時は、泣きながら苦しそうに食べていました。
公務員や学校の先生という人たちもたくさん入院していました。
革細工やスポーツなどのプログラムがあって、私はそれらに積極的に参加しました。りはびりのぷろぐらむです。楽しかったです。
ゆっくり休養したことと、投薬治療やリハビリのおかげで、私はかなり回復して、退院しました
「これからは家族の時間を大切にしよう時間を大切にしよう」と思って、パンを焼いたり、スキーに行ったりと楽しく穏やかに暮らしていました。
そんな時に、父が末期の肝臓がんで、余命3か月ということが分かりました。私は一気に調子を崩してしましました。この時、勝手に断薬もしていました。受診したら、入院しないといけないと言われて、再入院しました。
閉鎖病棟への入院
再入院した病院を退院してから、石垣島の生母の元ところや、東京の継母の所でも休養しました。私の状態はかなりひどかったから、生母も継母も大変だったと思います。
継母が、「もう限界だ」と元夫にSOSを出して、継母に連れられて、私は新幹線で岡山まで戻りました。元夫の車で、私は岡山の山陽病院に入院しました。ドアのすべてに鍵がかかっていて、窓には格子がある閉鎖病棟でした。川崎医大付属病院とは、ずいぶん様子が違いました。
しかも私は診察を受けた時に暴れたらしく、保護室に入れられました。暴れたことは覚えていませんでした。気が付いたら保護室に居ました。そして注射を打たれて、全身の力が抜けました。
保護室は、布団が一組しいてあって、便器があるだけの殺風景な部屋でした。ここに私は1週間いて、大部屋に移りました。
大部屋の患者さんも。川崎医大付属病院の患者さんより重い状態の患者さんが多かったです。「あなた、うちの夫と浮気したでしょう?」としつこく付きまとう60代くらいの女性には、閉口しました。
格子のはまった窓の外を見て、「外に出たい」と思いました。家族と過ごす当たり前の日常生活のありがたさを改めて思いました。
ここでも、しっかり休養をとって、リハビリにも参加して、薬も効き2か月ほどで退院することができました。
でも、また勝手に断薬して、あと2回この病院に入院しました。
開放病棟
山陽病院への3回目の入院は、開放病棟ででした。最初は、閉鎖病棟でだったのですが、開放病棟への入院に移動しました。
制限の多い閉鎖病棟に比べれば、開放病棟は、本当に自由でした。院内を自由に歩き回ることができ、医師のハンコをもらえば、院外へ散歩にも行けます。
開放病棟の患者さんは、「どこが悪いのだろう?」と思うような、症状が軽い患者さんが多かったです。
「どうして退院しないのですか?」と私が聞いたら。「帰りたくても、もう帰る家がないんじゃ」とその初老の男性は、淋しそうに答えました。
この男性のように、症状が軽快したのに帰る家のない人の居場所を作る事って必要だと思います。
統合失調症になって
このように私は、計5回の精神科への入退院を繰り返しました。その後離婚して、家庭を失いました大好きだった仕事も失い、本当にたくさんのものをなくしました。
家族には、たくさん迷惑をかけたけれど、統合失調症になって、私はよかったと思います。人の痛みが分かる人間になれたからです。
また、統合失調症になって、京都に帰って来てから、カウンセラーの先生をはじめ、素敵な人とたくさん出逢うことができました。
そして、今、私は一人暮らしをして、介護の仕事もしています。精いっぱい生きています。
あのひどい状態から、ここまで回復できたことを本当にありがたいと思います。
私の経験したことやどんなサポートを受けて、どう一歩を踏み出したのかシェアすることによって、統合失調症や心の病気や生きづらさを抱える人が、「自分にもできるかも」と思って、一歩を踏み出してくだされば、とても嬉しいです。
「本を出版したい!」その夢をカタチにするために、これからも頑張っていきます。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました、
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