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安定するな。揺れ動け!(統合失調症の私のNPO法人設立奮闘記Vol93)
「生きるってなんやろか?」 鷲田清一さん・石黒浩さん著
「京都の平熱」 鷲田清一さん著
京大病院
今日は朝から、京都大学付属病院に行ってきました。胃に良性の腫瘍があるのです。いつもかかっている胃腸科の先生が紹介状を書いて下さって。京都大学付属病院(京大病院)を受診してきました。
血液・腫瘍内科というところを受診してきました。診察をして下さったのは女の先生。とてもいい先生でした。採血をして、採尿をして、心電図をとって、レントゲンもとりました。来週PETという検査を受けます。なかなか大変です。
ちょっと疲れましたが、帰りに食材を買いに行って、そのスーパーの近くの友達の家に寄って、珈琲をご馳走になって、さっき帰ってきました。くたびれました。
体のことって、いつも後回しになるのです、私。でもこの体があるから、恋もできるし、こうしてブログを書くこともできるのですよね。もっと労ろう!
生きるってなんやろか?
京大病院での待ち時間に「生きるってなんやろか?」という本を読みました。哲学者の鷲田清一さんと、ロボット工学の科学者の石黒浩さんの対談集の本です。
鷲田清一さんは、「京都の平熱」という本を読んでから、ファンになりました。その鷲田さんと石黒さんの対談。哲学者と科学者との対談というのにとても興味を抱きました。「生きるってなんやろか?」というタイトルにもとても惹かれて、図書館で借りてきました。そして一気に読み終えました。面白い!すごく面白い本でした!
生きるってなんやろか?
それは常々私が思っていることです。
ほんまに生きるってなんやろか?
ブログでも書いていますが、私は統合失調症という病気になって、離婚して、最愛の息子たちと離れて暮らすことを余儀なくされました。息子たちとの別れは本当に辛くて、淋しくて、苦しくて、私はオーバードラッグをして自殺を図りました。死ねなかった私が今の私です。
今55歳の私。自殺未遂をしたのは39歳の時。55-39=16。16年はおまけの人生なのかもしれません。この16年、私はパチンコ依存になったり、男性依存になったりと色々なことがあったな。いろいろな仕事もしたな。「働きたい!」という思いがいつもあったな。
本当にいろいろな事がありました。今は病状も落ち着いて、やりがいのある仕事にもつけて、素敵な仲間に囲まれて、すごく素敵な恋もしている私。とても幸せです。
いい事があったり、悪いことがあったり、嬉しいことがあったり、悲しいことがあったり。
本当に人生って何なのだろう?
ほんまに生きるってなんやろか?
その答えは、死の淵に立った時にわかるのかもしれません。その瞬間まで、一生懸命生きないとな。
安定するな。揺れ動け!
この鷲田さんと石黒さんの対談集の本は、本当に興味深いです。私の心には響きました。
特に心に残った言葉が、
「安定するな。揺れ動け」
というもの。
「例えば、光に集まる虫ってゆらゆらとでたらめに動いているように見える江戸、最終的には光の方に集まってきます。これをコンピューターのように最短距離で飛ぶとなると、不意に風が吹いたり何か障害物があったりすると、なかなか目的地にたどり着けない。結局ランダムに行ったり来たりしている方が目的を達成できるわけです」
「僕は、人間が生きるということも同じように試行錯誤したり、一見意味のないようなことをしてみたり、環境をガラッと変えたりするのがいいんじゃないかと思うんですよ。常に揺れ動くことが大事で、一つのことに凝り固まったり、安定して居心地がいい事ばかりやってちゃいかん、と」
「人間というのは、いったん安定するとそこに安住してしまう。日常生活で はどちらかというと、マジョリティの中に安住して、多少の権力が少しでも身に付けばそれを守ろうとしてしまう。
そんな風に人間は、自分の価値を平均的なところに自然と求めていく部分がありながら、一方で冒険を望む、不思議な存在なんですね」
この、
「安定するな。揺れ動け!」
という言葉はストンと私の中に入りました。
「安定するな」というのは、「コンフォートゾーンを出ろ」と言い換えてもいいかもしれません。それは不安なことだし、勇気の必要なことかもしれません。でも、だからこそ見える世界もあるのではないでしょうか?
「揺れ動く」ためには、バッテリーのようなものが必要かもしれません。自分を突き動かす何かが。私は「揺れ動いていたいな」と思いました。まだ自分が知らない世界を見たいからです。たどり着いたことのない世界に行ってみたいからです
揺れ動く私
今、恋をしている私。こんなにも誰かを純粋に、優しく、でも激しく好きになったのは初めてです。
相手は34歳の女性。すごく素敵な女性です。彼女に触れたいと思うし、もっと彼女を知りたいと思うし、一緒にいたいとも思います。一緒に暮らせたらいいなとも思っています。
女性同士の恋愛。
20歳以上も年の離れた恋愛。
自分がこんな恋愛をするなんて、彼女に出逢う前には想像もしていませんでした。なんか自分の中で、
「恋愛はもういいかな」
と思ってさえいたのです。
でも今私は、恋をしています。深く激しく。私の心を取り出して切り刻んだとしたら、どのカケラにも彼女が溢れている、そんな感じかもしれません。
その恋は、嬉しく、楽しく、幸せなものであると同時に、切なく、苦しいものでもあります。
彼女に触れたい。もっともっと触れたい。その衝動を私は必死に抑えています。
彼女に会いたい。もっともっと一緒にいたい。その思いが叶わない時は、切なさと苦しさが私を包みこみます。
ほんまに恋ってなんやろか?
それが今私の心にある問いです?
恋ってなんやろう?
それは喜びを与えるものでもあり、苦しみを与えるものでもあります。私にとっては、恋は切ないものでもあります。
でも恋が、愛があるから、優れた文学が生まれ、音楽が生まれ、芸術が生まれたのではないでしょうか?
苦しくても、切なくても、私はこれからも彼女を愛していこうと思っています。深く深く。たとえそれが痛みを伴うものなのだとしても。
ほんまに、
生きるってなんやろか?
恋ってなんやろか?
その答えを必死で追い求めて、揺れ動いていたいと思うのです。これからもずっと。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。